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偽物
何をするにも特に深い意味なんて持たなかった。
今自分に必要かどうか。やりたいかやりたくないか。学校には行きたくなかったから行かなかったし、殴りたいと思った奴は相手が気絶するまで殴った。アキラにとって警察など恐怖の対象でもなんでもなかった。
いいのか悪いのかその警察の世話になったことは無かったが、世の中の全てが敵であり、そして負ける筈が無いと思い込んでいたし、実際それまではアキラが負けたと思ったこと等たったの一度だって無かった。
「篤志がこの前紹介してくれた仕事辞めたわ」
「マジかー。やっぱアキラにはホストは無理だったか。悪ィな何か」
「いや、折角紹介してくれたのに篤志の顔立てられなくてゴメンな。でも考えてみろよ、俺が女にヘコヘコしてる姿」
「はははは! それは無いわ! 確かに向いてないわな!!」
「しかも店長、顔に痣作ってたら怒るの! 『お前は顔と体だけが売りなんだから傷付けるな』って」
容姿は金になるがそれ以外は要らない。そう言われたようで腹が立ったのがアキラがその仕事を辞めた一番の理由だった。しかしそんな風に選り好みしていれば、金はすぐに底をつく。
いつもは篤志に適当な仕事を振ってもらい小遣いを稼いでいたが、篤志はたまに仕事の都合だかで長い期間街を離れており、その時も篤志に頼ることも出来ず百円のハンバーガー一つで一日を乗り切る日が続いていた。
空腹に腹が鳴き、ビルの隙間に座り込んだアキラは灰色の空を見上げた。
定職も定住も持たないアキラは、篤志の家か小遣い稼ぎ先を転々としており、仕事も無く篤志も居ないこの頃は24時間営業の店に入り浸る日々だったが、とうとう小銭すらも尽き途方に暮れていた。自ら頭を下げて何処かに雇ってもらうことは考えられなかったし、しかし篤志を頼ろうにも携帯電話をアキラは持っていない。
「どーすっかな……」
前の晩に、最近勝手に世話になっていたファストフード店で“ちょこっと”暴れた時に出来た傷も痛む。
いつの間にか息も白くなる季節になっていてタンクトップに薄手のジャケットしか羽織っていないアキラの体は冷え切っていたが、何処に行けばいいかアキラにはわからなかった。昨日までの店は出入り禁止になってしまった。しかしこの広い街で、アキラの世界はとても狭い。店は沢山あるが、アキラが入れる場所は数える程だ。傷だらけで血の付いた服を着ていれば注目を浴びることはわかり切っていたし、好奇や偏見の目で見られるのは何とも思わなかったが、あえて厄介ごとに飛び込む程愚かでもない。
何度目かの大きなくしゃみをして鼻をすすったアキラの肩に、上質のマフラーが掛けられた。
見上げると、黒いロングヘアーの女が上品に微笑んでいた。
「そんな薄着だと風邪を召されますよ。どうぞお使い下さい」
目の前の女はあまり女性に興味を抱かないアキラから見ても美人で、篤志が見たら騒ぎそうだと想像出来た。だが、アキラとは住む世界が何層も違うであろう人間。身に着けているものは全て高そうな物で、振る舞いや口調からも育ちのよさは滲み出ていた。
「別に俺は物乞いじゃない。情けなんていらねーよ」
「そう仰らないで。貴方が憐れだと思ったわけじゃなく、私が見て寒々しいと思ったから差し上げるのです。どうぞ私の我儘にお付き合い下さい」
そう言って女はアキラの隣に腰を下ろすと、楽しそうに目を細めた。
対してアキラが目を見開く。
「お前っ、服汚れるぞ?」
「そんなの、手で払えばいいんですよ」
「この辺硝子の破片とか落ちてるから危ないだろ」
「懐かしいです。小さい時はよくこんな風に座っていました」
幼い日に公園で座り込んだことでも思い出しているのだろうかとアキラは考える。
無邪気なのか馬鹿なのか、どこぞの令嬢だと思われるその女は、アキラを見て眉を顰めるでも憐れむでもなく、一緒になって空を見上げていた。
「私はマリアと申します。お名前を伺っても?」
「どうして?」
マリアの問いかけにアキラが訝しむ。自分とは決して相容れないであろうお嬢サンが好奇心でも向けてきたのかと考えたのだ。しかし、そんなアキラの態度にマリアはアッサリと引き下がった。
「言いたくないのでしたら無理には聞きません。失礼致しました」
「いや……別に」
「では、名無しさん。失礼ついでにもう一つ。お食事に付き合っていただけませんか? 私はお腹が空いておりますが、もうコンビニのお弁当にも飽きてしまったのです。しかしながら一人で飲食店に入る勇気を持ち合わせていないのです。勿論私からお誘いするのですから私が支払います」
金持ちそうに見えるマリアの口からコンビニ弁当という言葉が出たことにも驚いたが、自ら金を払うと宣言して食事に誘ってくる女に会ったことがなかったアキラは思わずマリアの顔を見た。視線に気付いたマリアもアキラを見て、悪戯っぽく笑みをこぼした。
「――――もしかしてアレか? 逆ナン……?」
アキラは遊んでいるようなチャラチャラした女によくモテた。夜の繁華街で篤志とつるんで遊んでいたせいもあるだろう。
ホストのバイトをした時にも言われた通り容姿は褒められることが多かったこともあり、この女もそれが目的なのだろうかと考えるアキラに、マリアは冗談でしょうと返した。
「ボロボロに汚れた服と傷だらけの顔、更には香水で誤魔化しても微かに漂う汗の臭い。貴方はそんな人をナンパしたいと思うんですか?」
「いや……そうだよな。悪い。見た目がいいって理由で声掛けられることが多かったから」
「ふふふ、正直なんですね。んんー……そうですねぇ……」
立ち上がりアキラの正面に回ったマリアは、ぐっと顔を近付けてアキラの顔をまじまじと見た。
「確かに言われてみれば整っていますね。まだ名無しさんのことはそれこそ名前も存じ上げませんが、私はその眼差しは魅力的だと思います」
「目……じゃなく、眼差し?」
「えぇ、鋭くて、凛々しくて…………寂しそうな、眼差しが」
思い出したかのように尻を払うマリアは、それからアキラに手を差し伸べた。
「もうお腹がペコペコなんです。お付き合いいただけませんか?」
きゅるきゅると可愛らしい音を立てて空腹を訴えるマリアは、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。流石に腹が鳴ることまでは想定外だったのだろう。
キュッと口を結んで握手を求めるような姿勢で手を出し続けるマリアの掴めない言動にもう少し付き合ってみたいと思ったアキラは、あえてその手を無視して自分で立ち上がると、掛けられていただけのマフラーを首に巻きつけた。
「アキラ」
「……はい?」
「俺の名前。名無しってのも変だろ」
「えぇ」
「俺も腹が減って死にそうだったんだ。どうせなら物凄く上手いモンを食わせてもらうからな、マリア」
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