青い春に夏をみる

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私は十八年後この世界からいなくなります。その前にあなたに会えますように。 遥か遠くの沈んでいた記憶が蘇ってきたのは、十八年目にして急に現れたわけではない。頭の隅にちらついていたそれは、年がいくごとに大きくなっていった。 いつ言われたのか誰に言われたのか、実際に言われたことなのかそうでないのかの曖昧さとは裏腹にその言葉はたしかに頭の中に存在するという事実だけは深く根付いていた。 二〇二三年、当時十八歳だった僕は、記憶の隅のあのメーセージの主を探していた。自分の妄想なのかという想いに駆られながら、必死にそれを求めた。結局のところ、その人へと続く道を見つけることができずに十八歳を終えた。僕は、記憶の中に眠り続けていた"事実"は、幻想だったことを悟った。その後、数ヶ月もの間、心のどこかでその事実を信じたくないという想いは残っていたが、時間は、ただそのままに過ぎていった。 そんな思いをもっていたはずなのに、時間はその記憶さえも風化させていった。僕は、大学生になり、それなりの生活を送っていた。それなりに忙しく、十八歳の時のように物思いにふけったり、あるか分からない"妄想"に心を躍らせたり、本気になったりする自分は、もういなかった。 だから、そんな現実ばかりをみるようになってしまった僕にとって、木南絹乃は昔の自分を見ているようだった。そんな彼女を見ていると、懐かしい気にさせられたり、少し恥ずかしい気持ちになったりもした。 彼女との出会いは、何年ぶりかにふらっと訪れた本屋だった。数年ぶりに会う約束をしていた友人との待ち合わせまでには時間があったため、その時間潰しに本屋に入った。一度入ると何時間でもいられると思っていた頃の懐かしさが残る本屋で、僕は、医学の専門書をパラパラとめくっていた。このコーナーは、利用者も少なく貸し切り状態になっていた。自分の部屋にいるかのようにリラックスしていたため、彼女に話しかけられた時、人がいることに驚いて、また、そんな自分を見られたことが恥ずかしかった。 「あの、少しだけその場所を開けさせてもらってもいいですか?」 彼女は、僕の足元にある在庫用のスライド式のボックスを指した。僕は、どうぞとその場所からずれると彼女は、ニコッと会釈して重そうに両手で在庫用の本棚をスライドさせた。自分と彼女の他には誰もいないこの空間の影響で、僕は彼女に対して親近感を覚えた。 「ここにくるってことは、医療関係のことを勉強をされてるんですか?」 僕は、しゃがみながら在庫のボックスを覗き込む彼女に話しかけた。彼女は、振り返りながら斜め後ろにある僕の顔をみて、首をぶんぶんと横にふった。 「ちがいます、ちがいます。私は、ここでバイトしてる人なんです。今はシフトの時間じゃないんですけど、この近くに遊びに来たついでにって思って覗きに来たら、手伝わされちゃって。」 僕が少し落胆したような顔をしたのを見逃さなかったのか彼女は僕を気にかけるように声をかけてきた。それは、ついさっきまでのイメージとは違って一人の店員さんになっていた。 「何かお困りですか? お探しの本とかありましたら、おっしゃっていただければお探し致しますが。」 「いや、そういう訳ではなくて。この空間ってこの専門を勉強する人しか来なさそうだなって思ってたので、つい同じ方面の勉強をしてる人かなって考えて、勝手に親近感を覚えていました。そしたら、違うっていうから。」 「そういうことでしたか。紛らわしいことしちゃって、ご期待に添えず申し訳ありません。でも、その気持ち分かります、すごく。しかも、私服姿の人間が店員だなんて思いませんよね。」 頷きながら同情している素振りを見せる彼女は、店員の彼女ではなく本来の彼女になっていた。 「でも、かっこいいな。人の為に働く道を選べるなんて。私なんて自分のことで手一杯だし。」 それをいうと、しばらく自分で言ったことを反芻するような素振りを見せた。そして、突然、何かを思い出したように慌ててみせた。 「ごめんなさい。勝手に色々と言ってしまって。 私も同僚から頼まれてた仕事を早くやらなきゃ。」 そういうと、店員の彼女に変わった。手際よく、何かを確認してメモを取ると、スライド式の在庫ボックスを元に戻して立ち上がった。 「ご迷惑おかけしました。それでは、ごゆっくりなさってください。失礼致します。」 彼女は、四十五度のお辞儀をすると、柔らかな笑顔をすると、立ち去ろうとした。僕は、思わず彼女を呼び止めた。この表情の彼女が店員としての彼女なのか、素の彼女なのかは、ほんの数分しか話していない僕には分かりかねた。しかし、そんなことはその瞬間にはどうでも良かった。ただ、彼女をもっと知りたいという想いだけがそうさせた。 「あの、、。  また、会うことはできますか?」 呼び止められたことに少し驚いたような表情を見せたが、再び柔らかな笑顔をこちらに向けた。 「ええ。いつでも、ご来店お待ちしております。」 ホッとした様子の僕に、会釈をすると彼女はレジの方へと去っていった。本屋の中でも肩身が狭そうにして展開されている小さなブースの中は、再び貸切状態になった。 その後も、彼女がこのブースに来ることを少し期待したが、再びこのブースに戻ってくることはなく僕は、約束の時間を迎えて、本屋を後にした。
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