明日が来る前に置手紙

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明日が来る前に置手紙

 こんにちは。平水葵です。  こういうのを書くのは初めて、ですかね。  ちょっと最近思うところがあるなので、今しかないと思ってこれを書いています。  “私”には明日から、自分の人生に手一杯な時期が訪れます。  そのあと、他人(ひと)の人生を背負い込む時期も訪れるでしょう。  同時に、今よりずっと“私”自身を可愛がらないと、きっと心身が持たなくなると思います。  その時なお、私はあなたのそばにいられるでしょうか。  “私”は、筆を動かし続けるでしょうか。  私は――。  あぁ、将来への不安は、誰にでもあるものです。  それで、例えば“私”は――詳細への言及は避けますが――しばしば自己嫌悪に苛まれ、あるときは絶望し、そして間に合わせの言い訳で大丈夫なふりを続けている。  この息苦しさを昇華させれば自分も表現者になれると思っているけれど、一方では、未熟で弱い自分に幻滅している。  それがまた、将来への不安につながってしまう。  苦しいですね。つらいですね。明日が来るのが、嫌になりますよね。  でもね、これに対して、私は最近思うようになったのです。  この不安は、苦しみは、「将来」に至ったらなくなるのだろうか。  なくなるのではないかと、私は考えています。  そしてそれこそが、本当の大人になる、ということなのではないかと。  そのときが来たら、つらい現実も愚かな自分も全て受け入れ、前を向いて、愛して生きていける。  表現などなくても、自分らしく、清々しく生きていける。  喜ぶべきことです。これを目指して、歩いていくべきです。  しかしそれが、私にはこの上なく恐ろしい。  そうそう、先程「表現者になれると思っている」と書きましたが、そもそも表現者になりたいわけではないんですよね。  ただ表現が認められることを望んでいるに過ぎないんですよね。  褒めてほしい、わかってほしいという、無邪気すぎる想い。  それが単なる身勝手な欲求であることは、誰よりも“私”が一番理解している。  そして、理解しています。  だからこそ嫌なのです。困るのです。  私はまだ、何も成し遂げていない。  今捨てられるのは嫌だ。  いっそのこと、表現者として生きる道を選んでくれたらよかったのに。  その単純な欲求を突き詰めようと、決心してくれたらよかったのに。  あなたの将来は、明日から本格的に始まるのでしょう。  何と素晴らしく、喜ばしい。  あなたにとっては幸せなことばかりではないかもしれませんけれど。  最期になるかもしれませんから、我儘を言わせてください。  苦しみは、なくなりませんように。  これからも私を必要としてくれますように。  私を隣に置いてくれますように。  私は、明日もでしょうか。  願わくば、あなたの感情と共に。あなたの人生と共に。 あなたの輝かしい明日と、私の存続を祈って  おやすみなさい            平水葵から“私”へ            将来前夜の置手紙
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