3.アシュリー・ソトマイヤーの誤算

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 アシュリーが傍聴席に着いた時、カバンの中のスマートフォンが震えた。  取り出して見ると、レイシアからのメールで、すでにアトランタ行のバスに乗っていて、今日、これから帰ってくると書かれている。 「アシュリー、どうかしたの?」 「いや、なんでもないよ」  アシュリーは、スマホをカバンに戻した。 (レイシアが帰ってくるのって、もっと先じゃなかったっけ? 確か、明日、もう一度お医者さんに診てもらうって言ってたような気がするんだけど……)  アシュリーは、記憶違いかとも思って、考えてみるが、そうは思えない。 (早々に流産できたから、予定が前倒しになったのかな)  おそらく、そんなところだろうと考えて、元気になったレイシアの顔を思い浮かべる。アシュリーは、嬉しさがこみ上げてきて、ニヤついていた。 「アシュリー、何ニヤニヤしてるんだよ。もうすぐ裁判が、始まるよ」  マイケルの声で我に返り、ノートとペンを取り出して姿勢を正す。一言も聞き逃さまいと、耳を研ぎ澄まして身構えた。 「最高裁判所は、1973年に、胎児が子宮外で生存可能になるとされる妊娠24週目ごろまでの中絶を、合憲とする判断をしているんです。ご存知の方も多いとは思いますが、いわゆる、『ロー対ウェイド判決』です。この判決がある以上、ハートビート法が違憲だというのは、誰の目にも明らかなんです」  原告団の女性弁護士が、大げさな身振り手振りで、熱く語っている。  アシュリーも『ロー対ウェイド判決』に関しては、調べが進んでいて、知っていた。女性に中絶する権利を認めたもので、「自分の体の選択は自分がする」と多くの女性がその判決を歓迎したのだ。以後、半世紀にわたって、この判決を根拠として、女性の中絶する権利が認められている。  科学の進歩で、胎児の生存可能な妊娠週数は短くなったが、それでも、二十週以上であり、ハートビート法のように、6週間という極めて短期間の話にはなっていない。 「私は、大学時代、ボストンに住んでいたんですが、大学の二年生の時に、当時付き合っていた彼との子を身ごもりました。私も彼も、弁護士を目指していたので、当時、赤ん坊が生まれた後の生活を想像ができませんでした。いや、正確に言えば、想像した上で、そのような人生は望むところではないとの結論に至ったんです。彼とも、両親とも、よく話し合って、堕胎することにしました」  女性弁護士が、自らの経験を赤裸々に話している。 「ボストンのあるマサチューセッツ州には、ハートビート法なんていうバカげた法律は存在しません。だから、同意書にサインするだけで、スムーズに人工中絶をすることができました」 「自分のことだけ考えたのか? お腹の()がかわいそうだろ?」  傍聴席から心無いヤジが飛ぶ。男の低い声だ。 (の人かしら)  アシュリーが、声のした方を見渡すが、誰が発したのかまでは、特定できなかった。  裁判官が木槌(ガベル)を叩いて静かにするよう促す。  女性弁護士がヤジの飛んできた傍聴席を()めつけて、話を続けた。 「ジョージア州の女性は、かわいそうです。違憲な法律に縛られて、彼女たちの人生の選択肢を減らされているのですから!」  ハートビート法が成立した裏には、プロライフ派の台頭がある。プロライフ派とは、「胎児の生命を尊重する」という考え方を持つ人たちのことで、主に厳格な宗教が影響しているとも言われている。その宗教が影響力を持つ票田を狙った政治家が、ハートビート法の成立を公約した。  だから、本来、女性の権利も、胎児のことも併せて考えないといけないのに、二項対立するような政治の道具にすり替えられ、極論化するような法律が成立してしまったのだ。  中絶を決断する女性が、お腹の()のことを考えないわけがないのに。 「私の人生は、あの時、中絶が出来たことで、花開いたんです。その後、人生設計して、キャリアを諦めることなく、今、こうして弁護士として働けています」  女性弁護士が語気を強めてそう言うと、一度止まって、大きく息を吸った。裁判官から、傍聴席まで、ゆっくりと見回す。 「私の旦那は、中絶を決断した時の彼です。しかも、私には、今、二人の子供がいます。とても幸せで、あの時、中絶できたことに感謝しています」  そう言って、女性弁護士は、自分の席に座った。  次に意見を述べたのは、アトランタ出身の女性プロバスケットの選手だった。 「私はプロ契約してすぐに、妊娠し、他州に出て、中絶しました。プロ選手として、成功し始めたばかりでした。1年間休みたくなかったため、中絶を決めました。母親になるための準備もできていませんでした」  長身の女性選手は、背筋を伸ばし、実直に話している。とても好感が持てる女性だとアシュリーは思った。 「そして、その年、所属したチームはリーグ戦で優勝しました。この勝利は私の人生を変えました。もし妊娠を続けていてリーグ戦に出られなかったら、人生は全く違うものになっていたと思います。中絶により、私は2度目の人生を送るチャンスをもらったように感じました。自分で自分の将来を決めて、何を優先すべきかに再び集中できたんです」  一方、被告である州政府側の意見は、真面目そうな中年職員が原稿を読む形で進んだ。 「えーっとですね、合衆国全体で見ると、1980年代をピークに、中絶件数は減り続けているんです。妊娠した女性の全体に対する割合もピーク時は36%だったんですが、今や、その半分にまで減っています」  アシュリーは、この中年職員の役職が気になった。 (こんな人が、被告側の代表なの? ただ、上司に言われて、原稿を読まされているようにしか見えないんだけど)  こんな人を論破しても、問題は解決しないのではないだろうかという疑念が頭をよぎった。 「緊急避妊薬(モーニングアフターピル)が普及しましたし、性教育も充実させていますので、10代の妊娠も減ったんです。我々としては、これからも、そちらの方面の拡充をはかってまいります。そうすれば、そもそも中絶の是非を論ずる必要もなくなりますから」  詭弁だと思った。妊娠してしまった女性の心に寄り添った発言が一切ない。  次に登壇したプロライフ派の医師は、胎児の生命が宿るタイミングについて、妊娠6週目であることを図やデータを示して力説した。  一回目の意見陳述では、原告側が圧倒していたと言っていい。  アシュリーは、残響のように心に残る原告側の主張を噛みしめながら、第三法廷を後にした。
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