家族

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 印刷会社の一件以来は目立ったトラブルもなく、相変わらずマリアは急成長を見せていた。  真代をはじめ社員は皆マリアの独特のペースに巻き込まれながらも魅了され、入社して三年が過ぎた頃には大きな仕事も安心してマリアに任せるようになっていた。同時に、仕事に慣れたマリアは会社の許可の元コマロフの店の手伝いもしたし、暇を見つけては吉原の元へ遊びに行ってはそちらの方面の人脈も増やしていった。マリア自身が図らずも各方面の権力者とも繋がりを持ち、マリアの一声である程度のことなら動かせる程で、会社としてはマリアの扱いに困っていた。 「マリア様、失礼を承知で単刀直入に申し上げます」  そこで駆り出されるのは昔からマリアと付き合いのある真代だ。一人暮らしをするマリアの部屋に毎日のように通い家事を手伝っていた真代が、その日食事の後苦い顔をして切り出すと、マリアは僅かに眉を寄せた。 「なんでしょう、かしこまって」 「……マリア様が優秀過ぎるので、うちの会社では手を余しているのが正直なところです」 「それは遠回しに使えないと……?」 「いえ、自信を持って下さいマリア様。言葉通りに受け取っていただきたいです」 「……そうですか」 「うちは上層部に考えの古い人間が多く居ますので、実力があろうともマリア様を昇進させることはまずないでしょう。そうなると現状、一般社員がマリア様とどう仕事をすればいいのか困惑しております。自分より優秀だとわかっている人間に今のレベルの仕事を振るのも単純な指示を出すのも辛いです」 「私自身は特に昇進を望んでいるわけでもなく今の状態で楽しいのですが、社内の士気を乱すようでしたら仕方ありませんね」  聞き分けよく頷くマリアは、そして悪戯っぽく笑った。 「私も実はそろそろやりたいことが見えてきたので、一歩進んでみたいと考えていました。その代わり、二つ程我儘を聞いていただけませんか?」 「何でしょう」 「一つは、似たような業種への転職を認めていただきたいのです。多少の伝手は確保出来ましたので起業したいと思っているのですが、派遣業のようなものを考えているので……」 「それは問題ないでしょう。うちは独立支援もしているくらいですので、そういった制約はありません」 「よかった。では、もう一つですが――――」  少しだけ言いにくそうに指先を遊ばせるマリア。 「難しいことなのですか?」 「どうでしょう……あの、真代さんがお忙しいのは重々承知しております。ですが、私は今まで真代さんに頼りっぱなしで家のことは出来ないままなのです。真代さんが転勤や結婚でこの街を離れる日まで、うちにこうして来ていただけませんか?」  マリアの申し出に二つ返事で頷いた真代は、マリアが幼かった頃に見せていたのと同じ無垢な笑顔に、これからマリアがどんな仕事をしようとしているのか等考えなかった。  マリアならば天性の人を惹きつける力もあるし、才も財もある。  そう考え心配もしていなかったが、いざ独立して働き出したマリアは真代が想像していなかったことを次々としていき、真代が不安を抱えきれずコマロフの元を訪れるのにそう時間は要さなかった。  しかし、真代の不安とは裏腹にコマロフは珍しく声を出して笑った。 「本当にもう、あの子はお転婆だねぇ」 「お転婆で済みませんよ! だってヤのつく人達とも懇意にしているなんて知りませんでしたよ」 「元々人見知りしないで快活な子だったからね。昔の事件を乗り越えたマリアには、知らない世界のこと程魅力的に映るんだろうね」 「そんな呑気な――」 「大丈夫だよ真代さん。マリアだってもう子どもじゃない。確かに今マリアが付き合いのある人達は世間的には後ろ暗い仕事をしているのかもしれないけれど、マリアが自分で選んで付き合っている人達だ。聡い子だから善悪くらい判断出来るだろうし、考えがあってのことだと思うよ」 「せっかく上質なスーツで出掛けているのに、おしりに土をつけて帰ってくることもあるんですよ」 「ははは、地べたに座っているんだろうね」 「あぁ、間違いなくあなた方はご家族ですね」  呆れたようにこめかみを押さえる真代に、コマロフは嬉しそうに頷いた。 「真代さんもすっかりマリアのお姉さんだよ」  そんな“家族”達の心配をよそに、マリアは毎日楽しげに仕事をしていた。  その日は吉原の事務所に顔を出した後、そこよりも数本東の細い路地に向かった。吉原に聞いていた人物像の男を見つけると足音もなく近付いたマリアは、小汚い格好でゴミの溢れるバケツにもたれ掛かりうたた寝をする彼の横に腰を下ろした。  人の気配に目を覚ました男は、肩を並べている美人に驚いた。 「……ビルの隙間から見る空は、こんなに小さいんですね」 「ね、ねーちゃん何やってんだ?」 「おはようございます」 「え、あ、あぁ……?」 「小さくて、灰色で。だけど私はこの景色も嫌いじゃないのですよ」 「そうかい……で、何なんだねーちゃんは」  普段はすれ違う人に眉を顰められ、汚物を見るような目を向けられる男だ。それがあまり距離もなく横に腰を下ろす女が笑顔で話しかけてきている。しかも見たこともないような美人。訝しみ警戒する男に、マリアはいつものように名刺を渡して会釈した。 「今日はお仕事の依頼に来たんです。是非蘇我さんにご協力いただきたくて」 「どうして俺の名前……」 「吉原さんからご紹介頂いて」  吉原の名はこの辺りではとても役立った。マリアが欲しがったのは家族の居ない人材だったため、明るくない過去を持つ人間のほうが都合が良かった。  潤沢な資金を存分に活用し客が求めているものの更に上をゆく結果を残していくと、特に宣伝はしていなくとも次第にマリアの元に訪れる者も増えていき、マリアが起業して二度目の夏がきていた。 「マリアはどんな仕事をしているんだい?」  ある日店の手伝いをしていたマリアにコマロフは初めてそう問いかけた。  今までコマロフから聞くこともなかったしマリアからも明言はしていなかったが、特に隠しているわけでもなくマリアは楽しそうに答えた。 「イミテーションをレンタルするお仕事ですよ」 「首飾りとか指輪とかかい?」 「いえ、商品は人間です」 「人間?」 「えぇ。真代さんのところの派遣会社に勤めてみて人材派遣の素晴らしさに触れたのがきっかけで、企業だけじゃなく個人でも人を雇いたいという方は沢山居るんじゃないかと思ったんです。世の中には様々な方が居て、様々なものを求めているじゃないですか。お友達が少ないのをご両親に心配されている方には“親友”を、なかなか諦めてくれない異性の心を遠ざけるために“恋人”を。色々な事情で身近な人に頼めないことって結構あると思って」 「なんでも屋と人材派遣を掛け合わせたようなものかな?」 「そうですね。最近は少しずつ依頼も増えてきているんですよ」  そんな話をしていると、仕事を終えた真代が店を訪れた。 「こんばんは。お疲れ様ですマリア様、コマロフさん」 「お疲れ様です、真代さん」 「いらっしゃい」  カウンター席に腰を下ろした真代は、マリアの淹れた珈琲を一口飲んでから躊躇いがちに口を開いた。 「あの……――――」 「どうかされましたか?」 「実は私、この街を離れることになったんです……」 「まぁ、また転勤ですか?」  元々真代は異動でこの街に来たのだ。別の支社に移ることも有り得ることだったためマリアは然程驚く様子も見せなかったが、真代は曖昧に首を振る。 「いえ、あの……転勤は転勤なんですが、私は仕事を辞めることになりまして……実は、結婚することになったんです。同じ会社の人で、彼の転勤が決まったのをきっかけに結婚しようかって言われまして……」 「それはおめでとうございます! 素敵ですね」 「そうか、そうか! おめでとう」 「あ、ありがとうございます。それで、来月には引っ越すことになるので、これからはマリア様のお手伝いをすることが……」 「そんなの気になさらないで下さい。以前から真代さんに頼るのは真代さんがこの街にいる間だけだとお伝えしていた筈です。たまに電話で声を聞かせていただければ嬉しいですが」 「それは勿論、きっと私がマリア様の様子を知りたくて沢山かけてしまいますよ」 「ふふふ、では近い内にお祝いしなければ。先日素敵なレストランを教えていただいたんです。お食事に行きませんか? どうです? 真代さん、おじい様」 「いいね、忙しいとは思うが、真代さんの都合が良ければ。折角だから相手の方も一緒にどうかね?」 「そうですよ! 私も知っている方ですか? 是非ご一緒したいです」 「そんな、私なんかのためにそこまでしていただかなくても……っ」 「何言ってるんですか。大切な家族の結婚ですよ? お祝いくらいさせて下さい」  にっこりと笑うマリアに、真代は涙ぐんだのであった。  真代が引っ越して以来、マリアの食事はコンビニ弁当に頼りきっていた。  掃除は真代が用意してくれた掃除機が自動で部屋を綺麗に保ってくれていたが、料理は「マリア様にそんなことさせられない」と真代が常に用意していた為経験がなかった。  自分で作ってみようと試みたこともあったが、思い描いていた料理が完成せずに落胆して以来忙しさにかまけて覚えようとすることを放棄していたマリアだったが、流石に秋も深くなってきた頃にはコンビニ弁当の単調な味に飽きてしまっていた。 「吉原さん、こんにちは」 「おぉー、マリアさん! 今日も相変わらずいい女だ!」  仕事の絡みで吉原の事務所に顔を出したマリアに、いつもの豪快な笑いが飛んできた。吉原の軽口もいつものことなので軽く受け流すマリアは、そして世間話をした。 「吉原さんは普段一人の時のお食事ってどうしているんですか?」 「お? デートの誘いか?」 「いえ、ただの興味です」 「はっはっは、毎度お堅いねェ~。そうだな、俺はラーメン食いに行くか牛丼屋か……たまに寿司屋か。夜だったら飲みに行って適当に食ってるな」 「一人でお店に入るの緊張しませんか?」 「んー、俺は慣れちまってるしなァ。確かにマリアさんみたいな美人がラーメン屋なんて一人で入るのは目立ってしゃーねーよな」  マリアは一人で行動することには慣れていたが、食事のために一人で店に入ることは出来なかった。わざわざ一人の時に外食をせずとも家に帰れば食事が用意されていたし、どんな店があるのかもあまり知らない。 「まぁ、マリアさんみたいな年頃のねーちゃんはファミレスとかなら入りやすいんじゃねぇか?」 「……ふぁみれす?」 「あそこは大抵のモン揃ってるし、デザートも多いからオンナ子どもは好きだろうさ。最近は競争も激しいから料理もそこそこ上手いし何より安いだろ?」  ファミレスという所がどんな場所か見当もつかなかったが、吉原曰く様々な料理が出てくる上にそれぞれが美味しくて、更にはデザートまで豊富だという店。  いつか行ってみたいと思いつつ、やはり一人で入るのはマリアにはハードルが高い気がしていた。  結局その日もコンビニでドリアを買って食べたのだった。  日が落ちるのも早くなり、吐く息も白くなってきたある日の午後。  吉原に紹介された依頼人と会った後、いつもの治安の悪い細い道を歩いていたマリアはビルの隙間に座っている男を見つけた。  季節に見合わない薄着でくしゃみをしている男はよく見るとマリアとそう歳も違わなく見える容姿で、緩くパーマのかかった伸びた前髪の隙間から見えるパッチリとした瞳は何処か闇を孕んで見えた。 「――――……えっくし!!」  何度目かの大きなくしゃみをした男が雨に震える子犬のように見えたマリアは、自分の首元に巻いていたマフラーを外し男の肩にふわりと掛けた。 「そんな薄着だと風邪を召されますよ。どうぞお使い下さい」
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