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「ようクダルくん」
スモークの窓越しに、ケサオが助手席側のふたりに声をかける。
「…と、フブキ」
「ケサオくん、なんか久しぶりだね」
「おう」
「行くぞ風吹」
「え?……ちょっと」
プイと顔を逸らしスタスタと歩いて行く"クダル"の後を追い、風吹が「また怒るんだから」と言いながら腕を引いた。しかし彼は立ち止まろうとしない。
「風吹、メシ行くか?」
ケサオが車道をゆっくりと並走しながら問う。
「う…うん」
背後の車は忌々しそうにケサオの車を追い越して行くが、この田舎町で、フルスモークの純正でない黒塗りの高級車に文句を言っても良いことがないと分かっているためか、特にクラクションを鳴らされることはない。
「後ろ迷惑だから……早く乗ろう」
「誰がこんなポンコツに乗るか」
「そう。じゃあ僕ご飯行くね」
「くっ……薄情者」
「だってちょうど行こうとしてたんだし」
「知らん。お前なんかもー嫌いだ」
「わかった、じゃあ絶交ね」
「あーー好きにしろ!!ばーかばーか!!!ばー………」
バタン、と後部座席の扉が閉まる。セナが心配そうな顔で何か言いかけたが、風吹を乗せた途端、車はあっという間に走り去っていった。
"クダル"こと坂ノボルは、公立の通信制高校に通う3年生だ。一般的な高校生よりずっと時間が有り余っているが、それを有意義に使うわけでもなく基本的に毎日ブラブラして過ごしている。
そしてトモダチと呼べる存在は、幼なじみの風吹と最近関わるようになったセナしか思い当たらない。中学にまともに通わなかったからというのが主な理由だ。
しかし何もいじめられていたわけではない。不登校児という自覚もなく、日本中を旅したり、奥多摩でサバイバル生活をしていたら、いつの間にか卒業する年になっていたのだ。
ちょくちょく家に帰ってはまた放蕩するのを繰り返していたせいか、それとも心配する親などないせいか、半年以上行方をくらましても捜索願いなどは一切出されず、家族には騒がれも怒られもしなかった。
旅などに使った金は、今はすでに家を出て結婚した姉が、定期的に援助してくれていたものだ。
"今すごく稼いでいるから"と言われ、なぜか銀行口座にはいれずにナマのままタンスに仕舞い込んだいくつもの札束を、実際に見せられたことがあった。
彼女は生活費のつもりで渡してくれたのだろうが、生活というのがピンと来ない彼にとって、その金は丸ごと好きに使うための金だった。
つまり諸々の面で、彼にとっては非常に都合のいい便利な家庭に育ったといえよう。
姉は弟の自分を思ってくれるし、風吹は友人としての愛をくれるから、それで愛情というのは充分に事足りている。
数少ない人間関係の中で忌々しいのは、悪徳金貸し屋の金本ケサオだ。母親が実の娘や息子の代わりに養ってきた歴代のクズ男など、あの男に比べれば可愛いものである。
………セナは何故あんな男にべったりなのだろう。奴はセコくずる賢い犯罪者で、人から違法に巻き上げた暴利で良い部屋を借り、高い車に乗り、女だってほしいままに飼い慣らしているに違いない。
おまけに自分のことを『クダルくん』とか『転げ落ちくん』とか『人生下り坂くん』などと呼んでくる。そのせいで、セナですらこのあいだ間違えて『下り坂くん』と呼んできて、自分でハッとなっていた。
それでもまだセナに呼ばれるならいいが、金本ケサオはたとえちゃんと名前を呼ばれたとしても腹の立つ男だ。何をされたわけでもないが、タイマンでギリギリ勝ち目がない程度には強そうなところも癪にさわる。
ハタチを越えたくせにこうして高校生たちとつるんで、奴も友達なんてものはひとりも居ないに違いない。
同級の剣崎や松原は都会で成功しているそうだが、奴は田舎で燻っている哀れな負け犬だ。
……しかし噂によればすでに億単位の金を貯め込んでいるそうだ。こんな小さな町では、全住民の資産を掻き集めても億には届きそうにないと思うが、とにかく奴は金を巻き上げることに関しては天賦の才を与えられているらしい。
ー「ぜ、ぜーむしょとかいうところに通報してやる」
ノボルがケサオたちの席の前に立ってそう言うと、「ほらね、やっぱり来た」と風吹がスマホを見ながら言い、セナが「置いてかれて寂しかったんだ」とラザニアを咀嚼しながら薄ら笑った。テーブルにはすでに注文した料理が並んでいる。
「金本ケサオ、貴様の隠し金を洗いざらい報告してやるからな。覚悟しとけ」
「いいぜ。ならてめえの姉貴も道連れにしてやるかな」
「何だと?」
「いいから座りなよ、ここ」
セナに促され、風吹のとなりにドカッと腰を下ろすと、「俺の姉貴はカンケーない」と、斜め向かいのケサオを睨みつけた。だが彼は表情を変えず言った。
「お前の姉貴、19の頃から毎年1千万近く稼いで、これまでずっと無申告だからな。間違いなく追徴課税で破産だ。たとえ稼いだ分丸々残ってても、全部持ってかれるぜ」
「適当抜かすな」
「バーカ、姉貴の勤めてた店のオーナーは俺だぞ。表向きの名義とは違うけどよ。だから全部把握してんだ」
「え、ケサオくんの店?そうだったの……ていうかケサオくんって絶対年齢偽ってるでしょ。まだ若いのに手広くやりすぎ」
「いや……ちゃんと実年齢だぞ」
「ケサオって働き者だね」
「どーゆーことだ貴様、じゃあ昔から俺の姉貴のことも知ってたのか……?」
「ああ。いちいち言わねーけどな、そんなこと」
「言えよ!!ひっそりと俺の家族まで把握しやがって、気持ち悪い奴だな!!」
「何も調べたわけじゃねーよ。偶然だ偶然」
「偶然ケサオくんの店にユキナ姉ちゃんが居たんだ。それにしてもお店のオーナーまでやってたなんてねえ、知らなかった」
「返せる見込みのねえ奴らに金を貸すだけじゃ仕事になんねーからな。うちの債務者の中で、首が回らなくなった女どもを働かせるための店もいくつか持ってるんだ。キャバクラ、風俗、エロいマッサージ屋、エロい配信用の事務所………とは言えお前の姉貴は普通に求人サイトで入ってきて、入店3ヶ月で立川のナンバーワンキャバ嬢の称号を勝ち取ったガッツのある女だったな。弟のために必死だったんだろうなあ。……お前、俺を強請るためにあんな出来た姉貴を犠牲にするのか?確かもう結婚もしてんだろ?」
「……ぎ、犠牲にしようとしてるのは貴様だろ」
「俺がパクられたら店もガサ入れされて、過去に在籍してた従業員たちも調査されて、関係してる奴ら全員が困るんだぞ。姉貴を守りてえなら俺のこともそっとしておけ」
「お前、本当に根っからの悪党だな」
「つーかお前ら似てねえよな。坂ユキナは整形する前からめちゃくちゃ可愛かったけど、お前は腐りかけのジャガイモ小僧って感じだ。今度から整形費用も出してもらえよ」
「アイツの親父は俺の母親の歴代ナンバーワンのイケメンだったからな。暴力癖もナンバーワンだったが」
「じゃあお前の親父は歴代ワーストワンってわけか」
「犯罪者のくせにさっきからやかましいぞ貴様………」
「ケサオ、もうやめなよ。君ノボルに対しては本当に性格悪いね。お客さん相手よりひどいよ」
「俺は仲良くしようとしてるのに、こいつが突っかかってくるだけだ」
「ノボルもケサオくんも、もー終わり。4人でいるときは楽しくしよう」
「……そうだな」
「お前、風吹にだけは素直だな」
「ねー、風吹には弱いよね」
するとケサオは無表情で押し黙って、アイスコーヒーを啜りながら窓の外に目をやった。
「む、難しい人ォ……」とノボルが顔を顰め、セナと風吹は何とも言えない表情で目を見合わせた。
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