星と海のシナリオ

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 大学を卒業後、生命保険会社に新卒で入社したは三船星海(みふねせいかい)は、今年で入社2年目を迎えていた。  オフィスは多摩市の本社にあり、その中のお客様サービス部名義変更チームに配属され勤務していたが、毎日些細な出来事から仕事のミスを繰り返し、課長である阿久津(あくつ)に呼び出される日々であった。 「これ、これ、わ、か、り、ま、す、か?」  阿久津の低い呻き声のような地声が星海の胸に響く。 6列あるシマの中央に座っている阿久津は、自分のデスクの前に立ったまま、小刻みに震えている星海を下から睨み上げている。星海はぐっと拳を握りしめ、声を出せ、謝罪の声を出せ、と自らに問い続けていた。 「……昨日不備照会を出した書類です」 「『です』じゃねえよ。オレ言ったよね? こことここの不備直しとけって? 同じこと何回言わせんだよ!」  阿久津の怒声がフロアに響くと、仕事のパソコンに集中しようと努力していた契約社員の年配の女性達は、火事場の野次馬のようにちらちらと星海の背中を見る。彼女たちにとって、この光景は最早日常であった。  最初のうちは、自分の息子と同じくらいの年齢である新入社員の可愛いミスとして、全国の営業所から送られてくる顧客の契約書の不備の見落としを、星海がしてしまっても、注意し許していたが、同じことを何度教えても毎日毎日ミスを繰り返す星海に対し、もう誰も同情を向ける者はいなかった。味方だった同じチームの先輩社員も、今では星海のミスを見つけると声を荒げ、わざと中央の席にいる阿久津に聞こえるように仕向ける。 「……すみません」 「簡単にすみませんすみませんって言うけどさ。……もういいや。言っても無駄だもんなお前。いいよ行けよ。」  右手の甲を上にして野良犬を追い払うように手を振る。星海は頭を深く下げ、阿久津から書類を返してもらうと、唇を噛み、俯いたまま自分の席へ引き返した。  その様子を、同じフロアの、星海の名義変更チームから離れた距離にいる公的機関照会係の副主任である坂峰真帆(さかみねまほろ)は、自分のデスク越しに見ていた。眉をしかめ、切ない眼差しを星海に送っている。  星海が自分の席の椅子をデスクから引いた時であった。 「ちっ、頭良い大学出てるんだが知らねえがホント使えねえな。なんであんなクズ採用したんだよ。人事ちゃんとやれよな……」  椅子の背に置いた手が一瞬固まった。 小声で話しているつもりの阿久津の声は、耳聡い星海には聞こえていた。他の契約社員の耳にも何人かに聞こえていたらしく、堪え切れずくすくすと笑う声が漏れる。  星海の表情は前髪に隠れて見えなくなっている。椅子に座り、書類をデスクに置く。そのままじっ、とデスクの上に置かれた自分の不備書類を、虚ろな瞳で見つめていた。 両隣でカタカタと顧客検索のキーボードを打つ音がしていたが、その音すらも、今の星海には聞こえていなかった。  ただ、見えているのは、書類の上に漆黒の拳銃が置かれている映像であった。  その拳銃は、他の誰にも見えておらず、星海の瞳にだけ映っている。  星海はゆっくりとデスクに置かれた書類を持ち上げると、キーボードで顧客検索を行う欄に、書類に書かれた顧客の名前ではなく「三船星海」と自分の名前を記入した。 (オレは…)  更に指をゆっくりと動かし、「三船星海」の下に「死亡」と記入する。 (生まれてくるべきではなかった…)    真帆は仕事をする振りをして、星海の様子を瞳を眇めながら伺っていた。  会社の屋上は、警備の者に許可を取れば開放できる。 屋上からは多摩市の豊かな自然が一望できるので、昼休みに人気のある場所であったが、今現在冬の真っ只中にいるので、喜んで行こうとするものは皆無であった。  そんな屋上に、星海だけがただ一人、隅で胡坐をかき、首を落としながら居座っている。  心ここにあらずといった星海の冷えた頬に、温かい物が触れ、驚き振り向く。  そこに立っていたのは、ホットの缶コーヒーを手にしてにやりと笑っている真帆であった。 「よっ、三船。昼休みなのにメシ食わなくていいのか?」 「……坂峰先輩」  星海は茫然としたまま真帆を見つめる。 明るい真帆と暗い星海は正反対の性格であったが、入社してから孤立する星海のことが何かと気にかかり、真帆の方から時々ランチに誘ったりしていた。なので、星海が社内で唯一といっていいほど信頼を置いている先輩社員であった。 「……オレ、また同じミス繰り返しました」  真帆の陽光のような空気から逃れるように、星海は再び下を向き、振り絞るような声を出す。 「……うん」 「オレなんて、この会社いないほうが良いんです」  真帆がただ黙って聞いていてくれるので、星海は次第に口調が速くなった。 「あまりにも仕事ができないから、自分に何かあるのかと思って、この前病院に行ってみたんです」 「……うん」 「……そしたら、オレADHDっていう発達障害だったんです」 「……」  黙ったままの真帆に対し、星海は皮肉な笑みを浮かべ、更に下を向き話し続ける。 「不注意多動性障害ですよ。オレ16歳の時に初めてのバイトで、パン屋で働いてたんですが、客がレジの前にたくさん並んでるのに、レジ打ち間違えたり、食パンを機械で切るときに、切り方何回も間違えて、覚えられなかったりして、めちゃくちゃ店長に怒られて、辞めさせられました。その後も、スーパーの品出ししたり、児童館の事務やったりしたんですけど、どれも全然ダメで……。大学3年生の終わりの時に、就活が近づいて来て、このまま社会に出て、会社員になんてなったら、いずれ死ぬしかなくなる時が来る、死にたい、死にたいって思って、毎日食べたもの吐くようになってました……。その後、周りに煽られて、何とか就職してこの会社に入ったんですけど……、案の定、やっぱダメでした。オレダメ人間なんです。いくら良い大学出てたって、仕事出来なきゃ意味ねえもん。毎日毎日課長に怒られて、契約社員のおばさんたちにも、陰で悪口言われて……オレなんて、死んだ方がいいんだ」  星海は、生まれて初めて自分の障害とそれによる失敗だらけの人生の過程を人に話した。そうするとなぜか心がすっとした。 いつの間にか大粒の涙が屋上の固い地面に落ちていた。  真帆はずっと黙っていたが、口を開くと吐息のような言葉を漏らした。 「……三船、よく話してくれたな。今まで辛かったな」 「……先輩……」  真帆は前を見つめたまま星海の身の上話を聴いていたが、星海の顔を真っ直ぐに見る。 「三船、お前なんか得意なこととかないのか? 人より、これだけは得意だって言えること絶対あるはずだぜ」  星海は真帆の顔を見た後に、下を向き、そして思い出したように顔を上げる。 「そうだ…。オレ、人とは違う景色が見えるときがあるんです」 「人とは違う景色?」 「たとえば、学生時代だと先生が授業で話しているときに、急に話が耳に入ってこなくなったかと思えば、全然違う景色が見えていて、そう、映像が流れているんです。会ったこともない人物たちが目の前でドラマを繰り広げているんです。時代も、大正時代だったり、江戸時代だったり、戦国時代だったり……。そしてふっと意識が戻ると、また教室に戻っているのですが、意識がない間に先生が話してた内容に追いつけなくて……」 「それだ」 「え?」  星海は急に肩を叩かれたかのように驚き、真帆を見る。 「お前、それ、才能だよ。それ生かせ」 「才能……」 「漫画とか、小説とか、何でもいい。話作ってみろよ。話作りの才能あるんじゃないか?そんなん、普通のやつが簡単にできることじゃねえからさ。自分の頭の中に見えるっつう映像を、形にしてみろよ」  はにかみ、星海の額を人差し指で示す。 「ここに流れてるやつ、オレ達に見せてくれよ」  星海は真帆を見つめた。真帆は柔らかく微笑むと、星海の肩を叩いた。 「話作りか……。漫画、小説……。オレの頭に見えてくるものって常に映像なんだよな。画力もねえのに漫画なんて描けねえし、小説も書いたことないのにいきなり書けるのかな…」  仕事を終え、家路についていた星海は腕を組み、考え込んでいた。本当に真帆のいうように、自分に話作りの才能なんてあるのだろうか? ただ自分は頭の中に見えていた映像を、自分一人で見て楽しんでいただけであったというのに。この映像を人に見せる術が分からなかった。 「でも見えてくるものが映像ってことは、映画とかドラマとかか…。あっ、脚本ってどうだろう?」  思い出したのは、自分は学生の頃から映画を見ることが漫画や小説を読むよりも好きだったということだ。映画の世界にいると、他の人間が頭の中に描いている映像を画面を通して見れているような気持ちになってくる。 ただ自分は不器用で動画など作ったこともなかったが、文学部なので文章を書くことには慣れていた。映像は脚本に沿って動くと、大学時代の映画の講義で聞いたことがあった。 内ポケットからスマートフォンを取り出した。会社員をしながらでも脚本について学べる場所を探してみようと考えた。独学では不安があったからだ。そして最初に表示された脚本家養成所に目を止めた。他の養成所と比べ、値段が破格に安い。 「ここに通ってみるか…」      表参道にあるシナリオ教室は有名な脚本家を次々と世に送り出しているとは思えないほど、小さな錆びれた建物であった。  星海は会社帰りに1時間以上かけてシナリオ教室に通い、毎週講師に出されたテーマに沿った脚本を書いてくるという宿題も落とすことなくこなしていった。  そして、脚本を書いている間は、自分の中に高揚感が生まれていることに気づき、楽しさを見出していた。半年の養成講座を終えると研修科に進級した。社会人になってから学校に通い、進級することがあるとは思いもせず、社会に出てからずっと忘れていた懐かしさに再び触れたように感じた。    10人も人が入れないような小さな教室の黒板に『「課題」メロドラマ「辻斬りの初恋」三船』という言葉と登場人物表が黒のペンで書かれている。 「……古田、おふじと口づける。終わり」  星海は長テーブルの椅子に腰かけ、プリントアウトした原稿に目を向けたまま自分の書いた脚本の朗読を終えた。  養成講座までは自分の書いた脚本を提出し、翌週に講師からの返却を待つだけでよかったが、研修科に進むと、自分の脚本を書類で提出するのではなく、その場で読み上げて同じクラスの生徒と講師に感想を言ってもらうことになる。そのことを知ったとき、最初は恥ずかしさを覚えたが、周囲の者が恥ずかし気もなく読み上げていくのでそれがこの学校では普通のことなのだと感じ、星海も徐々に慣れていった。  研修科講師の村竹は、その声を聞き届けると優しく他の生徒を指名する。 「三船君ありがとうございました。じゃあ、感想を、はい、川北さん」  テーブルを囲み6人の生徒が座っている。シナリオ教室に通う生徒は学生だったり会社員だったり、フリーターだったり主婦だったり、老若男女問わず多様な人々が「文章を書く」という同じ目的の為に集まっていた。 会社と自宅の往復で閉鎖された人間関係しかなかった星海はその環境も新鮮だった。  指名された女子大生の川北文子(かわきたあやこ)が、星海の作った脚本の感想を話す。 「面白かったです! 古田がめちゃくちゃかっこよかったし、オチもよかった」  にこにこと文子の感想を聞く村竹に、星海は恥ずかしそうに顔を伏せる。 「じゃあ次は、はい、秋山さん」  村竹はフリーターの生徒、秋山信夫を指名する。 「いやあ台詞が若干古臭すぎるかなぁとも思うんすけど…、面白かったです。続きもぜひ聞いてみたいです」  村竹は信夫の感想を聞くと、笑顔を星海に向けた。 「皆が書けない書けないって言ってる時代劇をすらすらと書けてすごいよ」 「あ、ありがとうございます」  星海は恥ずかしさから顔を赤く染めていたが、今まで感じたことの無い自己肯定感を感じていた。 (オレ、今まで生きてきてこんなに人に褒められたの初めてだ……。すげえ楽しい……。オレもっと書きたい。もっと書いて、人を喜ばせたい)  星海はテーブルの下でこぶしを強く握りしめた。真帆が言ってくれたようにもしかしたら、本当に才能があるのかもしれない。それは思ってもみなかったことだった。空想とは、星海にとって日常で、誰しもが同じように自分の感覚を持っているのだと思っていたからだ。それは星海にしか描けない世界観だったのだ。 (才能……、オレが……?)  目を見開く。今までの人生で人が当たり前にできることが出来ず、自分のことをダメ人間だと否定し続けてきた星海には、今の状況が信じられなかった。そして、脚本賞に応募し、受賞を得ることが出来ればプロになるという道も夢ではないのだ。 (脚本家か……。オレがそんな者になれるんだろうか。こんなつまらないオレが) 「そういえば二か月後に城戸賞の締め切りだけど、出そうとしてる人いる?」  村竹の言葉で我に返り、自分の思考から現実に引き戻される。 「城戸賞かぁ~。私の今の実力だと無理だと思うので、今回は出しません」  文子は苦笑いをする。 「あー、一応考えている話があるんで、今書いてるやつを出そうと思ってます」  自信ありげに信夫は答えた。 (城戸賞……)  城戸賞とは、シナリオコンクールの最高峰の賞のことである。歴代の受賞者には近年だと「のぼうの城」の和田竜や「超高速!参勤交代」の土橋章宏等、現在一流の脚本家として活躍している者ばかりである。城戸賞を受賞した者は、その後の脚本家としての人生が約束されていると言っても過言ではない。  それに城戸賞で入選する作品は、星海の得意なジャンルである時代劇が多かった。  星海の耳には周囲の生徒の雑談が入っておらず、暗闇と眩い星の海の中にいた。その宇宙空間に自分と、自分が書き上げた脚本だけが存在していた。 (城戸賞……。オレの目標にしよう)  星海は決意の眼差しで、自分の脚本を握りしめた。  その日から星海は休日は図書館に通い続け、江戸時代の教育に関する資料を集めては読み込み、頭の中にインプットしていった。ふいに公園を散歩していた時に、目の見えない寺子屋の教師が貧乏な長屋の少女に勉強を教えているという映像が浮かんだのだ。  この映像を何とか形にし、城戸賞に応募しようと考えた。そのためには時代考証を審査員が読んでも矛盾の無いものにしなくてはならない。  そしてインプットした資料を、自分の中に生き始めた登場人物たちに合わせて、会社終わりの短い時間に自宅で脚本を執筆していった。 (これはオレにしか書けない話だと思う……。オレなら出来るはずだ。自分のこと信じてやるなんて生まれて初めてだけど、今のオレなら絶対に文章で人に想いを届けられるはずだ)  薄暗い部屋の中で、白く光るパソコンの画面。その画面を見つめて一心にキーボードで文字を打ち続ける星海の姿だけがあった。  星海は現代日本にいるはずだったが、心はもう江戸時代の中にいた。 (ここでこのなら筆を持って『心』という文字をおに教えるはずだ…。こいつならきっとこう動く)  いつしか星海は自分の書いた世界を俯瞰して見ていた。そして登場人物の運命を握る神の視点を持ち、指を動かしていた。  夜の21時から打ち出した決定稿は、翌朝の4時に終わった。その間星海は時間が経っていたことも忘れていた。    城戸賞の受賞者の発表日、星海は会社に出勤して午前中阿久津に嫌味を言われた後、昼休みにすぐにフロアから駆け出し、スマートフォンで検索した。そしてあるページに目を止めると、手で顔を覆い、泣き崩れた。  その様子を弁当を持ってこれから食べようとしていた清掃員の女は口を開け唖然と見ていた。スーツ姿の大の男がスマートフォンを握りしめ、泣きながら笑っていたからだ。   「やった、やった……! やった! オレ、生きててよかった……。生まれてきてよかった……!」  その日、会社の屋上で真帆はタバコを吸って外の景色を眺めていた。緑豊かなこの街を歩く人々を上から見下ろす。 「……ストーリー考えてるときのアイツって、こんな風に自分の登場人物を見てんのかな……」  微笑を浮かべ、煙を吐き出すと、屋上の階段を駆け上がる足音が聞こえた。  振り返ると、息を荒げ、両手を自分の膝に置き、体を折り曲げた星海が立っていた。 「……先輩!」 「三船……どうしたんだお前、そんなに慌てて」  こんなに汗をかいて走ってくるような奴だったか。真帆は後輩の姿に驚き、持っていたタバコを落とした。  星海は息を整えると顔を上げた。その表情は憑き物が落ちたかのような爽やかな笑顔だった。 「オレ……。取りました……。城戸賞……。受賞しました!!」  笑顔から涙目になり、声に泣き声の混じる星海の言葉を聞いた時、唖然とした。 だが、顔を伏せ、目を閉じほほ笑む。  真帆は星海に近寄ると、ポケットに突っ込んでいた手を取り出し、星海の肩に両手を乗せ、真剣な顔で告げた。 「三船、お前会社今すぐ辞めろ」 「えっ……!」  真帆の突然の予期せぬ言葉に戸惑う。 「会社辞めて脚本家でやってけ。城戸賞ってすげえよ。お前、やっぱ才能あるんだよ。オレの言った通りだったろ?」  にやりとほほ笑む真帆。その笑顔を見た時、 星海は、自分はこの人のこの不純物の無い笑顔がずっと好きだったのだと気づいた。  そして、自分がこれまで脚本をこんなに懸命に学び、書いていたのは、他でもないこの人の言葉を自分が成し遂げたいという思いからだったのだ。  星海は一瞬顔を伏せ、唇を噛むと、真剣な眼差しで真帆を見つめ返した。 「先輩……わかりました。オレ会社辞めます」「よく言った。流石お前だぜ」  ぽんぽんと肩を跳ねるように叩く。星海はその律動に応えるように笑顔を返したが、その笑顔には切なさが混じっていた。 「先輩、でもオレは会社辞めても先輩とは会いたいです。先輩、またオレと会ってくれますよね?メシ行ったりしましょうよ」  真帆は星海の肩から手を離すと、俯き、屋上の階段に続く出口に向かって歩き始め、手前で足を止めた。 「いや、俺はもうお前とは会わない」  目を見開き驚くと、星海は体を真帆の方に向け、眉を歪ませた。 「先輩……」 「オレ、脚本習い始めてからどんどんイキイキしていくお前見てて気づいたんだ。オレが本当にやりたかったことは何だったのか。オレ、実は今日で出社するの最後なんだよ。会社辞めんだ。会社辞めて、カンボジア行く。学生の時、カンボジアに留学に行って見てきた貧困層の子供達を救いたいんだ。そのために働きたい」  真帆は踵を返し、再び星海に切ない笑顔を向けた。 「お前はこれから脚本家としての仕事が次々に来るはずだ。そんな大事な時にこんなオレに関わって時間潰してちゃダメだろ。だからお前とは今日でお別れなんだ」 「先輩……なんっ」  星海の声に被せるように強く真帆は言葉を返した。その声は怒声にも聞こえた。 「三船、お前書き続けろ! お前は天才だったんだ。お前は書くために生まれてきたんだ!」  その声に、星海は脳を拳銃で撃たれたかのような衝撃を覚えた。 (先輩の言葉はいつだってオレを撃ち抜く)  それは死の弾丸ではなく、いつだって生命力のこもった弾丸だった。 「オレ……。先輩があの時話作れって言ってくれなきゃ脚本家なんて微塵も頭に浮かばなかったし、自分に才能があるとも知らないままで、自分のことこれっぽっちも好きじゃないまま屋上で自殺してました。先輩、オレ、書きます。これから10枚でも、100枚でも、1000枚でも何枚も何枚も、毎日毎日書き続けて…。そうしてオレが一人前の脚本家になれたら、また会ってくれますか?」  星海の顔は涙で泣きぬれていた。真帆はその姿に微笑を返すと、瞳を閉じ、踵を返し再び出口に向かって歩き始めた。そして、小声で呟く。 「そうしたら……、お前が日本でオレに高い寿司おごってくれよ」  背をむけたまま片手を振り、階段口に消えていく。  星海は涙で濡れた顔で真剣に階段口を見つめていた。 「先輩……オレ頑張るよ」  自分はこの脚本という底の見えず、行先もわからない海の中を文章という櫂だけで泳いでいこうと思った。この先何があっても自分の筆力と想像力を信じて、自分の才能と共に生きていこう。自分の力を信じて。真帆が信じてくれた力を。  脚本を書くことで、離れた真帆や出会ったこともない人たちと繋がれるのだ。  星海はシャツの袖で乱暴に涙を拭くと、辞表を提出し、新たなる道に進むために戻っていった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加