2話 三十センチの距離

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2話 三十センチの距離

 付き合ってください!  その言葉が頭の中でループする。  私は思い出そうとしていた。この男の子がクラスメイトにいたのか。いたのなら名前はなんだったのか。 「ちょっと待ってもらえる?」  日に生って書いてなんて読むんだっけ?  私は入学当初、同じ班になった人の名前を覚えようとしているときのこと思い出した。  読めないし日に生の涼くん……涼くんでいっか。  読み方聞くのも恥ずかしいし、同じ班だけど仲良くなるかなんてわからないし、仲良くなりそうな空気になってきたら聞けば良いと思った。  それから、私はその班の子たちと仲良くはならずに、別の子たちと仲良くなった。  同じクラスで同じ班で同じ電車で……そうだ、塾も同じ。  私は思い出した。 「えっと、涼くん?」  自信はなかった。背丈も体型も眼鏡をかけているところも、記憶の中でしかないけど、似ている気がした。  まだ、顔と名前は一致しない。 「りょう? あ、僕の名前」 「やっぱり、日に生の涼くん」 「日に生?」  首を傾げている涼くんはハッと思いついたような表情をした。 「ごめんなさい。漢字読めなくって」 「日に生でひなせ」 「日生、日生涼(ひなせりょう)くん」 「あの、それで……返事の方は……」  この男の子が日生涼くんだってことがわかるまでに色々と思い出したり、考えたりし過ぎていて、頭がいっぱいだった。だから、告白されていることをすっかり忘れてしまっていた。 「でも、どうして私なんかに……」 「神崎さんは僕のことを唯一日生じゃなくて涼くんって呼んでくれる」 「私、日生くんのこと涼くんって呼んだことあったっけ?」 「プリントを配るときとか回収するときとか、あとは……班の活動の時とか」 「そうだっけ?」  日生くんは大きく頷く。対して私は首を傾げた。 「それ、ごめんだけど苗字読めなかったからかなぁなんて」  あははははと、わざとらしく笑って見せる。  記憶が曖昧なので、意識して呼んでたわけではかったのかもしれいない。 「あ、そうなんだ……ごめん勘違いしてて」 「ううん。大丈夫……付き合おっか」  不意に心に現れた感情はかわいそうだった。 「え?」  本当に日生くんのことに興味がなかったんだなと、つくづく思う。  私のことが好き。その気持ちを裏切れず断ることが出来なかった。別に嫌いでもないし、好きでもないんだけど、これから好きになる可能性がある。だから、付き合うことは嫌ではなかった。だけど、特別嬉しくもなかった。  付き合ったけれど、これから何をしていけばいいのか、それはわからなかった。  その後、今までと同じように電車に乗り、いつもとは違って二人並んで座る。三十センチのものさしを間に置いたぐらいの間隔があいている。日生くんからすると、この距離は初々しいカップルの距離感なのかもしれない。だけど、私からしてみれば、まだ付き合ってはいない恋人未満の距離みたいだった。  今はまだこれ以上くっ付けない。  この三十センチの距離を縮めていくことが出来るのかは、これからの私次第だ。 「冷えてきたな」 「冬だからね」  続かない会話。今まで興味がなかった男の子と何か話したいかと言われても、特にはない。 「神崎さんは趣味ってなにかあるの?」 「趣味ね……まぁうちの猫と遊ぶことかな」 「猫飼ってるんだね」 「うん。そうなの」 「可愛い?」 「可愛いよ」 「そうなんだ」  声を発する方角は斜め上。目を合わせることはない。顔を見たいわけじゃない私。端から見ればカップルに見えているのかもしれないけど、ただの友達に見えていたりするんだろうか。きっと、たまたま出会ったクラスメイトと一緒に帰っているだけ。そんな関係に見えていてほしい。むしろそれが有難い。  ガタンゴトンと電車に揺られながら、正面の窓から見える景色はビルと電光掲示板ばかりで、この町は夜になってもとても明るい。 「付き合ってるからかな。ちょっとドキドキしてる」 「町の明かりがきれいだからじゃない?」  それから私と日生くんは何も話すことはなく、私はいつものタイミングで席を立った。そして、ホームに到着した電車から二人一緒に降りた。 「連絡先、交換しない? 付き合えたんだし」 「そうだね」  日生くんには悪いけど、付き合ってるから、付き合えたんだし、と何度言われても、そんな気持ちはまだも微塵もない。  
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