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コマロフとマリアが“家族”としての生活を始めて一年が過ぎていた。
幼い頃から所謂お嬢様らしい習い事をこなしてきたマリアだったが、高校生のマリアが自ら選び通うようになった習い事は、とても深窓の令嬢のような上品さはなかった。
「聞いて下さいおじい様。今日師匠に初めて勝つことが出来たんですよ」
「すごいじゃないか。マリアは昔から活発な子だったからね、筋がいいんだよ」
「えぇ、師匠もそう言ってくれました。こんなに成長が早い子は見たことがないと驚かれたんですよ」
「流石私の自慢の孫だ」
マリアは最初は剣道や柔道、合気道のような部活動にもあるようなスポーツを始めたが、それだけでは飽きたらず様々な格闘技に手を出していた。攻撃というよりは防御や護身に力を入れていたが。
祥子との暮らしの中では薄暗い部屋の中で本を読むことだけが許される娯楽だったマリアにとって、体を動かすことは最大のストレス発散にもなったし、何よりもう誰にも守られなくとも強くありたいと思ったマリアは、心身共に鍛え抜くことが目標でもあった。
マリアは色白で手足も細く性格もおっとりしていたため周りは意外だと目を丸くするが、コマロフは日々生き生きと成長していくマリアを見るのが幸せだった。
同時に、年頃の女の子らしい遊びをしないマリアを些か心配もしていた。
「お友達と遊びに行ったり、ボーイフレンドを作ったりしなくてもいいのかい?」
そう訊ねるコマロフに、マリアは歌うように笑った。
「だっておじい様、私は高校生活の始まりの大事な時期に塞ぎ込んでしまっていたんですよ。お友達作りは見事に失敗してしまいました」
「今からでも遅くないだろう?」
「そうですね。だけど道場ではお喋りする相手もいますし、存外一人もいいものですよ」
「マリアがそれでいいのなら心配はしないが……」
「大丈夫ですよおじい様。私が強くなれば、きっとそばに居てくれる人も現れる筈です。強い人の周りには人が集まるじゃないですか。それに私にはおじい様が居ます」
そう言われてしまうとそれ以上言えないコマロフ。彼の心配をよそに、マリアは日々鍛錬を続けた。
ある程度の知識や経験を積んだマリアは強くなった実感もあり満足していたが、次第に街往く人がマリアを注目することが気になり始めていた。
高校三年生になっていたマリアは、クラスメイトは化粧もすっかり慣れたものでお洒落を楽しんでいる中、汗をかくことが多いのもあり自分にはまだ必要ないと素顔のまま過ごしていたが、もしかしたら化粧をしていないことで周りを不快にさせているのかもしれないと思い始めた。
ふと昔アンナに言われた言葉を思い出し、考える。
――――魔法の言葉を言う相手を見つけるためには、身なりにも気を遣わないといけないのではないか。
「おじい様、今月いっぱいで習い事は全て辞めることにしました」
「どうかしたのかい? 随分急な話だね」
「……思うところがありまして」
「まぁ、私はマリアがやりたいことを応援するだけだよ。マリアにはマリアの好きな生き方をする権利がある」
「ありがとうございます。実は、ちょっと女の子らしいことをしたいと思いまして」
「それはいいね。マリアはとても美しいから、きっと何をしても絵になるよ」
コマロフはいつもマリアの容姿も中身も褒めたが、マリアはそれが身内の贔屓目だと思っており、世間的には自分がお洒落の一つもしない可愛げのない女だと疑わなかった。
まずはわかりやすく化粧からだろうと雑誌を数冊買いメイク用品も揃えたマリアは、しかし今までそういったものに触れてこなかった為いまいち理解出来ずにいた。
そんな最中、マリアに朗報が届いた。
それは、以前実家に仕えていた家政婦の真代が近くに越して来たという話だった。
正嗣達の死後は離れた街で就職していた真代が転勤で東京に来たのだという。コマロフの家のそばのアパートで一人暮らしを始めた真代が仕事帰りのコマロフに見覚えがあり話し掛けたのをきっかけに、マリアが此処に居ることを知ったらしい。
コマロフに招待されてマリアの元を訪れた真代は、泣きそうな笑みを浮かべた。
「マリア様、すっかり大人になられて」
「ふふふ、真代さんは相変わらず綺麗なお姉さんのままですね」
「いえ、私なんてもうおばさんですよ。それにしてもマリア様……よかった」
「? 何がですか?」
「あんなに傷だらけにされたのに……痕も残らず白くて綺麗なお肌で安心しました。女の子なので特に心配していたんですよ」
「ご心配をお掛けしました。この通りすっかり綺麗に治りましたし、おじい様と健康的な暮らしが出来ているのでこんなにも元気ですよ」
そして体を鍛える等努力してきたことを話したマリアは、ここ最近のもっぱらの悩みである美容について相談した。話を聞いた真代は心底嬉しそうに協力を申し出、その日から時間を見つけては真代が会いに来た。
「マリア様はとても色白ですから、チークを使ったほうが健康的に見えると思いますよ。あぁ、でもその神秘的な雰囲気を活かしてあえて赤みを差さないのもいいかもしれませんね」
「なんだか奥が深いのですね……このつけまつげというものは? 流行っていると聞きましたが」
「えぇ、私もしていますよ。だけどマリア様には必要ないでしょう」
「……どうしてです?」
「だって付けなくても長くてボリュームもあるじゃないですか。目元を華やかにするのであれば、アイシャドウとマスカラだけで充分ですよ」
真代の教えの甲斐あり化粧を覚えたマリアは、真代の言う“スッピン風メイク”というものをして試しに登校してみた。
校則の厳しくない学校だったため叱られこそしなかったが、雰囲気の違うマリアにすれ違う生徒やクラスメイトは注目した。周りに溶け込みたくて化粧をしたのに見られてしまうことが理解出来なかったマリアは、試しに大人しそうな女生徒に初めて自ら声を掛けてみた。
「あの、いきなりこんなことを聞くのもアレですが……私はそんなにおかしいですか?」
「……えっ?」
「あまりにお洒落に無頓着だったからばかにされているのだと思ってお化粧を覚えてみたのですが、なんだか余計に見られているようで……何か間違っていましたか? 変でしょうか……?」
真代もコマロフも美しいと褒めたが、身内の意見は参考にならない。他人の意見を聞いてみようと試みたマリアだったが、いきなりそんなことを訊かれた女生徒は困惑した。
「え、あの……別に、馬鹿にしてるとか変とかじゃないんだよ……すごくキレイだと、思う……」
言葉を選びながら答える彼女に礼を言うマリアだったが、親しくもない人間にそんな質問を投げられて正直に変だという人も居ないだろうと思い直すと、結局真代の意見を参考にするしかないと考えた。
「だからマリア様は美しすぎるんですよ。そんなにキレイなコが居たら、高校生くらいなら戸惑ってしまいますよ」
「真代さんは優しいからそう言って下さいますが、見られるのは学校だけじゃないのです。きっとよっぽどセンスがおかしいと思われているんですよ……」
「――――もう! どうしてわかって下さらないのですか。マリア様はお綺麗ですよ! もっと自信を持って堂々とされたらどうですか。私やコマロフさんが綺麗だと言っているのです。あまりご自分を卑下なさるのでしたら、私達の感性がおかしいと言われているのと同じです」
「え……ごめんなさい……」
「どうしても気になるというのでしたら、考え方を変えてみれば良いのです。マリア様はチャラチャラした流行の服装ではないので、流行りに乗ることが楽しみである人達にはダサく見えるから見られている、そう考えるのがいいかもしれませんね。とにかく、ご自分を過小評価するのはよくないです」
「はい……ごめんなさい」
真代に圧倒され謝るマリアは、自分が醜いわけでも見苦しいわけでもないのだと言われ一応納得し、そして真代の言う通り流行に乗っていない所為にして気にしないように努めた。こちらの方面でもマリアは吸収が早く、真代から見たマリアは女子高生とは思えない程の文句のつけようのない女の子が出来上がった。
「マリア様は何でも覚えが早くて教え甲斐があります……あとは、もう少し社交性が欲しいですね」
世間体ではなく自分のために常に高みを目指すマリアの成長を手助けする真代は、初老のコマロフには教えられない女性的な面でのサポートをするのが楽しみにもなっていたが、どうしても気に掛かるのはマリアの内向的な性格だった。
コマロフや真代のようによく知った相手であれば明るく話せるが他人にはどうしても壁を作ってしまい普段通りに話せないマリアを祥子による虐待やその後の事件のこともあり強引に矯正出来ずにいたが、大学に進むにしろ就職するにしろ今後社会に出るにあたって今のままではマリア自身が困るだろう。そう考えたコマロフと真代の提案で、マリアにアルバイトをさせることになった。
「私はあまり人と関わるのは得意ではないので……接客業はハードルが高い気がします」
自らの性格を充分に理解しているマリアが不安を漏らす。
「大丈夫だよマリア。私の店はそんなに元気のいい若いお客様は多くないし、何かあれば私がサポート出来る。難しい仕事でもないし人との会話の練習には最適だと思うよ」
「そうですよマリア様。向上心のある努力家のマリア様です、すぐに慣れて楽しめるようになりますよ」
二人に背中を押され、マリアは今までだって習い事もこなせたし学校の子にも話し掛けることも出来たのだからと自分を奮い立たせ、コマロフの営む喫茶店でアルバイトをすることになった。
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