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 月末、しかも金曜日で、その日社内はひっきりなしに電話が鳴っていた。仕事量に対して社員はそれ程多くない会社のため、半数以上が外勤に出ている時間は事務仕事も全然進まない。景子も今日は事務所内で書類をまとめていたが、あまりの電話の多さに溜息がこぼれていた。 「景子ちゃんも今夜の飲み会行くんでしょう?」  景子の同僚である林早苗(はやしさなえ)は、内勤者達にコーヒーを配りながら景子に問う。二人はプライベートでまで会うことはないが、社内ではよく一緒に過ごしていた。普段ならランチタイムにこういった話をするが、今日は互いに仕事に追われコンビニのサラダで済ませてしまったため、数分の休憩くらいはとデスクで話し始めた。 「うん、二次会とかは行けないんだけど」 「あー、例の彼氏? 結構厳しいよねー。愛されてるなぁー」 「そんなんじゃないよ。ちょっと心配性なだけ」  笑いながら、景子はまた自分で作った架空の彼氏の話にうんざりしていた。  景子がいつも飲み会の二次会以降に参加しないのは、経費で飲めるのが一次会だけだからだ。去年辺りから真剣に老後も独りなんじゃないかと不安になった景子はマンションを購入するための積立貯金を始めていた。勿論そんなことは誰にも話せないので、心配性の彼氏が許してくれないということにしていたのだった。  人数が多くないからか、この職場では定期的に飲み会が開かれていた。強制参加ではないものの自然と殆どの社員が揃う定例飲み会は、大抵この忙しい月末にセッティングされる。皆が飲み会のために仕事を残さないよう必死に働くのが目的である。毎回多少の遅刻者は居るが、それでもきちんと飲み会はスタートする。  今日も、20時にはほぼ全員が揃い飲み始めた。 「そろそろ石橋さんの彼氏見てみたいなー」  そう言ったのは、景子の先輩に当たる高山という男だった。近くの席の人達もそれに続く。 「確かに! 絶対デキるオトコって感じなんだろうなー」 「私も会ってみたいー! 呼べばいいのにー」 「……流石にそれは。一応会社の飲み会なので……」  やんわりと拒否しようとする景子だったが酒も入った周りは止まらない。 「えぇー、この前石川クン奥さん連れてきたじゃん。みんなそういうの大歓迎だってー」 「――……じゃあ、一応次回は声掛けてみようかな……」 「おぉー! 絶対だよ!」  盛り上がる中トイレのため席を外した景子は「誘ったけれど断られた」とでも言えばいいと気軽に考えていたが、席に戻ろうと個室の襖に手を伸ばした時、中で自分の名前が出ているのを聞き思わず立ち止まった。 「絶対アレ恋人とか居ないですよぉー」 「早苗ちゃん、石橋さんと仲良いんじゃないの?」  言われた早苗は呆れたような声色で答えた。 「まぁそれなりには。でも一回も彼氏の話ちゃんとしてくれたことないし、写メも何もないんですよ」 「じゃあ、今度の飲み会彼氏連れて来なかったらホントは居ないってことかぁ~」 「どーせあのコ、彼氏の都合つかなくて~とか言って連れて来ないですって!」  ()()()()()仲が良いだけあり景子の返事を予想する早苗。それを受けて社員達が盛り上がる。 「やー、でも石橋さんそこそこキレイだし彼氏くらい居ない?」 「僕は石橋さんみたいな人付き合えないですねー。いつも着飾ってますけど、靴汚いんですよ」 「何、中島そういうトコ見てるのかよー」 「え? 見ません?」  自分が居ない席ではこんな会話が繰り広げられていたんだと知り、景子はいつかの雨の日の出来事を思い出した。イミテーション・ハーツという謎めいた会社に迷い込み、妖艶な雰囲気を纏ったマリアという女性との会話。あの時マリアは景子の靴の汚れをやんわりと指摘していた。  ――――あぁ、そういうことなんだ。  景子は沢山並ぶ社員の靴と自分のパンプスを見比べた。踵が磨り減り薄汚れた自分のパンプスには、他のパンプスやビジネスシューズのような光沢がない。  確かにこれでは悪目立ちするなと思い、同時に独り身ではないかと面白おかしく噂されている事実に対してイミテーション・ハーツへの依頼を真剣に考えた。  景子には恋人役を頼めるような異性の友人なんて居ない。加えて、そこらのサクラを雇うには嘘を重ね過ぎていた。  マリアが自信たっぷりに“イミテーション”の魅力を語っていたこと、値が張ることを考えれば完璧な“自分の彼氏”を用意してもらえるんじゃないか。  心を決めた景子は、自分の席に戻り笑顔を作った。 「今お手洗いで彼に電話して聞いてみたんですけど、次回来てくれるって」  予想外の言葉だったのだろう、皆が一瞬目を丸くした。  得体の知れない会社の力を何故か信じきっていた景子は、粗探しをしたいのか妙に食いつく早苗にも、いつも以上に饒舌に彼氏を語った。 「でも、カレ仕事忙しいんじゃないの?」 「うん。だけど私がこういうお願いしたことないからって、なんだか喜んじゃって」 「へぇ~……? 楽しみだなぁ、景子ちゃんの彼氏!」  宴会コースの時間が過ぎ、殆どの人間が二次会へ流れる中、景子は一人皆と逆方向へ歩いた。  あの会社の場所は覚えている。大通りから一本南。昔からある小さな会社や住宅が混在する通りにあるレンガ造りの二階建ての建物で、やはりパッと見は古い喫茶店のような佇まい。  あの日は雨から逃れるためにただ飛び込んだ景子だったが、改めて見ると看板もなく、どうして何も疑わず扉を開けたのか自分でも不思議に思った。 「……ごめんくださーい……」  24時間対応するとマリアは言っていたが、飲み会帰りのこの時間帯はやはり気を遣う。  落ち着いた照明は灯っていたものの、本当にやっているのか不安を抱きながら店内に足を踏み入れた景子は、そして慌ててティッシュでパンプスを拭いた。 「いらっしゃいませ」 「あ……えっと、マリアさんは――」  景子を出迎えたのは品の良さそうな物腰の柔らかい男だった。20代後半か30代前半といったところか。やはり高級そうな黒いスーツに身を包み、軽くウエーブがかった黒髪もワックスで整えられており短髪ではないが清潔感もある。ニコリと微笑んだその男は、カウンター席に座るように促した。 「石橋景子様ですね?」 「どうして……」 「マリアから伺っております。只今彼女は席を外しておりますが、すぐに戻る予定です。それまでお待ちいただけますか?」 「はい……」 「あ、失礼致しました、私はアキラと申します」  苗字は名乗らないまま、マリアと同じデザインの黒い名刺を出す。  景子は今度こそ客として来ていることを思い出し、ただ名刺を受け取るだけに留めた。やはり普通の会社のそれとは違う名刺に、マリアがキャバ嬢ならこのアキラという男はホストだな等と考えながらカウンターテーブルにそっと置いた。 「何か飲まれませんか?」 「あ、じゃあ……コーヒーを」 「かしこまりました」  程なくして芳ばしい香りが店内に広がる。  最小限の音だけを立てて景子の目の前に置かれたコーヒーカップは、純白に縁だけ金色のシンプルながらも質の良い品だった。  ふと、今日は蓄音機もその機能を果たしていることに気付く。ゆったりとしたクラシックはこの店内の雰囲気によく合っていて、マリアやアキラの立ち居振る舞いにもマッチしていた。 「えっ……と、アキラ、さん」 「はい」 「ここは、喫茶店ではないけれどお店……ではあるんですよね? 代表の方は?」 「マリアが当社の代表です。彼女、何も説明していないんですね?」 「いえ、ここがどういうお店なのかは簡単には説明してくれましたよ」 「うーん……」  アキラはこめかみを人差し指で押さえ、眉根を寄せた。 「マリアは――実際お話されたのでしたらおわかりでしょうが、あのように少し要領を得ないというか不思議な人ですので。普段はあまり初めてご来店いただく方の対応はさせていないんですよ」 「……嫌だわ、誰が不思議な人ですか」  初めて会った日と同様に足音もなく出てきたマリアは、その身を抱えるように腕を組んでアキラの横に並んだ。アキラは「お帰りなさい」と言い、マリアに目で合図され奥に入っていった。 「石橋様、ご来店ありがとうございます。またお会いできるのを心待ちにしておりました」 「こんばんは。こんな遅い時間にすみません」 「お気になさらずに。私こそ出掛けていて申し訳ございません」 「いえ……」 「――――どのような“イミテーション”をご所望ですか?」  マリアの言葉を合図に戻ってきたアキラは、3枚の紙を持っていた。 「まずは、石橋様のことを教えて下さいませ。空欄は控えて下さい」  重たいペンと共に渡された1枚の紙は、よくある受付カードのようなものだった。名前や住所、電話番号に生年月日といった個人情報から、依頼したい内容、今までの経歴、趣味、更には休日の主な過ごし方といったプライベートなことまで記入する欄がある。景子が小学生くらいの頃に女子の間で流行ったプロフィールカードと履歴書を合わせたようなものだなと思いながら記入する。数分の時間をかけて全ての記入欄を埋めた景子に、マリアは微笑んで見せた。その紙を受け取った彼女はじっくりと目を通し、たまにうんうんと頷く。  しばしの沈黙。  アキラが気を利かせてコーヒーのおかわりを淹れたので、景子が礼を言い話し掛ける。 「今日は音楽が流れているんですね」 「えぇ、普段流しているんですが、マリアは蓄音機を触るのが怖いらしく使わないんですよ。ですので、石橋様が以前ご来店された際には無音だったと思います」 「やぁね、怖いわけじゃないですよ。私の仕事じゃないだけです」  すかさず口を挟むマリアにアキラが苦笑いを浮かべる。 「おや、聞いていたんですか?」 「こんなに近くにいるんです、聞こえるに決まっているでしょう?」  仲が良いんだなと思いながら二人のやり取りを楽しむ景子。コーヒーカップに口をつけたところでマリアがやっと手に持っていた受付カードを置き、2枚目の紙に何やらペンを走らせた。アキラはマリアの傍らで姿勢よく立っている。 「石橋様にご提案するプランが固まりました。ご説明しても?」 「あ、はい。お願いします」 「まずは改めて、ご来店ありがとうございます。今回はさぞお困りのことでしょうが、当社のサービスは万全ですのでどうぞご安心下さい。また、ご提案内容を聞いてやはり不要だと感じた場合はお気軽に仰って下さい。場合によっては他の案も出しますが、基本的にはお客様に最も合ったサービスをご提供したいので最初のご提案が合わないようでしたらキャンセルとなります。ご契約完了前でしたら料金は掛かりません」 「はい」  聞きながら景子の胸は高鳴っていた。自分の知らない世界が拓けること、同僚に影で噂されていた疑惑が晴れるであろうこと、そして擬似的ではあっても恋人が出来ることに。 「最初に、今回ご提案するイミテーションのご提供期間は約一ヶ月後の会社の方にお披露目する日まで。当日だけいきなり会って恋人のフリをするわけではなく、正式にご契約された日より目的の日までは恋人同士として実際に過ごしていただきます。家庭も恋人もない人材をご用意いたしますので、本当の恋人として接していただいて構いません。必要であれば夜のお相手もいたします」 「え……――――」  驚く景子に、マリアは口元だけ笑って続けた。 「……イミテーションのパールを、ダイヤを、石橋様は偽物だからという理由でパーティーに着けていくのを控えますか? それでしたら最初から本物をご用意されるでしょう?」 「そうですね……でも――」 「戸惑うお気持ちもごもっともですが、強制しているわけではございません。あくまでそういった使用方法も可能というだけですので、イミテーション側が迫ることはございません」 「それなら……はい」 「――ただし、ご契約は一ヶ月です。その期間を1分でも過ぎれば他人に戻っていただきます。そのため、本当に恋に落ちることは認められません。あくまでレンタルです。契約終了後も同様の関係を求められる場合は買い取っていただきます」 「か、買い取り……ですか?」 「はい。手放したくないというのであれば応じます。ただし、人間一人の人生を動かすということですので相当大きなお買い物になります」 「参考までに、どれくらい……」 「都心の高層マンションの最上階のお部屋をご購入されるくらいでしょうか。しかし、商品は買い取られた時点で当社のイミテーションから普通の人間に戻ります。もしもその後破局されても当社は一切の責任を負いませんこと、ご了承下さい」  その後も、事細かにシステムを説明するマリアだったが、景子はどこか他人事のように聞き流していた。流石にイミテーションを買い取る程必要だとは思わない。目的が果たされれば上手く別れたことにして契約を終える、それでいい。  3枚目の紙は仮契約書で、翌日の午前中改めて印鑑を持参し本契約をし、振込が完了すれば一週間後には“商品”が引き渡されるとのことだった。  言われていた通り高値だったものの、貯金だけはそこそこある景子にとって迷う要素にはならなかった。 「ありがとうございました。明日の10時にお待ちしております」 「はい、よろしくお願いします――あっ」 「はい?」  見送ろうとするマリアだったが、景子が声を上げて動きを止めた。 「すみません、この前お借りした傘、忘れてきちゃいました」 「あぁ、構いませんよ。もし邪魔にならないようでしたら差し上げます」 「いいんですか?」 「えぇ」 「ありがとうございます。とても素敵な傘だったので、それじゃあ使わせていただきますね!」  なんだか不思議な魅力のある傘で珍しく景子が気に入ったデザインだ。  同様に、未だどこか謎めいたこのイミテーション・ハーツという店にも惹かれるものがあり、翌日予定通り迷いもなく契約書に判を押し入金した景子は、サンタクロースを待つ子どものように“納品”を待ったのだった。
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