13人が本棚に入れています
本棚に追加
謙太が間の抜けた表情をしてしまったのも無理はなかった。
いきなり“人間”を扱う仕事だと言われてもピンとこない。アキラが細かく説明してやっと「人材派遣みたいなモンですか?」と聞くまでに至ったが、ざっくりとしかわからなかった。
しかも、それが自分の自意識過剰を治すのにどう関係するのか見当もつかない。
「私が思うに、浅野様はご両親からとても愛されて育ってきたんじゃないでしょうか。そうですね、特にお母様とは現在も仲が良いのでは?」
マリアの問いに大きく頷く。周りの人間からはマザコンだと囁かれる程母親とは仲が良く、何かあれば母親に相談し、母親もまた謙太を必要以上に気に掛けている。謙太自身はただ親と仲が良いだけなのに何故そう噂されるのか納得いかない部分だったが、他者にそう思われてしまうのならば否定しても仕方ないと考えていた。
「母さんは俺がこの歳になっても小遣いもくれるし、女の人とデートすると言えばアドバイスもくれます」
「大切に育てられているのですね。きっと幼い頃から褒められることが多かったんじゃないですか?」
次々と言い当ててくるマリアを謙太はまるで占い師のようだと思った。
「はい、いつも『謙太はハンサムだからモテる』『知性が滲み出ている』なんて言われます」
「浅野様はそれをどう受け止めていらっしゃるんですか?」
「親は一番身近な存在で、決して嘘は言わないっていうのが昔からの母さんの教えです。だから、そんな家族が言うんだったらそうなんだろうなぁとは思いますよ。実際友達にも言われるし……さっきマリアさんだって言ってくれたでしょう?」
調子に乗っているというよりは、心からそう信じているといった口調で謙太は話す。
マリアは面白そうに笑みをこぼし頷いており、アキラは数枚の書類を取り出していた。それをマリアに手渡し、受け取った彼女はサラサラと何かを書き出した。
「浅野様にピッタリのプランをご用意いたしました」
「プラン……? その、ホントに人材派遣で俺の性格って変えられるんですか?」
「勿論です。ただし、多少お値段は張りますが……――――」
「少しだったら貯金もあるんで……ただ、どういった……?」
「ご心配には及びません。ですが今回はそのプランの性質上、浅野様にはどのような人材をどういった形で動かすかはお教え出来ないんです」
「……え?」
高い金額を払うというのに内容も教えてもらえないというのは不安が先立った。
しかし、もしマリアの言う通り自分の性格が変えられるのなら賭けに出るのも悪くないかもしれないとも考える。自意識過剰を自覚しながらも治せない。自意識過剰だとわかっていながら否定されると傷付く。
自分はイケメンで頭もよくモテるんだというのは信じているが、女性達がどのタイミングで自分を好きになるのかが掴めないだけなんだと思っている。いつも自分が付き合おうと切り出す時にはまだその女性自身は恋心に気付いていないだけ――それが“自意識過剰”な所なんだと考えている。
「そのプランで、俺は女性の気持ちに気付ける男になれるんですね?」
「えぇ」
「もう、女性が自分の気持ちに気付かない内に『俺が好きなんだろう?』と聞いてしまって罵られることもなくなりますね?」
「――――……えぇ、勿論です。やはりお相手の気持ちを読み取ることは重要ですから。いくら浅野様が魅力的でも、そこを苦手としているのであれば克服するべきでしょう」
「わかりました。なんだか面白そうだし、依頼してみようと思います」
「ありがとうございます」
マリアとアキラが同時にそう言い、数枚の紙を書かせる。
謙太が全てを記入し終えた頃、アキラが電卓を叩き謙太の前に差し出した。
「それでは、こちらが今回お支払いいただく金額です。3日後までにご用意下さい」
「えっ、桁間違えてない、ですか……?」
「間違いございません」
そこには乗用車が新車で1台買える金額が打ち出されていた。
慌てて自分の貯金が40万程度しかないことを話す謙太だったが、記入された用紙を確認したマリアはニッコリと笑い、謙太の肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ、正式にご契約いただく3日後には、きっとお母様がご用意しているはずです」
「で、でも流石にそんな大金……」
「浅野様がご自身の貯金からもお支払いいただくのであれば、お母様にとっては然程大きな額ではないと思います。こちらからお母様にはご連絡いたしますので」
マリアの言葉にアキラが補足する。
「ご心配要りません、今回のご契約に関することはお母様は勿論、どなたにも一切お伝えすることはございません。誰にも知られず浅野様は変わられるんです」
「じゃあ、何て言って金を……?」
謙太の質問に、マリアは人差し指を口元に当てて微笑んだ。
「それは秘密です。そしてこの契約のこと、このお店の存在、全て他言無用です。もしも破ったら……――――」
「……破ったら?」
「ふふふ、私の口からはとてもじゃないですが伝えられませんね」
結局何もわからないまま、3日後正式に契約を交わすため来店する約束をした謙太は狐につままれたような顔のまま帰宅した。
マリアには強く“イミテーション・ハーツ”関係のことは口止めされたから、この流れを知らない母親にどうやって金を貰えばいいのだろうかと策を練っていたが、翌日母親の方から謙太に話を切り出してきた。
「謙ちゃん、パパと相談したんだけど……コレ、使いなさい」
そう言って手渡してきたのは、きっちり契約金の額が記入された小切手だった。驚いた謙太がテレビを観るのをやめ、立ち上がる。
「え、コレ……」
「いいの、謙ちゃんの貯金はそのまま取っておきなさい。これ、ちゃんと相手の女の人に渡すのよ?」
「え……聞いたの……?」
「大丈夫、パパもママも怒ってないわ……私にも責任はあるものね。相手の女性も話のわかる方でよかったじゃない。この金額でそれ以上は干渉しないって言うんですもの」
「……?」
「ねぇ謙ちゃん……明後日その女性と会うんでしょう? その日はお仕事はお休み?」
「あ、うん……休みだけど……」
「じゃあ、お金渡して話し合いが終わった後、ママとお食事にでも行かない?」
話が見えないながらも食事の約束はし、小切手を手にした謙太は母親の話からなんとなくその金をどういう目的で出すのかの見当はついていた。冤罪もいいところだが、いつも女性にモテるんだと話してきた謙太が実は振られっぱなしだという事実を知られるよりはまだマシだと思い、その設定を受け入れることにした。
契約日、その小切手と印鑑を持参した謙太がマリアに問うと、やはり大方その予想は正しかったようだ。
「本日13時よりご契約開始です。期間は3ヶ月間。それ未満の解約も可能ですがご返金はいたしませんのでご了承下さい」
「はい」
「それから、何度も申し上げますがこの件に関する一切を他言無用といたします。先程も誓約書にサインをいただきましたよね? 万が一破られた場合は“プロ”に処理していただきます」
「……処理……?」
「“始末”と言い換えてもいいでしょう」
その物騒な言葉に顔を蒼くした謙太だったが、すぐにいつもの妖艶な笑みに戻ったマリアにドキリとし、恐怖心はどこかに消え去った。
「今回はご契約誠にありがとうございます。ご契約終了時にはきっと今の弱点は克服できていることでしょう」
「あの、マリアさん」
「はい」
「もしその時、俺の自意識過剰が治っていたら付き合ってくれますか?」
あまり表情を変えないアキラが一瞬眉根を寄せて一歩出てきたが、マリアは変わらずゆったりとした動作でアキラを止め、頬に片手を添えて答えた。
「浅野様のその気持ちが変わっていなくて、再度そう仰られるのなら検討してみますね」
一緒に並んで歩けば誰もが振り返り羨むであろう美貌のマリアと付き合えるかもしれない。そのマリアは必ず謙太の性格は変わると言っている。
内容の見えない不安だらけの契約が一気に明るい未来を保障してくれるもののように思えた。
浮き足立ったまま13時半からの母親との約束のレストランに向かった謙太は、マリアがあの穏やかな笑みから想像も出来ないような非情なプランを立てたのだと知るのだった。
最初のコメントを投稿しよう!