木曜日

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「ヘンに噂になったりとかもでてくるし」 「その時は葛城さんちゃんと責任とってくださいよ?」  橋口のからかう口調に葛城が「おう」と答えるのに対し、晴香は虚ろな目をしたまま「はは」と乾いた笑いを浮かべる事しかできなかった。  その後、橋口と遠藤に両方から腕を抱き込まれたまま更衣室に入ったので晴香は軽く着替える。二人とはあれこれと会話は続いているものの、すでに場所を移動したのもあって話の中身は変わっている。これでようやく落ち着けると思った晴香は、ロッカーを閉じると共に意識を切り替えた。今からは仕事の時間だ、今日も一日頑張ろうとそんな殊勝な考えまで抱いていたと言うのに何故か天は晴香に厳しい。 「日吉さん、いくら葛城君が先輩だからって女の子が簡単に男を泊めるのは危ないからね?」  この場合もちろん悪いのは葛城君なんだけど、とフォローも入れつつ営業主任からお小言をもらった。それだけでも意識を飛ばしたい勢いであったというのに、他の先輩社員からも同様に声をかけられ一体どこまで話が広がっているのかと泣きたくなった。あとこの話は誰が広めているのかよもや先輩が、とつい疑いの眼差しを向けそうになるが、そもそも社内であれだけ騒いでいれば誰かしらに聞かれていても当然である。特に口止めもしなかった、と言うか忘れていたので総務の女子社員の間でも広まるのは時間の問題だろう。実際昼休憩の時には冷やかしのメッセージがいくつか届いた。  しかしどれも全てが「今回は相手がよかったから問題ないけど、他の相手だとそうはいかないから気をつけろ」という中身ばかりで、やはりこれはと晴香は一人大きく頷く。 「またお前なんか妙なこと考えてんだろ」  スパン、と小気味良い音を立てて後頭部が叩かれた。休憩から戻ってきた葛城に「セクハラにパワハラですよ!」と訴えるが華麗に流される。 「で、今度はなに考えてた?」 「先輩の信頼度が絶大だなと改めて痛感してました」  その筆頭はお前だけどな、と葛城がポツリと零すがあまり意味を考えるでもなく今度は晴香がそれを流す。 「あとわたしと先輩だとまかり間違ってもそういう関係に思われないんだなって!」 「イイ笑顔で言うことがそれか」  成人した男女が一晩共にしたと知られても、誰もそこに性的な可能性を考えない。それはつまりは恋愛関係にあるという事すら考えられないわけで。  これで会社の人にバレずに済んだ、とあまりにも喜んでいれば座っていた椅子をクルリと回される。葛城と正面から向き合う状態で、そして目の前のイケメンが殊更笑顔を向けてくるのでこれはヤバイやつ、と晴香は咄嗟に額を隠す。が、痛みどころかなんの衝撃も無い。不思議に思いチラリと視線を向けると呆れたような、それでいてどこか優しさのある瞳とぶつかり思わず額を抑えていた掌が緩む。  途端、葛城の長い中指が親指に弾かれて飛んできた。
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