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「うい、毎度」
"顧客"の玄関先で、手渡されたシワシワの札を数え、黒い集金用のセカンドバッグに仕舞い込むと、『横山哲治』という名前に斜線を引いた。
「横山さん、これいる?さっき別のお客さんからもらったんだけど、俺缶コーヒー飲まねえから」
「くれるんならもらうよ」
「おう。ついでにこれ、別でもらった林檎もやる」
「林檎か。歯ァ折れねえかな」
「気をつけて食えよ」
年老いて背の曲がった横山にとって、金本ケサオはまるで山を見上げるほどの大男だ。
借金の取り立て屋は大抵スーツを着ているが、彼はスカジャン風の上着にジーンズという、ラフな出立ちをしている。すっきりとしたソフトモヒカン風の短髪で、最近自宅でブリーチをした髪はようやく金色に近くなってきた。
「つーか横山さん、いい加減振り込みにしてよ。ゆうちょの口座とか無いの?」
「ねえ。あるけど番号なんか忘れた」
「もう一回手続きすりゃいいだろ。毎回取り立てくんのめんどくせえよ」
ケサオが文句を垂れると、横山はさっそくプルタブを起こし、ズルズルとコーヒーを飲みながら笑った。
「あんたが定期的に来てくれた方がいいよ。俺が部屋で死んでても見つけてくれるだろ」
「バーカ、それが困るんだっつの。闇金屋が死体見つけるっていちばんまずい状況なんだからな」
「なあ、返したところで悪いけど、やっぱりもう3万いいか?」
「3万?じゃートイチでニーナナんなるけどいい?」
「ああ」
「あんたはちゃんと返済するし、完済もしたからな。だが少しでも遅れたらまたトサンだぞ。気をつけろよ」
「ありがとう」
借用書を書かせると、セカンドバッグのしわくちゃの札を手元でピンと伸ばし、ケサオは横山に2万7千円を手渡してやった。
「じゃ、また10日後」
「ああ」
築50年のアパートの、軋んだ階段を下りる。ケサオの体重ではいずれ抜けそうなので、やはり早いところ横山には振り込みにしてほしいものだ。
しかし彼にとって満足な話し相手というのが、闇金屋の自分たちしかないのだろう。
わざわざこうして家に来させる客は、横山だけではない。大抵は独居の老人だが、若年層の生活保護者や、社会にうまく溶け込んでいけない比較的若い客たちの中にも、自ら進んでこのような裏稼業の人間の顔を見たがる者がいる。ただし、返済を滞りなく済ませられる者に限るのだが。
ケサオもそれをわかっているから、面倒ではあるものの、強引に口座振り込みにはさせないでいた。金を貸してるとはいえ、彼らはあくまでも客なのだ。つまりこれもビジネスにおけるサービス精神の一環なのである。
ー「横山のおじいちゃん、またお金借りたの?」
階段裏で待っていた制服姿のセナが、乗ってきた自転車のスタンドを上げる。
ふたりは少しだけ歳の離れた幼なじみだ。セナが小さい頃から、ケサオは彼の面倒を見てやっていた。家が近いから、セナの親が食事を与えてくれない時には、ケサオの家で食べさせてやったりもした。
「じいさんはたまにやる日雇いと年金しかねえんだから、自転車操業みてえなもんだ。仕方ねえよ」
「またパチンコやったんでしょ。前見たもん。パワーズに入ってくとこ」
「さーて、次で終わりだ。セナ、今度は後ろ乗せろよ」
「無理に決まってるじゃん、ケサオ重いんだから」
「お前も鍛えろよ。体重増やせ。いくら顔が良くたって、女より細いままじゃいつまでも彼女なんかできねえぞ」
「余計なお世話だよ。ねえ、早くご飯食べよう。今日何も食べてない」
「あと1件終わったらな」
タバコに火をつけると、セナを荷台に乗せ、次の家に向かった。巡回中の警察に見られても、二人乗りを咎められたことはない。そんなことでいちいち声をかけていたらキリがないからだ。この辺りの子供らは、昭和の時代からずっと質が悪い。
田舎町とはいえ、一応は東京都だが、ここは西側の下町のようなものだ。それも、本当の下町のように繁華な飲み屋街やショッピングセンターなどがあるわけでもなく、目新しいものなど何も生まれず、高齢化と過疎化の一途を辿る寂れた地域である。
大きなホームに絶え間なく発着する都会の電車と違い、ここは路線が1本で、1時間に4本程度しか運行しないローカル線沿いだ。
基本的には車社会であるが、普段ケサオが(他人名義で)乗っているような高級車などはめったに見かけない。
外車に乗るのは大抵が米軍基地の人間であろう。基地が近くにある、というよりも、半分を基地に侵食された町である。
「横山のおじいちゃんが、もしお金返せなくなったらどーするの」
背後からセナが尋ねた。
「死んでもらうのがいちばんだな」
ケサオがあっさりと返す。
「吉祥寺にいるじいさんの長男に話はつけてあんだ。死んだら保険金から返済してもらうって」
「……返してくれるわけないよ」
「返すさ。俺らがパクられたって一生付きまとわれるくらいなら、とっとと返して俺らと早々に縁切った方がマシだろ」
「おじいちゃんを殺すの?」
「殺さねえよ。死んでもらうしかねえけど」
赤黒い夕闇の中、セナはケサオの大きな背中にもたれかかった。「灰皿」と言われ、上着のポケットから携帯灰皿を出してやると、その中に吸い殻を押し込む。
ポイ捨てすらしない男だが、他人に向ける良心は人より少ない。
セナの継父は、ケサオが店長になる前に彼の店から金を借りていたが、パンクして数年前に姿を消した。ケサオによるとある地域で生きてはいるそうだが、元気な姿で会えることはもうないし、長生きもできないとのことだ。
真冬に外で冷水を浴びせられるよりも辛いことかと尋ねたら、そんなものがぬるま湯に感じるほどのことだと言われた。
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