モノクロトランペット

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モノクロトランペット  綺麗な緑色の葉をたくさんつけていた木々が、その色を紅葉色に変えようとしている季節。まだ残暑の残る澄み渡った空を眺めながら女性は歩いていた。  スマートフォンのアラームの音で目を覚ました私は、軽く伸びをすると顔を洗うために洗面台へと降りていった。  眠くて霞んでいた視界が、冷たい水によって鮮明なものへと変わっていく。  洗面器の引き戸にしまってある櫛を使い、肩までかかる髪を梳かしながらふと思うことがあった。  (この櫛ってどんな色してるんだろう)  櫛がどんな色をしていても私には、只の白黒にしか見えないのに、なんで今更そんなこと思ったんだろう。首を傾げて馬鹿みたいだと少し思った。  私は中学二年生の時に色を失った。目は色彩を失い、映し出すのは白と黒の世界だけ。今持っているこの櫛も、洗面台の色も窓から見える葉も、私には白と黒にしか見えない。  中学の時からで、もう慣れたはずだがふとした時に思ってしまう。  (いつになったら戻るんだろう)  医師には診て貰ったが、目にも脳にもなにも異常はない。なにか精神的なものではないかと診断された。  私には一つ心当たりがあった。色を失う前に起きた辛い事じゃないかと思う。  あの時のことを思い出すと今でも寒気がしてくる。なので思い出さないように必死に頭から振り払った。 「あら、起きてたのね」  朝のニュースを眺めながら朝食に食パンを食べていると、新聞を取りに郵便受けに行っていた母が戻ってきた。  軽く挨拶をして、視線を母からまたテレビに戻した。  母は新聞を持ったままテーブルに着き、ばさっと新聞を広げた。すると、新聞の間に挟まっていたチラシがテーブルを滑って私の前で止まった。そのチラシには、『秋波市吹奏楽コンクールのお知らせ』と書かれていた。  チラシを見た母は、慌てたようにチラシを掴むとぐしゃっと丸めた。 「ごめんなさい、確認すべきだったわ」 「大丈夫。寧ろそんなに気を使われると余計に気にしちゃうから」 「そう」と母軽く答えると新聞を広げた。  静まり返るリビングに、ニュースキャスターの声と新聞をめくる音がいやに大きく聞こえる。  微妙な空気に耐えかね、私はすぐに支度をして家を出た。  外も相変わらず色のない世界。  私が何色の服を着ているかも分からない。  色がないだけで世界ってこんなにもつまらないんだ。 ◆ 「はぁー、退屈だよー!中学生になったのにやりたい事もないよー!」 「小学生から中学生になったくらいで、そんなすぐ変わるわけないだろ」 「だって〜」  喚くかおるに対し、かおるの父はダンボールを漁りながら答えた。 「さっきからなにしてるのー」 「いて!なにすんだ!」  父の言葉にイラっとした私は、父に覆いかぶさった。よろけながらも転ばずに立て直した父は、目的の物が見つかったのか「あった!」と大きな声で言うと一枚のCDケースを持っていた。 「それ、なんのCD?」 「これDVDなんだ。七年前に秋波市で中学生の吹奏楽コンクールが行われた時の」 「七年も前のなんてなんで持ってるの?」 「確か…」  父は、DVDをテレビに繋げてあるブルーレイレコーダーに入れて流す準備をしながら、なぜDVDを持っているのか聞かせてくれた。  七年前、休みでやる事がなくふらりと立ち寄ったのが、このコンクールだったそうだ。元々音楽に興味なかった父だが、私が今通っている、秋波中学校の演奏がすごいと感じて買ったらしい。 「よし、これで大丈夫」  再生の準備が終わり、リモコンを手にソファに腰掛けた。私もそれに習うように横に座った。  映像には、赤を基調とした幕が垂れていて、ステージ上が見えなくなっていた。観客の話し声や、幕の裏で準備する音がホールを包んでいたが、しばらくするとブザー音が鳴り、観客達は一斉に静かになった。 「これより、秋波市吹奏楽コンクールを開催致します。第一校目、千葉市立浅間中学校。課題曲『青空の旅』、自由曲『水連』です」  アナウンスが終わると、赤い幕がゆっくりと左右に分かれていった。幕で覆われていたステージが段々と露わになっていく。  ステージ上では明るい色の照明が、金や銀や黒などの色で彩られた楽器たちを輝かせている。  その初めて見る光景に心を躍らせた。こんな綺麗なものがあるのかと。  タキシードを着た指揮者の男性と楽器を持っている生徒たちが、カメラの方に向かって一礼すると、指揮者がこちらに背を向け指揮棒を頭の上まで上げた。  一拍おいて、指揮棒を優しく下に下ろした。途端、先程まで静けさに包まれていたホールに高い音。控えめだけど確かに感じる低い音。様々な音が響き渡った。  楽器たちの奏でる音は、わくわくするがどこか、落ち着くような感じがした。  複数の中学校の演奏を聴いた後、秋波中学校の演奏の番になった。  秋波中学校の自由曲は『月の徒』だった。  演奏は他とそんなに変わらないと素人の私は感じた。  だが、中盤に差し掛かった時、不意に一人の女生徒が立ち上がった。その女生徒はトランペットを持っていて、一人周りの音が消えるのを待っていた。他の楽器の音が消えた途端、小さく息を吸って一人立ったままトランペットを吹いた。その音は全く風の吹かないこのホールに小さく、だけど力強い風が黄色やオレンジ沢山の色を乗せて舞った。他の学校の演奏者よりも上手い。未経験の私でもそれだけはわかった。 「お父さん!私、吹奏楽やりたい!」  秋波中学校の演奏が終わるなり、早速父に吹奏楽をどうしてもやりたいと伝える。 「トランペットの子すごい上手いもんな!吹奏楽に興味を持つのも分かる。だから俺もDVD買ったわけだしな」  父は学校の部活でやってみたらいいんじゃないかと言ってくれた。 (私も早くあんな風にかっこよく吹いてみたい) 「明日学校行ったらすぐに吹奏楽に入る!」 ◆ 「今日は歴史上の話をしていこうと思う」  窓から差す暖かい日差しと講義室に充満する冷たい風がなんとも心地良く、昼食後の私たちにこれ以上ない睡眠欲をかき立ててくる。  白黒の葉が残り少ない夏の風を浴びて静かに揺れている。 「有名な著者の相田沙夜さんは、実は色覚異常で物の色が白黒にしか見えなかったと言われています」  私も日差しと冷えた風が奏でる睡魔に身を任せようとしていた時、一人淡々と話していた教授の言葉に耳を傾けた。  彼女の小説は色の表現の仕方が非常に上手く、読む者全てを色の魅力に引き込むと言われていた。  そんな彼女の書いた初めて書いた小説は、三十年前のものにも関わらず今でも根強い人気がある。  小説の題名は『色』。  『色』には彼女自身の事が書かれている。  生まれた時から色覚異常で色がない世界だった。最初から色がなかったので、これが当たり前のことで何にも変じゃないと感じていたが、小学校に上がった時に普通じゃない事を知った。  折り紙を使った授業の時みんなが、「俺は青が良い!」とか、「私は黄色!」と私の分からない事を言っていた。青?黄色?初めて聞く言葉に私は疑問をぶつけてしまっていた。  その時のみんなの反応を見て、私は普通じゃないんだと気付かされた。  小学生というのは単純で、普通じゃない人を仲間外れにする。  色の見えない私は普通じゃない、だから仲間はずれにされた。  それから学校に行くのが怖くなり不登校になっていった。  そんな時出会ったのが市の吹奏楽コンクールだった。  今まで歌詞のある音楽しか聴いてこなかった私は大小様々な楽器が奏でる美しい音に魅了されていた。聞いていたグループの音楽が中盤に差し掛かった時、ラッパみたいな楽器を持った女性が立ち上がった。  すると、他の楽器の音が消え女性が小さく息を吸うのが聞こえた。一拍開けるとラッパから力強い、しかしどこか透き通るような音が聞いている人の耳を支配した。  その音を聞いた私は、今まで色のなかった世界にほんの一瞬だけ色を感じた。ステージ上だけを照らす、黄色か暖かい光。演奏者たちが持っていたのは金や銀に彩られた美しい楽器。  (綺麗だ)  初めて見た色に感動した。  私はこの感動を忘れてはいけない。そう感じ、今見ている景色を必死に脳裏に焼き付けた。  小説家になろうと思ったのは私の他にも色がない人達に私の見たもの、色を伝えたいと思ったから。 「私はこの作者を尊敬している。」  相田沙夜の話を簡潔に伝え終わると、教授は作者のここがすごいなどを話し始めていた。  色がない。今の私と同じなんだこの人も。  でも、この人は音楽に出会って変わっていった。  だったら私も音楽を聴けば……。  『変わるのかな』とは思わなかった。  私から色を奪っていったのは音楽だったからだ。  中学の時、私から色を奪っていった人たちを、七年が過ぎた今でも忘れられない。  それは私が中学二年生の吹奏楽コンクールの少し前。私が通っていた秋波中学は、コンクールに出場するためオーディションを行なっていた。  オーディションは各パートからの選抜メンバーの選出と、自由曲の中盤にあるトランペットのソロを決めるためのものだった。  私は小学生の頃からトランペットをやっていたのですごく自信があった。それでも上手い先輩もいたので、私はソロを吹けるように一生懸命努力した。  努力の甲斐あって、私は見事にソロパートに選ばれた。  ソロパートに選ばれてから練習はもっとするようになった。  反感はなかったわけではないと思う。その時は、「まだ二年生だし来年もあるから三年生に譲ってあげるべきだよ」なんて声もあったが、私は聞かないふりをした。  コンクールには上手い人が出るもの。それはスポーツでも同じだ。下手な三年生より上手い一年生が試合に出るなんてよくある事だったから。  しかし、それは後々に響いていった。  市のコンクール当日、秋波中学校は無事に演奏を終えた。  結果発表の時、出場した全中学校の生徒が観客席に座り、代表の二名だけがステージ上に待機していた。  審査員の人が、黒いボードに貼られた一枚の紙に書いてある結果を読み上げた。 「環中学校、銀賞。坂水中学校、金賞」  青春をかけて挑んだコンクール。淡々と述べられる結果発表に少しむかつきながらも、固唾を呑んで自分たちが呼ばれるのをひたすらに待った。 「秋波中学校、金賞」  私たちの学校の名前が呼ばれた瞬間、心臓がはち切れそうな感じがしたのも束の間、続いて読まれた言葉に秋波中学の生徒たちは歓声の声を上げた。  だけど、これでまだ終わりではない。金賞の学校は全部で三校ある。その中から県大会に行けるのはたったの一校のみ。それ以外は一般的に『ダメ金』と呼ばれている。私たちは全国を目指しているので、ここで『ダメ金』では意味がない。全国を目指して頑張って来たんだから。  金賞の三校が、県大会に行ける一校の発表をまだかまだかと待っている。 「続いて県大会に出場する一校を発表します。県大会出場は……」  その短い間が、時が止まってしまったかのように果てしなく長く感じた。 「坂水中学校」  私たちの夏がその瞬間、終わりを告げた。  無気力のまま控え室に戻り帰り支度をしていた。  控え室には女の子たちの泣く声や鼻をすする音、壁をドンとなぐる音が常に響いていた。 「ねぇ、はるか」  その沈黙を破ったものがいた。同じトランペットのしおり先輩だった。  しおり先輩は三年生の中で一番上手くて、今回私とソロをどっちが吹くかで競った人だった。 「どうか、しました?」  流していた涙を手で拭い、まだ少し震える声で先輩に答えた。 「あなた、ソロパートの時少し音変だったよね。そのせいで県大会には行けずにダメ金で終わっちゃったじゃない」  言いがかりだ。私はそう反論しようとしたが、周りのみんながそれを許してくれなかった。しおり先輩に賛同するように、ダメ金だった悔しさをみんな私にぶつけて来た。 「そうだ、お前がソロを吹いたからだ」 「だから私はしおり先輩が吹くべきだと言ったのに」 「お前のせいで俺たちの夏はここで終わったじゃないか」  みんなが私を責め立ててくる。私がソロを吹いてしまったせいで、たった一度しかない中学三年生の夏を終わらせてしまった。 「あんたがいなければ全部上手くいったんだよ」  しおり先輩が放った言葉に私は目の前が真っ暗になった。  何も見たくない。大好きなトランペットも、私たちを照らす照明も、壁一面に貼られた鏡も、みんなの顔も全てが怖い。  なんでそんな目で私を見るの?私だって一生懸命努力してきたのに。  なのに、なんで誰も評価してくれないの?  全国に行けなかったのを、なんで私だけのせいにするの?  そんなのってないよ。  その場にいるのが辛くなった私は控え室を飛び出した。 「あ、おい!はるかどうした?」  控え室の扉を開けると偶然顧問の先生にあったが、聞こえないふりしてそのまま立ち去った。  外に出ると、涙でうまく見えていなかったせいで階段に躓きその場に倒れた。 「ひっ」  顔を上げると、地面や木々が回っていた。 『お前が楽器なんて持つからいけないんだ』 『お前さえいなければ』  アスファルトの地面や、風をまとって揺れる木々の葉までもが私を責め立ててくる。  (もうやだ、全部が怖いよう……)  あんなに好きだったトランペットも、同じ部活の仲間も全部が嫌だ。  (どうしたら楽になれるのかな?目が見えなくなっちゃえばいいのかな?)  分からない。  私の見ている景色全てがただ怖い、色が黒く見える。空の青も、地面の灰色も、木の茶色も、葉の緑も、その全てが黒色で私を責めてくる。 「私の演奏なんて誰も望んでいなかったのかな……」  私は目を閉じると気を失った。  目を覚ますとそこは白っぽいカーテンで遮られ、同じく白い布団に囲まれた場所だった。 「ここは……」 「良かった!目を覚ましたのね。ここは病院よ」  目を覚ましたばかりの私に声をかけてくれる人がいて、反射的にその人の方を見た。 「お母さん?」  見慣れた母の顔がそこにあった。だけど、いつも見ている母の顔とは少し違っていた。  母の肌は白を基調に黒い影が差し掛かっていて、見慣れていたクリーム色の肌ではなかった。 母の着ている服もシャツにワンポイントデザインが入っている服だったが、色がなかった。  いや、色はあった。白と黒それだけ。確かそのシャツは薄いピンクだった気がするんだけど。  なんで母だけ白黒なんだろうと思い、あたりを見回すと病室の入り口も、花瓶も添えられた花も全てが白黒だった。  まるで昭和のテレビの中に来てしまったようだった。 「脳にも目にも異常はありませんね」  母に色がない事を伝えるとすぐに医師に診て貰ったが、結果は異常なかった。  医師もこんなことは初めてだとお手上げ状態、精神的にショックな事があったから時間が経てば治るだろうと曖昧なことしか聞かせてくれなかった。  生きていく上で注意を払えば生活できないわけではないから、その内治るならいいかと私は思っていた。  (まぁ、今でも治ってないんだけど)  相田沙夜の話を聞いていたら、つい昔の事を思い出していた。  いつもは思い出すだけで寒気がするのにこの時は不思議としなかった。 ◆ 「先生!この曲のトランペットソロの部分教えてもらいたいのですが!」  夕陽の射す放課後。外で練習している野球部にも負けないかおるの声が音楽室に響き渡っていた。 「あぁ、これか。うーん。これ、まだかおるには難しいんじゃないか?」 「それでも吹いてみたいんです!」 「あ、あぁ、分かった。ここはな……」  かおるのぐいっと近寄ってくる圧に押し負けて、『月の徒』のソロパートを教えてあげた。  (なんか前にもこんな感じの生徒いたような気がしたな。いつだったっけ?) 「ねぇ、先生」  (確か、七年前だったような……) 「先生ってば!」 「あぁ、なんだ急に大声出して」 「さっきからずっと呼んでるのに、全然気付かないんですもん!」 「すまない。ちょっと考え事をしていてな。それでなんだ?」 「下校時間過ぎた後も練習したいんですけど、家だと近所迷惑になるからできないんです!なので、どこか良い場所ないですか?」 「それなら、この近くの丘のある公園が良いんじゃないか?あそこなら家も近くにないからどれだけ吹いても近所迷惑にならないぞ」 「分かりました!じゃあ、そこで練習してきます!」 「あ、おい!あんまり遅くなるなよ!」 「分かってますよー!」  かおるは走って音楽室を後にしていった。 「丘しかないじゃん」  丘のある公園は見たまんま真ん中に丘があって、それ以外は砂浜だった。三メートルくらいの高さがある丘の上に登り、かおるは「ここで練習しよう!」と言うとトランペットをケースから取り出した。 「なんか雰囲気良い!」  頂上に立つと、深いオレンジ色の夕陽が金色のトランペットを優しく包み込んでいた。  折りたたみ式の譜面台をセットすると、静けさ漂う公園にトランペットの音を響かせた。 ◆ 「なんであんなこと今更思い出したんだろう」  講義中に思い出した昔のことを少し考えていると、急に肩に重い衝撃が走った。「きゃっ」という短い悲鳴。咄嗟に私は「あ、ごめんなさい」と口にした。  中学生は軽く頭を下げると、そのまま走り去っていってしまった。  少女の後ろ姿を眺めていると、私の足元に何か落ちていることに気がついた。 「これって……」  落としていったものを拾い上げると、それはCDケースだった。  中は見なかったが、それは大事な物だと思い交番に届けようと思ったけど、まだそんな遠くへは行ってないだろうと少女を追いかけていった。  公園の近くまでは見えてたけど、そこから見失ってしまった。辺りをキョロキョロしていると丘の上に人がいる事に気がつく。さっきの少女だと思い丘に近づいていくと、音が聞こえてきた。  それはトランペットの音。私にとってはあまり聞きたくない音だった。  早くCD返して帰ろうとして少女に近づこうとすると足が止まった。  少女は笑っていた。  楽しそうに、でも一生懸命でトランペットが好きなのがすごい伝わってきてつい足を止めてしまった。  それは私が中学二年の時に手放してしまったもの、『音楽が好き、トランペットが大好き』そんな純粋な感情だった。  少女が楽しそうに奏でる音。  決して上手くはないけど、一生懸命で聴くものを包み込むような暖かい音色。  そんな音を聞いていると私は涙が溢れていた。  なんて綺麗なんだろう。なんて優しいんだろう。  (あぁ、懐かしいなこの感覚)  『パパー!私の演奏どうだった?』  『すごい上手だったぞ!誰よりも良い音だった!』  『えへへ、でしょー!私、もっともーっと上手くなって、みんなが楽しくなるような演奏がしたいの!」  『はるかならできるぞ!パパ応援してるからな!』  『うん!』  懐かしい想い出が蘇る。それはまだ、私がトランペットを始めたばかりの幼い頃。あの頃の自分と今の少女が重なって見える。 「こんなにもトランペットの音って美しかったんだ」  演奏を終えた少女は私の事に気が付き近寄ってきた。 「お姉さん大丈夫ですか?」 「うん、大丈夫。ごめんね邪魔しちゃって」  溢れた涙を手で拭い震える声で少女に答える。 「そうだ、これさっきぶつかった時に落としていったよ」  バックの中からさっき拾ったCDケースを取り出し渡した「あ!これすごい大事な物なんです。わざわざ届けてくれてありがとうございます!」 「ううん、私の方こそ、あなたのトランペット聞けてよかったよ」 「まだ始めたばかりで、下手くそなんで恥ずかしいです」  少女はトランペットを優しく撫でながら、照れくさそうに笑っていた。 「ねぇ君トランペット好き?」 「はい!大好きです!」 「どうして好きになったの?」 「実はこのDVDのおかげなんです」  そう言うと、少女はCDケースを大事そうに見つめていた。 「これ、七年前の秋波市の吹奏楽コンクールの映像なんです。そこに映っていた、秋波中学の自由曲『月の徒』。トランペットのソロパートの部分を見て感動したんです!こんなにも綺麗な音があるんだなって!それでトランペット始めようと思ったんです。この人みたいになりたいって」 「それって……」  収まっていた涙がまた溢れ出してくる。  さっきまでよりも沢山の涙が。 「このトランペットの人の演奏には色があるんです!初めて聞いた時、ほんとに色々な暖かい色が見えたんです!だから私も、この人みたいに誰かに暖かい色を聞かせてあげたいんです!」  少女のその言葉の瞬間、胸の奥で何かが解けるような感じがした。  涙をぬぐい顔を上げると、オレンジ色に包まれたトランペットと肌色をした少女が、茶色い瞳でCDケースを優しく見つめていた。 「そっか、そうなんだね。ありがとう」 「えぇ!なんでお姉さんがお礼言うんですか!」 「あなたのおかげで私は報われたよ。本当にありがとう」  今できる精一杯の笑顔を少女に向ける。  最初は困惑していた少女だったが、トランペットを胸に抱きとびきりの笑顔で「はい!」と答えてくれた。  その笑顔はトランペットのように金色に輝いていた。
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