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ママは、十歳も年下の男と同棲していた。
「ママ、そのお腹、どうしたの?」
レイシアは、レモネードの入ったグラスをテーブルに戻して、キッチンにいるママに尋ねる。
「やだ、気付いちゃった? 実はママ、妊娠しているのよ」
もしやとは思ったが、まさか、想像した通りの告白をされるとは……。
一目見た時から、信用を置けないと勘が働いた男は、隣のリビングの小さなソファに寝転がって、テレビを見ている。
「もしかして、あの男との間の子?」
レイシアは、ママだけに聞こえるように声を押し殺して聞いた。ママが、エプロンの端で手を拭きながら、キッチンから出てくる。
「そうよ、デイビスって言うの。ああは見えても、しっかりした、頼れる男なのよ」
レイシアの隣の椅子に腰を下ろしながら、ママも声を抑えていた。
レイシアには、どうしてもデイビスがやさぐれ男にしか見えない。信用できるような男とは、到底思えなかった。ママが気を悪くするので、そんなことは口に出来ないけど。
「ママは、お腹の子を産むの? 産むつもり?」
「当然じゃない。もう臨月なのよ。いつ産まれてもおかしくないし」
レイシアは、もう一度、デイビスを見た。ウィスキーを片手にホームコメディドラマを見ながら、バカみたいに笑っている。足をバタつかせ、ソファの上、何度もお尻で跳ねながら。
(なんて下品なの……。ママはこんな男のどこに惚れたのかしら)
レイシアは目を細めた。
デイビスは、定職には就いているのだろうか?
とてもじゃないけど、そうは見えないんだけど……。
「ママは赤ちゃんを産んで、育てられるの? あの人、働いてないんじゃないの?」
ただでさえ、日々の生活は苦しいはずである。
レイシアは、今なお、ママの支援を受けている。授業料分の奨学金を貰っているとはいえ、週末だけのアルバイトでは、寮費を全て賄うことが出来ないから仕方なく……。
それも、貰っちゃいけなくなるわね、きっと。
そうしたとしても、赤ちゃんが生まれて、あの男まで養わなければいけないとなると、ママの生活が破綻するのは目に見えている。
「やだ、何を心配してるのよ。当たり前じゃない。デイビスも今はたまたま働いてないけど、毎日、定職を探して、近いうちに決まるって言ってたわ。私も出産を終えたら元の職場に復帰する予定だから、大丈夫よ」
ママは突き出たお腹をさすりながら、「楽しみだわ。どんな赤ちゃんが生まれてくるのかしら」と、心を躍らせている。声色や表情に、幸福感がにじみ出ている。
「ママはね、18歳でレイシアを産んで以来だから、20年ぶりの出産になるのよ」
不安もあるだろうに、笑顔を絶やさないのは、レイシアを安心させるためだろうか。はたまた、本当に今の生活が楽しいと感じているからなのだろうか。
その日の夜中、リビングから騒がしい声が聴こえてきて、レイシアは眠りから覚めた。
「レイシア! おい、起きろ、レイシア!」
何度も何度も、名前を呼ばれていたようだ。
「おいっ! ちょっと来てくれないか、レイシア! イザベラが……キミのママが、大変なんだ!」
デイビスの声だった。数時間前に初めて会ったばかりなのに、口調がやけに馴れ馴れしい。
レイシアは、疲れが取れ切っていない重たい体を起こし、靴を履いて、部屋のドアを開けた。
「おぉ、レイシア、やっと起きたか。ちょっと、すぐにこっちに来てくれ」
デイビスが、肩を組んで、ママの体を支えている。ママは、ぐったりと首が前に垂れ、身体にも力が入っていないようだ。
デイビスは、ママをソファに寝かそうとしていた。
「どうしたの? 何があったの?」
レイシアは驚いて駆け寄る。
途中、ピチャピチャと、床の水が跳ねた。
「イザベラは、本当は安静にしなきゃいけなかったんだ。レイシアが来るまで、ここ数日間は、ずっと横になっていたんだ……。キミが来たから、イザベラは張り切っちゃって、ちょっと無理をしたようで……どうしてくれるんだ!?」
(この男は、こんな時に、何を言っているの? ママの体を心配するふりをして、自分のせいじゃないって、言い訳していない? しかも、あたかも、私が来たことが悪かったみたいに言って)
「なあ、どうしたらいい? どうして、こんなことになるんだ!? キミが来なかったら、こんなふうにはならなかったんだ」
デイビスは気が動転しているようで、正気な行動を取れていない。ママをソファに寝かせた後は、両手で頭を抱えて、ドタドタと歩き回るばかりである。
「ちょっと、うるさい! 黙っててよ」
ママの太ももから下が、ぐっしょりと濡れていた。透明の液体が、床にまで溜まっている。
(これ、ひょっとして、羊水?)
「まずい。きっと、破水したんだわ。デイビス、ママの通っていたお医者さんに電話して。それと、タクシーを呼んで。すぐに! 早く!」
「な、なんだって!? オレはイザベラの通っていた病院なんて知らないよ」
(なんて人なの? 生まれてくる自分の子に興味が無いわけ? 臨月だというのに、今まで、産婦人科医の健診に付き添ったことが無いっていうこと?)
レイシアは、薄情な男に、「じゃあ、タクシーを呼んでちょうだい!」とだけ指示して、ママから病院名を聞き出した。レイシアが日中に訪れた産婦人科医かもしれないと、ヒヤヒヤしたが、ママの口から聴こえてきたのは、意外にも街の中心部にある大きな病院だった。
「大丈夫よ、ママ。しっかりして。私が、すぐにお医者さんに連れていってあげるから、もう少し、ここで我慢してね」
レイシアはママのかかり付けの病院に電話をしながら、洗面所からバスタオルを取って来て、ママの股間に押し充てた。
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