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今のアキラの薄汚れた格好で一人で入れるような店など無く、店内に足を踏み入れた瞬間ファミレスですら店員が顔を歪ませたが、続けてマリアが入り二人だと告げると、何か言いたげな目を向けられながらも席に通された。
奥のボックス席に腰を下ろすと、キョロキョロと物珍しそうに見回すマリア。
「ファミレスは何でもある飲食店だと聞いたことがあって、一度来てみたかったのです。きっととびきり美味しいものが食べられる筈ですよ」
マリアの発言が皮肉でも何でもないのは言葉尻から見て取れたから、アキラも苦笑する。
「マリアはファミレス初めてなのか。普通学生の時とか学校帰りに寄ったりするだろ」
「えぇ、私にはそんなお友達は居なくて……」
アキラはぼんやりと、美人でも意外と苦労するのだろうかと想像する。確かにここまで美しく、それでいて世間知らずともあれば付き合いづらいのかもしれない。
「そっか……ファミレスはな、美味いモンが何でもあって、しかも安いんだ。最高の店だと思わないか?」
言いながらメニューをマリアのほうに向け広げてやると、目を輝かせて写真を眺める彼女。
「アキラ、見て下さい。ステーキが780円だなんて、桁を間違っていませんか?」
「いや、間違っちゃいねーよ」
「すごいですね……! あ、アキラ、ドリンクバーというのはなんですか? お食事の方プラス120円とありますが、価格的に自動販売機の仲間でしょうか?」
「まぁ似たようなモンか……? ホラ、あっち、入口の所に機械あるだろ? ドリンクバーを頼んだら専用のグラスが与えられて、店にいる間は何回も好きな飲み物を飲める。ただしセルフサービスだ」
「それは……夢のようなシステムですね……!」
あぁだこうだと言いながら、マリアはデザートのチーズケーキに釣られてレディースセットを注文した。勿論興味を持ったドリンクバーもつけて。アキラはハンバーグセットを頼み、見本を見せなければいけないだろうと考え自分もドリンクバーをつける。大の大人がドリンクバー一つで無邪気にはしゃぐ姿が可笑しくて、アキラの表情も自然と綻ぶ。
「まぁ!」
「ん?」
「アキラは笑うと犬みたいで可愛いんですね」
「犬……っ、可愛い……?」
「あら? 変なことを言いましたか? 褒めたつもりだったのですが……」
「いや……」
マリアの言動に悪意がないのは充分にわかっていたから、特に言及するつもりはなかった。しかしふと気になったことがあり、アキラは初めて自らマリア自身について尋ねた。
「マリアっていくつなんだ?」
もしかしたら「いくつに見える?」なんていう面倒くさい質問で返されるかとも思って身構えたアキラだったが、予想に反してマリアはすんなり答えた。
「23歳です。あぁ、そういえばアキラの年齢も伺っていませんが……」
名前を尋ねた時に答えてもらえなかったことを思い出して語尾を潜めたマリアに、今度はアキラも素直に答えた。
「俺のほうが年下か。ハタチだよ」
「あら、そうでしたか。大人っぽい雰囲気なので私と同じくらいかと思っておりました」
「マリアのほうが上なんだから、別に敬語使わなくていいだろ」
「あ、いえ、私のこれは癖というか……別にきちんとした敬語でもありませんし」
「ふーん? じゃあ俺も真似する?」
「ふふふ、いえ。アキラはアキラの好きなように話して下さい」
運ばれてきた料理にテンションを上げるマリアは三つも年上だなんて思えなかったが、それでもやはり品のある落ち着いた言動に大人の余裕も感じられた。
アキラは自分にはない“余裕”を見せつけられたようで、それが何故かとても悔しかった。
食事を終え店を出た頃には辺りも薄暗くなっていた。最近は日が沈むのも早い。中途半端な時間に食事をした二人と入れ違いに店は夕食時の賑わいを見せ始めた。
「アキラはどの辺りにお住まいなのですか?」
「知り合いの所を転々としてるけど、ここんとこは夜中やってる店が寝床だった」
それも今日からは行けなくなったが。それを聞いたマリアは家がないことに驚くわけでもなく、ただ寝る場所がないと困るのではないかと言い「ならば私の家に一緒に帰りましょう」などと、とんでもないことを言い出した。流石にアキラもそれは反対する。
「いや、マリアお前……え? 言ってる意味わかってんの?」
「? えぇ、私は一人暮らしですから迷惑をかける家族も居りませんし、こんな寒空の下アキラを置いて帰るなんて私には出来ません」
「何もわかってねぇー……俺は男でマリアは女だろ」
「失礼ですね、それくらいわかっていますよ。“家族”というものは男女混合のグループじゃないですか」
「それとこれとは違うだろう? 俺はマリアの家族じゃない」
「一緒に食事をした仲です、家族みたいなものでしょう?」
話が通じないマリアに辟易するアキラに追い打ちを掛けたのは、「……それに、その身なりで何処かに行けるのですか?」というマリアの言葉だった。
そしてアキラは仕方なしにマリアの家に連れて行かれることになった。
「……広い」
「広くなんてないですよ。だってこの建物の中でこの階、この部屋しか使えないんですもの」
マリアの住む部屋はリビングが30帖はあると思われ、その他に寝室もあるようだった。
エントランスからしてオートロックで大理石の床が眩しい高そうな作りだったが、まさか若い女の一人暮らしでこんなドラマでしか見たことのないようなだだっ広い部屋に住んでいるとは思ってもみなかったアキラは、東京タワーのよく見える大きな窓辺に立って溜息を吐いた。
「ドラマじゃん……」
「何の話ですか?」
「何この夜景! え? ホントにこれマリアが住んでる部屋?」
「もしかして、今時東京タワーとかばかにしているんですか。確かにスカイツリーが完成したらそちらのほうが注目を浴びるでしょうが、この景色も悪くないんですよ」
「バカになんてしてねーよ。羨ましいよ!」
よく行く篤志の部屋は8帖のワンルームだし、短期で世話になるような寮は6帖間にロフトがあれば立派だと思っているようなアキラだ。タワーが云々の話ではない。
しかし、とアキラは部屋を見渡す。
真っ白の壁と床、毛足の長いラグ、高級そうな調度品の数々。いかにもお嬢様なマリアに似合いの部屋に、最もあってはいけないものが散乱していた。
「ホントにコンビニ弁当食い過ぎだろ……」
床は確かに今は部屋の片隅で休んでいるロボット掃除機が活躍しているのだろう綺麗だが、テーブルの上やキッチンには食べ終わったコンビニ弁当の容器が数え切れない程放置されていた。見ればシンクにはいくつも洗っていないグラスが溜まっている。
「マリアは家事が苦手なのか?」
「い、いえ。やろうと思えば出来ますとも。ただ、そう……あの、なんでしたっけ? 今若い女性の間で大流行中の……お、お魚系女子? なんですよ」
しどろもどろに言い訳をするマリア。
「お魚……? まさかとは思うけれど、それって“干物女”のこと?」
「あ、それです」
「大流行はしてねーし少し古いよ……それにマリアは単に家事出来ないだけだ」
「だから、やろうと思えば出来るんです」
「ならやれよ……」
ゴミ袋の在り処を訊ねたアキラは、そして弁当の容器を軽く洗って分別していった。溜まった洗い物を片付けると、嬉しそうにマリアがまとわりついてくる。
「すごい、すごいですアキラ。こんなにこのキッチンにはスペースがあったのですね」
「よかったな、このマンション曜日関係なくゴミ捨てる場所あって」
「アキラに言われた通りお風呂掃除をしておきましたよ」
「確認してやろう」
やはり一人暮らしには広すぎる浴室も、アキラに指示された通りに磨いたマリアは褒めろと言わんばかりに胸を張った。
「あのな、これくらい出来て当然だから。そんなんだったら嫁の貰い手見つからないだろ」
「――――……えっ!?」
「当然だろ? いくらマリアが美人でも部屋がゴミだらけの女はちょっとな……」
「そ、それもそうですね……えぇ、大丈夫です。やらなかっただけで、これからやりますから」
浴槽に湯を張る間、片付けをした時にアキラが見つけたティーセットで紅茶を淹れると、マリアは嬉しそうに受け取った。
「この部屋でまたこんな風にお茶が飲める日がくるなんて……」
「もしかして、前に誰か一緒に住んでた? よく見たらマリアに扱えないような調理器具とかもあったから」
「失礼ですね。確かに私は一度も使っていませんが。一緒に住んでいた方は居りませんが、以前はお手伝いの方が通ってくれていました。彼女が遠い街に嫁いでしまって以来、この通りですが」
「金ありそうだし家政婦ぐらい新しい人雇えばよかったのに」
アキラの言葉に、マリアは少しだけその瞳に翳を落とした。
「そういう問題じゃないのです。真代さん……そのお手伝いさんは、私が幼い頃から実家に仕えてくれていた人で、私にとっては家族だったのです。お姉さんのような、お母さんのような、大切な人です」
「そう、なんだ」
「私には血の繋がりを意味する家族は居りません。なので真代さんが離れてしまった今、家のことはもう自分でやらなければなりませんよね」
「……そうだな、もう大人だしな」
「はい、大人ですから――あ、そろそろお風呂に入りましょう。どうぞ、先にお入り下さい」
マリアに勧められ久々に入った風呂の温かさと入浴剤の甘い香りは、アキラの傷だらけの体にもやさぐれた心にもしみた。
寝る前に傷の手当をしなければとマリアが救急箱を出してきた。体を綺麗に洗い流すのを待っていたようだ。家事の出来ないマリアの手当などあてにしていなかったアキラだったが、思いの外手際よく的確な処置を施すマリアに感心していた。
「仕事が医療関係とか?」
「いえ、違います」
「その割には手馴れてるな」
「そうですか? ……そうかもしれませんね」
マリアの態度に追求されたくないのだろうと思ったアキラは、それ以上聞くのをやめた。互いに必要以上には踏み込まない。他人と同じ空間に居る際の、ストレスを最小限に抑えるためのルール。
彼女の取る距離感はアキラには心地良いものだった。
「アキラは、喧嘩が好きなのですか?」
「いや、んー、別に好きとか嫌いとかじゃない」
「痛くはないのですか?」
「痛いよ」
「痛い思いは……避けられるなら避けたいですね」
ハッキリと喧嘩をするなと咎めるでもなく、マリアはそうポツリと呟いた。
「アキラはこれからどうするのですか?」
「仕事とか住む所?」
「えぇ。もし行く所がなければ、見つかるまでウチに居ればいいのに、と思って」
「いつになるかわかんないよ?」
「いつまででもいいですよ。その代わりに、毎日私に紅茶を淹れて欲しいです」
頬の擦り傷にガーゼを当て処置を終えたマリアは、そのガーゼの上から優しくアキラの頬を撫でた。上目遣いにアキラを見るマリアの瞳が寂しそうで、アキラは何故か心が苦しくなった。
「い、犬じゃないんだから……簡単に拾うなよ」
「わかっています。アキラは人間で、家族みたいな人です。だって、こんなに長い時間一緒に居るんだもの」
家族は居ないと言うマリアは、もしかしたら頼りにしていた家政婦が居なくなってしまい寂しいのかもしれない。友達も居ないようだし、他人と関わること自体が嬉しいのだろうか。
生活能力の乏しいこのお嬢様をこのまま一人きりの生活に戻すのも不安が残る。
アキラはそんな言い訳を頭の中で並べ立て、マリアの提案に乗ることにしたのだった。
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