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「ういー、お疲れ」
立花がビールジョッキを掲げると、福山と江添も何となくグラスを上げ、黙って乾杯に応じる。外回りに行っていたマキシも呼んだが、もう仕事は終わっているはずなのに、当たり前のように遅れていた。
行きつけの近所の焼肉屋。店員たちの韓国語が飛び交い、狭いながらも笑顔の絶えない賑やかな店だ。
大将はいつもにこやかになじみの客たちを受け入れ、世話焼きのおかみさんは肉が食べごろになると、勝手に網から上げて皿に入れてくる。
立花が「やめろよババア」とふざけて言い、おかみさんが「黙れクソガキ」と応酬するのがいつもの光景だ。
「風吹もこっち来て飲めよ、ジュース」
セクハラ上司のように、立花が自分のとなりの席をポンポンとはたくと、「あとでね」と風吹が他の席のジョッキを運びながらあっさりといなした。
ここは彼のバイト先だ。今は剣崎のもとで働いている、伊原という男の家族がやっている小さな個人経営の店である。都会なら必ず駅前にあるような大きなチェーン店は、この町には無い。
ここはケサオの紹介で、部活を引退してから働き始めたのだが、仕事の覚えも早く、また客受けもよいため重宝されているようだ。そしてケサオの口利きのおかげなのか、時給もこの町の相場より300円ほど高かった。
シフトは店が忙しくなる週末の3日間で、残りは予備校に通っているため、受験生らしい多忙な日々を送っている。
とは言え今は部活もなく、授業時間も大幅に減り、体力が有り余っている彼にはちょうどいい生活サイクルとも言えた。
ー「結局、金本さん来ねえのかな」
立花がつぶやくと、江添が煙の中で曇る眼鏡を拭きながら言った。
「店長が朝からいる時は、大抵閉めるまでいるからな」
「忙しいよなあの人。他店の店長なんか事務所で暇そうにソシャゲやってるのに」
「ああ」
「リターンもまともにねえならやる意味ねえよ。しょぼい手取りでパクられたんじゃ割りに合わねえ。裏カジノで店番でもしてた方がよっぽどマシだ」
「そんなんだから豊川のとこ、けっこう長く勤めてたのが3人も飛んだらしいぞ。客に憂さ晴らしに怒鳴り散らして、それで奴の仕事は終わりだ。そんなんで月300だろ。あいつの引っ張った客の取り立ても他の下っ端に回してよ、新人なんか時給1000円だってのに。そりゃやってられないよな」
「へへ、けどそれで文句があんなら、闇金なんかやらねーこった」
「だが上への信用が無けりゃこの稼業は破綻だ。俺は店長ならついていけるが、たとえ剣崎さんでも信用できない奴は無理だ」
「江添は金本さん大好きだもんな」
「彼は剣崎さんほどの能力があって、なおかつ人の話をきっちり聞いた上でジャッジできる冷静さがあるから、ビジネスにおいて信頼している。俺は少しでも怒りに左右される奴には従えない」
「揉め事でヒトの頭かち割ってパクられた奴のセリフじゃねーだろ。……俺はずっと同じ地元で、学年は違くても、あの人の話が嫌でも耳に入るほどの環境だったからまだいいけどよ。もしもよそから来た得体の知れない奴だったら、たとえ金本さんでもわかんねーな」
「確かに、店長は有名人だったし、本人は何も言わないが、いろんな奴が目の当たりにしてきた事実は曲げようがない。それでも決して、粉飾した過去や自分の武勇伝みたいなのを語らないところがいい」
「他人の自慢話ほど聞く意味のねえ話はねえからなぁ。そんなもん仕事中に聞かされたんじゃ、俺もとっくに飛んでるな」
すると、江添と立花の横で、黙々と肉を焼いていた福山がぽつりと言った。
「俺らの仕事は曲を出すことだろ」
ジュー、と脂が弾ける音。その言葉にふたりが顔を見合わせたが、ふと網の上の肉の存在に気づいた立花が、「おっしゃコレ貰い!」といちばん大きいのをトンビのように掠め取った。
「正直あんまり長くは続けらんねえよ。せっかく曲作っても、まともにイベントのスケジュールも組めねえし」
その言葉に、肉を咀嚼しながら、立花が言う。
「わかるけど、本業にするにはまだ厳しいだろ。もう少し稼げるようになるまでは繋ぎでやるしかねえ。出てく金は生活費だけじゃねえんだぜ」
江添が続ける。
「俺もお前が足を洗いたいって気持ちは理解してる。理解してるが俺らは他に向いてることのないクズなんだから腹を括れ。それにステージはパクられたって戻ってこられる世界だ、いい曲さえ出してれば」
「もーー、捕まる前提なのやーだーーー!!」
福山が閉じたトングでテーブルをガシャガシャと小突きながら、駄々っ子のように足をバタバタとさせた。
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