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………………と、思っていた。のに。
「浅倉さん」
何がどうなったのか、彼女の甘い声が私の名前を呼ぶ。吐息が、重なる。柔らかい感触。私はと言うと、「ああ、彼女の口紅がついてしまって、キスをしたのがばれてしまうんじゃないのかな」なんて、冷静なことを思った。
不倫。
不穏な字ズラだ。
ええっと、おかしいな。確かに、橘さんは綺麗で憧れているって言った。でもそれが、どうしてこの状況に辿り着く?
薄暗い資料室。埃っぽい。色気も雰囲気もないようなその場所で、二人っきり。いつ、そんな展開になった?
橘さんからはやっぱり甘い香りがする。なんていう香水を使っているのだろうか。彼女の雰囲気に合っていた。至近距離にあった、その柔らかそうな体躯が触れることなく離れていく。
「……浅倉さんって、わたしのこと、好きでしょ?」
なんという言葉なんだろうか、と思った。
アサクラサンッテワタシノコトスキデショ?脳みその中で繰り返してみる。魔性の言葉かな。彼女の美しい唇が、綺麗な弧を描いて笑う。
ここで「好きです」なんて言っていいものなのか。躊躇った。不倫。不穏な文字が頭を過る。なんなんだろう、この、口づけの意味はなんだ?
彼女も私を? いや、まさか。
「……かん、違いじゃ、ないですか…?」
認めては駄目だと、私の中の私が警告する。不倫。ダメ、絶対。
「……ふーん?」
橘さんは目を細め、笑った。
先程とは雰囲気の違う笑みだった。
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