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本日も何事も無く仕事が終わり、晴香は定時だ定時と浮かれていた。今日はゆっくり過ごすんだ、と思った瞬間蘇る記憶に堪らず叫びそうになる。いっそ壁に頭を打ち付ければ忘れてしまえるのではないか、と本気で考え始めた頃に突然中条に捕まった。
「日吉ちゃんご飯行こっか!」
イケメンの笑顔は目に眩しい。うわ、と両目を閉じつつ今週はずっと外食続きなのでと断るが、日吉ちゃんの財布は別にあるから大丈夫と押し切られる。財布、と脳裏に浮かぶのは一人しかおらず、そのままロビーに連れて行かれた先で待つ葛城にやっぱりかと晴香はなんとも微妙な顔をしてしまう。できれば今日はあまり会いたくないと言うか会わせる顔がないと言うか。
「注射打たれる前の動物みたいな面になってんぞ」
どうしたって昨日のことを思い出すから恥ずかしいんですよ! そう叫ぶに叫べず晴香は「例えがひどい」と葛城の脇を勢いよく突いた。
いつも行くチェーン店の居酒屋ではなく、メイン通りから少し奥まった所にあるイタリアンの店に三人は入った。晴香も何度か連れて来てもらったことがある店で、値段の割にボリュームが多く味も美味しい。
「今日のは疲れたー」
営業先の店舗で悪質なクレーマーに絡まれていた店員の変わりに応対したはいいけれども、余計な精神力を使って疲れた、と言う中条が今は葛城と晴香に絡んでくる。
「中条先輩クレーム客の応対上手いのに、それでも疲れたりするんですね」
「そりゃそうだよ。そもそもクレーム対応なんてしたくないし」
「でもわりと結構中条先輩クレーム来たとき変わってくれたりしません?」
コールセンターがあるにも関わらず、どこから入手したのか希に営業部直通でクレームの電話がかかってくる時がある。対応部署に回そうとしてもそれを許さず、たまたま電話に出た相手を好きなだけ嬲ってくる悪質なクレーマーがほとんどなので、電話に出るのに若干の緊張が走る。そんな時に中条がいるとすぐに電話を引き継いで上手いこと纏めてくれるのだ。
「そりゃコイツの方が口が回るから」
「それはお前もだろ。日吉ちゃんは頑張って自分で片付けるのが多いよね」
「最初はイヤでしたけど、先輩の教えを受けてだいぶ平気になりました」
「葛城の教えって?」
「馬鹿がなんか言ってるなって」
ブホ、と飲んでいたワインを危うく吹き出しかけるがなんとかそれを耐え、中条は晴香の隣でピザに食らい付いている男を見る。
「お前日吉ちゃんにロクなこと教えてないな」
「ちゃんとしたのならともかく、うちに直通のなんて馬鹿が自己顕示欲満たしたくてかけてきてるだけだろ? 本気で聞く必要はねえよ」
「中条先輩はクレーム客を相手にする時ってなにかコツって言うか、心構えあるんですか?」
「俺よりよっぽどコイツのが酷いぞ」
指に付いたソースを舐める葛城に中条は笑いを浮かべる。
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