偽物

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 ドアを開け暗い表情のまま店に入ったマスターに、マリアは飛びつくように駆け寄り声を荒げた。 「おじい様! アキラは、アキラは……っ!!」 「見つからなかった……けれど、八丁目の細い路地でこれを見つけたよ。この紙袋と中身は、私がアキラ君に買ってきて欲しいと頼んでいた物で間違いないだろう……」  マスターの持っていた紙袋には、少しの切り傷では説明出来ない量の血がついていた。 「八丁目ですね!?」 「いや、危ないからマリアは此処で待っていなさい。私が警察に――――」 「警察が何の役に立つと言うのですか! おじい様は此処でお待ち下さい。私が行ってきます」 「マリッ――」  雪の降る夜だった。  傘も差さずに店を飛び出したマリアは、いつもの倍以上の歩幅の足跡をつけて紙袋が落ちていたという現場に走った。  マリアにこの辺りの土地勘はあった。八丁目の路地で大量に出血したのがアキラであれば、自分で動くにも連れ去られるにもそう遠くには行けない筈だった。マリアの予想する場所で事件が起こったのなら、拉致をするための車は入れないと思われた。そうなると、なんとなくアキラの居場所も見当がついたためそこに迷いなく駆け付けると、凶器を持った男二人が倒れているアキラを殴っていた。 「アキラ!!」  遠くにマリアの声が聞こえた気がしたが、アキラはすぐにそんな筈ないと打ち消した。  あの後連れ込まれたこの雑居ビルは数年前のボヤ騒ぎの後は人など寄り付かず、専らチンピラの遊び場だ。マリアのような人間はまず立ち入ろうと思い至ることすらないだろう。  しかし、何度も聞こえるマリアの声に、腫れ上がりあまり開かない目を凝らして見ると、真っ白なカシミヤのコートを血に染めたマリアが今にも泣き出しそうな顔でアキラの名を叫んでいた。 「……え……? ま、マリ、ア……?」  途中から記憶は曖昧だったが、アキラは不意に頭を攻撃されて此処に連れ込まれ、何度も気絶を繰り返し一方的に傷めつけられていた筈だ。相手は一人は鉄パイプ、もう一人は小型のナイフとスタンガンを持っていて、しかしその男達は今マリアの背後で伸びている。 「何が……?」  壁にもたれ掛かるように座っていたアキラを、マリアはきつく抱きしめた。 「アキラ……! アキラ、心配しましたよ、アキラ……っ」 「いっ……痛いよ、マリア」  何本か骨もやられているかもしれないなとぼんやりとした頭で考えながら、目の前で泣き出したマリアに身を委ねる。こんなに感情をむき出しにしているマリアを見たのは初めてだった。  段々と意識がハッキリとしてきたアキラは、改めてこの状況を考えてみる。 「……何があったの? コレ、マリアが……?」  一人は口から血を吐いて白目を剥き倒れており、足も変な方向に曲がっている。もう一人は太ももに小型ナイフが刺さった状態で泡を吹いて伸びていた。それらの横には彼らが持っていた鉄パイプとスタンガンも落ちている。  一方マリアにはコートの上から見る限りでは擦り傷一つ見当たらず、男達の血以外の汚れすらない。 「細かいことはいいのです。アキラが無事なら、それで……本当に良かったです。相手は刃物も持っていたのですから、刺されなくて良かったです……」 「俺も血だらけだから……そんなにくっついたら、汚れるよ、マリア」 「そんなの洗えばいいんですよ……それにもう、あの男達の汚い血がついてしまいました」 「やっぱりマリアが――――」  この細い腕で、何も出来ないお嬢様が凶器を持った男達を倒したというのだろうか。アキラの疑問には答えることなくマリアが必死に縋り付いく。 「すごく、すごく心配したんですから……! もう嫌です……喧嘩は、嫌です……」 「……今日のは、俺は手を出す暇もなかったよ……」 「それくらい、状況を見ればわかりました、けど……喧嘩なんてしてきたから、こうなるんです」 「はは、そうだね、自業自得だ」 「アキラは優しい人なんです……喧嘩なんて、向いてないんです……」  マリアが腕を回し泣きつき、アキラの首筋に熱い息がかかる。 「ホントは強いんだけどな……」 「強いとか弱いとかじゃなく、ダメなんです! 私は、私はもう、家族を失いたくないんです!」  “家族”。  マリアのその感情は、自分がマリアの笑顔を見たいと思う理由とは別のものなんだと改めて思い知らされる。  そう思ったアキラは、そこで初めて自分の感情につく名前を自覚した。あまり力の入らない腕をマリアの腰に回して、子どものように泣きじゃくる彼女をあやすように相槌を打つ。 「っ……――――アキラは、何も知らないんです……」 「何もって?」 「大切な人の血を見るのは、悲しいです」 「……うん」 「暴力は、よくないです……」 「……そうだね」 「本当に強い人は……拳では語りません」 「……うん」 「アキラは、わかってないのに……何も……暴力は、恐ろしいんですよ……」 「うん……」 「――――人を、殺めたことも、ないくせに……っ」  一瞬マリアが何を言っているのかアキラには理解出来なかった。確かに今まで沢山の血を流してきた。自分のも、相手のも。それでも気を失うまででやめてきたし、身近に暴力沙汰は沢山あっても殺人事件までは無かった。いくら相手が大怪我をしても自分の手で人を殺せるなんて現実味がなかったし、相手も自分を殺す気まではなかった筈だ。  だけど、マリアのその言葉はとても重たくて。  言葉にして問わずとも、マリアにその経験があるのかどうかは伝わった。 「……もう泣かないでマリア」 「……だけどアキラっ」 「大丈夫、何処にも行かないから離して? 苦しいよ」 「絶対、ずっと、何処にも行かないで……――――そばに居て、アキラ」  敬語じゃないマリアのその言葉は、アキラが気付いたばかりの感情を大きく燃え上がらせるには充分過ぎる燃料だった。 「……はい、マリア」  マリアに付き添われ救急車で病院に搬送されたアキラは二ヶ月入院する羽目になったが、マスターもマリアも何も心配しなくていいと様々な面でアキラの面倒をみた。  入院して数日後、病室で新聞を読んでいたアキラはふと小さな記事に目を留めた。  それは全国紙でありながらアキラ達の住む街で起こった些細な暴力事件を取り上げており、更にアキラが不思議に思ったのは、人も死んでいないような小さな記事に犯人の顔写真が載っていた点だった。その顔も記事の内容も覚えがある。被害者だけ素性を伏せられているが、その被害者こそアキラであった。  花瓶の水を取り替えてきたマリアに尋ねる。 「マリア、この記事は……?」 「あぁ、やっと今日載りましたね」 「え、これもマリアが……?」  ベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰掛け、妖しい笑みを浮かべるマリア。 「アキラがこんなに辛い思いをしているのです。アキラを傷めつけてそのまま逃がすわけにはいきませんもの」 「マリアも男達に攻撃したでしょう……」 「そ、それはあくまで正当防衛です」 「過剰防衛だと……」 「とにかく、あの方々には社会的にもこう……」  言葉は濁したが、結局マリアは暴力的に制裁を加え、更に法的な裁きを受けさせ、マスコミを利用し社会的にも懲らしめた。その手段はアキラには見当もつかなかったが、もしかしたらそれがマリアの“本業”とも関係するのかもしれないと想像し、侮れないなと溜息を漏らした。 「ねぇアキラ、早く退院して下さい」 「流石に骨がくっつくまでは難しいんじゃないですか?」 「すっかりアキラの居る生活に慣れてしまったので、寂しくて仕方ありません」  マリアの言葉に頬を染めたアキラだったが、きゅるきゅると腹を鳴らすマリアは苦笑いを浮かべ続けた。 「……コンビニのお弁当も飽きましたし、おじい様のお店ではトーストしか出ませんし、アキラと美味しいものを食べたいです……またドリンクバーのあるお店にも行きたいですし……何より、アキラの淹れた美味しい紅茶が飲みたいです」  一瞬甘い言葉を期待してしまった自分を恥じながらそれをマリアにぶつけることも出来ず、少し迷ってマリアの長い黒髪を掬い言葉を返すアキラ。 「家事はしようと思えば出来るんじゃないんですか?」 「……勿論出来ますよ」 「ならば、自炊もしてみたらどうですか」 「今はアキラのことが心配で家事が手に付かないので――」 「でしたら、退院のお祝いでもしてもらいましょうか。マリアの手料理で」 「えっ…………と、トーストでも……?」 「ダメです」  何気ない会話を交わしながら自分がこんな穏やかな日常を手に入れることになるなんて想像も出来なかったと改めて思い、謎めいたマリアの素顔を知りたいと考える反面、無理に聞こうとしてこの関係を崩すくらいなら知らないままでもいいとも考えていた。  そんなアキラの思考を読んだのか、マリアが少しだけ改まった様子で問う。 「知りたいことがあるのでしょう?」 「……聞いてもいいんですか?」 「――――何が知りたいのですか?」 「うーん……そうですね、マリアの仕事について、でしょうか」 「あら、そんなことでしたか」  くすりと笑い鞄を漁るマリアは、そして一枚の名刺を見せた。 「……“イミテーション・ハーツ”?」 「えぇ、私が代表を務める……というか、私一人でやっている会社の名前です」 「……キャバクラ?」 「あら、アキラはそういうお店に行ったことがあるのですか?」 「い、いえ! そうじゃなくて、その、名刺のデザインがそういう雰囲気だなぁって!」 「へぇ。雰囲気がわかるくらいそういうお店で名刺を貰っていたのですね」 「あぁぁぁ…………」 「ふふふ、冗談です。確かにデザインはあまり一般的な会社のそれとは違いますよね」  どう説明しようかと考えるマリアは、アキラの手を取りその手のひらに指で字を書いた。 「“偽”という漢字は、不思議ですよね。人のためと書くのに、その漢字に人はあまりいい印象を抱きません。だけどその漢字は、人が手を加えて別のものにするという意味があると言われています。別のものを作り上げるのであれば、悪いことばかりでもないでしょう? その“偽”によって誰かが幸せになれるのなら、素敵なことだと思うんです」 「はぁ……」 「私は、偽物でその人の人生を変えるお仕事をしています。例えば、サクラ。結婚式に呼べる友人が少なくて困っている方が、嘘の友人を雇うサービスは知られていますよね。しかしそれはあくまで名ばかりの友人。親族の方がお酌しながら挨拶をしてくれても気の利いた思い出一つ語れないのに、結婚式に呼ばれるような親しい友人として務まるでしょうか? 私はそこで、親族の方とも思い出を共有できる“本当の友人”を用意するのです」  そのためには通常の友人代行のような類のものより高い報酬を貰うことになるが、その分実際に依頼人の求める友人像そのままの人間を用意出来るのだという。確かにそんな仕事をこなせるだけの人脈があるからこそ、全国紙に普段載らないような記事を捩じ込むことが出来たのだろう。 「……それは、マリア一人で全てこなしているのですか?」 「いえ、下準備を整えるのは私の仕事ですが、実際には別の人間を雇って“演じて”いただいていますよ。ただ、事務仕事が増えてきてしまって、そろそろ私の相方を雇いたいのですが……」  悪戯っぽくアキラを見たマリアは「おじい様には申し訳ないですが、私にはアキラが居ないとダメだと我儘を言ってみたいのですがどうでしょう」と笑った。 「美味しい料理に景色のいい天然温泉の露天風呂。あー、帰りたくないよぉー」  大浴場前の休憩所でマッサージチェアに肩をほぐされながらミイナがそう訴える。マリアの提案で初めて慰安旅行というものをしてみたが、アキラもミイナに概ね同感だった。 「ユタカは?」 「まだサウナに居るんじゃないですか?」 「ふーん。あ、『マリアは?』って思ってるでしょ?」 「べ、別に……!?」 「マリアさんは長い髪を乾かすのに時間がかかるからね、もうすぐ終わるとは思うけど」 「そうですね、マリアはどうせ完全に乾くのを待てずに途中で出てくるでしょうし」  アキラがマリアの家で世話になっている時、いつもそれをアキラが叱っていた。乾き切る前に寝るのは風邪にも繋がるし髪も傷むだろうと何度言っても後ろのほうは自分で見えないしいいのだと言い張るマリアを座らせ、最後まで乾かしてやるのが日課になっていたことを思い出す。 「……なんでそんなことわかるの?」  耳ざとくアキラの言葉を拾ったミイナがニヤニヤとからかう。しまったと思ったアキラだったが、いつもからかわれているだけというのも面白くないと思い、特に隠しているわけでもない過去を少しだけ出してみる。 「同じ部屋で暮らしていた頃は、私がマリアの身の回りの世話をしていましたからね」 「えぇぇぇぇっ!? え、何!? アキラってマリアさんと同棲してたの!?」 「いえ、同棲ではないですが……」 「うわ、うわー! え? 片想いこじらせた妄想……とかでは――――」 「ありません。そこまで残念な男だと思っていたのですか」 「え、ま、まぁ……ごめん」 「疑うならマリアに聞いてみたらいいでしょう?」 「え? あ、マリアさん!」  予想通り生乾きのまま出てきたマリアがミイナを騒がしいと窘めるが、興奮しているミイナは聞き入れずに稼動が終わったマッサージチェアから飛び起きる。 「マリアさん、アキラと暮らしてたことあるって聞いたんですけど!」 「あら、アキラが話したんですか。随分昔の話ですけれどね」 「えぇぇ、ホントだったぁ……ユタカにも早く言いたいよぉー……」 「そんなニュースになるようなことですか?」  歌うように笑うマリアは、当たり前のようにアキラの座る椅子の隣に腰を下ろした。 「そういえばマリアさんはいつもアキラの横キープしてますよね……つつ付き合ってたり……!?」 「可笑しい人ですね。そんなに驚いて。ミイナが思うような関係ではないですよ。ね? アキラ」 「――――……ソウデスネ」  もうすっかりマリアのそんな返しに慣れてしまっている自分が悲しくも、ミイナに残念だと称されるのも納得出来たアキラだった。  しかし……―――― 「ミイナもユタカもとても大切な家族です。またこうして旅行したいですね」 「はいっ! あ、ユタカやっと出てきたー! ちょっと聞いてよ!」 「ふふふ、本当にミイナは元気がいいですね」  こうして隣に座るマリアは、アキラが初めて出会ったあの日と何も変わらない微笑を湛えている。  適度な距離感を保ったまま。  その距離を縮めたいと切望するが、あの雪の日の約束がある限り手の届く場所にマリアは居てくれる。今のアキラはそれだけで心が満たされた。 「だけど、アキラのことは特別に大切です」  湯上りで紅潮した顔のマリアに見つめられ、やはり進展への欲が出てしまうアキラであった。
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