2.レイシア・バーハムの苦悩

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 病院に着くと、既に数人の看護師さんが駐車場に待ち構えていて、ママはすぐに車いすに乗せられた。 「あなたたちは、どうするの? 立ち合う? 待っておく?」  ママを乗せた車いすが分娩室に入るのを見届けていると、手術衣(スクラブ)を着た看護師に話しかけられた。 「オ、オレはいいよ。ここで待っとくから」  先に答えたのはデイビスだった。そそくさと近くのベンチを探して、移動する。 「私、立ち合いたいです。私、このまま、中に入ってもいいですか?」 「あなたは、イザベラの娘さんね。わかったわ。こっちに来て、手術衣(スクラブ)を着てくれたら、立ち合ってもいいわよ」  手術衣(スクラブ)を着たレイシアは、生まれて初めて分娩室に入った。 「まだよ! まだ、いきんじゃだめ!」 「もう少し、我慢して! ゆっくり息をしなさい!」  飛び交う大声に圧倒されて、呆然と立ち尽くした。気おされて後ずさりしそうになるのを、看護師の一人に止められる。 「ママの横にいてあげてちょうだい」  女医と看護師に囲まれたママは、とても苦しそうに、眉をしかめて、大粒の汗をかいている。 「あぁぁぁぁ! 産まれるっ! 産まれるわぁ!」 「だめ! いきまないで!」  心拍数を確認しながら、女医が、ママの子宮を抑えている。  ママは、何度も首を振り、歯を食いしばって、痛みに耐えていた。 「ふっふっはーって、息をして。一緒に、はいっ」  ふっふっはー、ふっふっはー、ふっふっはー。 「あぁぁ! あぁあ!」  耐えられなくなったのか、ママは、この世の物とは思えない声を出し、また看護師に注意された。  レイシアは、戦場のようだと思った。気付くとママの手を握っていた。 「ママ、頑張って! あと、もう少しだから! 頑張ってね!」  ふっふっはー、ふっふっはー、ふっふっはー。 「頭が出たわ! いきんで!」  突然、女医が叫ぶ。看護師の一人が、ママのお腹に両手を乗せ、全体重をかけるようにして押した。 「ぎゃあぁぁぁぁあ! あああっ!」  ママの断末魔のような叫びに、レイシアは思わず目を背ける。 「いいよ。もう少し。はい! もう少しよ!」  ママがエビぞりしそうになるのを、看護師が押さえつける。 「産まれたわっ!」  女医に取り上げられた、とても小さな赤ん坊は、紫がかった色をしていた。体をタオルでくるまれ、口の中の羊水を吸い出されると、おぎゃあと、泣き始めた。 「イザベラ、おめでとう。元気な男の子ですよ」  そう言って女医はイザベラに、赤ちゃんを抱かせる。 「かわいい赤ちゃん……なんて、小さいのかしら」  ママは、泣きながら、やさしく赤ちゃんを抱いていた。ビスケットのように小さな赤ちゃんの手を、指で広げたりして、ママは、生まれたばかりの我が子に愛情を注いでいる。愛おしくてたまらないといった様子だ。  これほど幸せそうにしているママを、レイシアは、初めて見たような気がする。 「かわいいね、すごく、かわいいね……。よかったね、ママ。無事に赤ちゃんが生まれてくれてよかったね」  レイシアもママにつられるように、涙が溢れてきて、止まらなくなった。  ママの胸に抱かれた赤ん坊は、純粋無垢で、何のけがれもない。それでいて、自らの意思では、まともに動くことすら出来ず、ただ、親を頼って生きるしかない。それだけに、姿かたちといい、表情といい、可愛がられるように計算されて出来ている。きっと、神様がそうされたのだ。  それほど、可愛らしい。  ママは、デイビスとの愛の結晶として生まれたから、この子を愛しているのか。自分が産んで、血が繋がった我が子だから、この子を愛しているのか。それとも、弱々しくも、懸命に生きようと頼られるから、この子を愛しているのか。  きっと、どれもが絡み合った結果として、愛情を最大化して、この赤ちゃんに注いでいるのだろう。  赤ちゃんを眺めていると、レイシアは、自分のお腹の中の子が気になってきた。  そっと、自分のお腹をさする。  まだ、生きているのだろうか……。  胎児は、生まれてきた赤ちゃんのように、実際に目の前にいるわけではないので、可愛らしさもないし、愛情もそれほどない……。  だから、堕胎するという決断をすることができたのか……。  でも、この子は、もう心臓が動き始めていた。  意思もあったのだろうか?  もし、すでに意思があったとしても、生きるも、生かされぬも、この子の意思とは関係なく決まるし、実際、決めてしまった。  どんな赤ちゃんでも、きっと、生きたいと思っているはずなのに。  レイシアは分娩室を出て、スマホをいじりながら待っていたデイビスに、無事に赤ちゃんが生まれたことを報告した。 「おお、そりゃあ、良かった。男の子か? 女の子か?」 「元気な男の子よ」 「よっしゃー! それは将来が楽しみだな。野球をやらせるか、バスケットをやらせるか、アメフトでもいいよな」  生まれてくる赤ん坊に興味が無いのかと思ってたけど、さすがに、我が子が誕生したのだから、嬉しそうね。 「今からでも、分娩室に入れるかな。赤ちゃんも見たいし、イザベラにもよく頑張ったって、褒めてあげないとな」  デイビスが看護師と交渉し、許可を得たようで、分娩室に入っていった。  レイシアは、アシュリーにメールを打とうと思い立ち、スマートフォンを取り出した。 『アシュリー、聞いて。すごい出来事があったの。なんだと思う?  実は、たった今、ママが赤ちゃんを出産したの!  昨日から、たまたま私が帰省していて、今日、出産って、なんて、偶然なの!  生まれてきた赤ちゃんは、すごく可愛かった。まるで、天使のようだったわ。  あ、別に、コレ、私の中絶を皮肉って書いてるわけじゃないからね。  ただ、単純に、赤ちゃんを見て可愛いと思ったから、素直に書いているだけよ。  私は、早く、アシュリーに会いたいよー。じゃあね』
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