31人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
2DKのアパートに帰ると、やっと呼吸が出来るようになった心地がした。まるでずっと息を止めていたみたい。はぁっと大きく息を吐いた。
なんの変哲もない玄関が私を迎える。狭い玄関だ。単身者向けのアパート。嫌でも想像してしまう。橘さんは、去年、地元の工務店で注文住宅を建てたって言ってたっけ。短い廊下を薄暗闇の中で進み、ダイニングに着いてからやっと、電気を点けた。
買い物バッグの中身を冷蔵庫に片付けて、手を洗った。水が冷たい。冬の訪れを感じさせる。
テレビの前のローテーブルの上に、冷蔵庫に片付けなかったお弁当を置いた。晩御飯。半額引きになった、唐揚げ弁当。ーーー橘さん家はきっと、彼女が作った美味しい手料理がダイニングテーブルに並んでいるのだろう。天と地の差である。橘さんと私の生活は、何処まで行っても、きっと交わらない。
不意に、自分の指先が唇に触れた。
柔らかかった、その感触を思い出す。あの後、慌てて鏡を見たが、彼女の唇の赤は私に移ってはいなかった。
あれ?私の妄想だった?ーーーそんなことを考えてみたりもした。それでも、妄想にしては生々しく、いつまでもその熱は私の唇に残っていた。今も。
テレビを点ける。
どのチャンネルに変えても、代わり映えのしないバラエティー番組。興味の無いドラマ。消す。暗くなった画面が鏡になって、冷たい唐揚げを箸でつまむ、冴えない私を映した。
寂しい現実は、客観的に見るものではない。
再度、テレビを点ける。賑やかな音を今、あまり聞きたくなくて。何話目かも知らない刑事ものっぽいドラマに目を向ける。「彼女のことをよく知る必要がありそうですね」ーーー助手っぽい小柄な女の人が、背広を着た長身男性に言う。堀の深い顔立ちのその人は「そうだな」と耳に心地いい低い声で同意して頷いた。
そうだね。なんで彼女は、私にキスなんてしたんだろう?
私の中の刑事さん、総動員して、調べてよ。
そんな、身にもならないことを思う。
最初のコメントを投稿しよう!