充実

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 景子が初めてこの店に入った雨の日よりも勢い良くドアが開くと、店内の優雅な雰囲気は一変した。  マリアとアキラが打ち合わせをしていたらしくテーブル席に向かい合い座っていたが、驚いた表情を見せたのはほんの一瞬ですぐにいつもの落ち着いた笑顔で景子を迎えた。 「こんばんは、石橋様。先程ご契約期間が終了しましたね。ご満足いただけましたか?」 「契約期間、延長は出来ないんですかっ?」  挨拶する余裕もなく不躾に叫ぶ景子にマリアは対照的な穏やかさで答えた。 「――目的の、会社の方へのお披露目が上手くいきませんでしたか?」 「いえ、それは成功しました」 「……それでしたら、申し訳ございませんが延長は出来かねます。あくまで今回の契約は会社の方に恋人の存在をアピールするためのものですので――」 「じゃあっ! 最初に言っていた、買い取りはっ!?」 「石橋様、少し落ち着かれたらいかがでしょう。今お飲み物をご用意致します――――アキラ」  景子の肩を抱きテーブル席のソファに座らせるマリア。程なくしてアキラがハーブティーを持ってきた。ラベンダーの香りに、景子も大きく深呼吸し、目を閉じた。 「……すみません、なんだか混乱して、取り乱しました」 「いえ、構いません。どうぞお飲みになって?」  促されハーブティーを一口飲み、そしてまた話し始める。 「彼を、雅也を、私の恋人にしたいんです」 「イミテーションではなく、本物の――ですか?」 「はい。マリアさん、アキラさん、このお店は本当に素晴らしいです。サクラとか言っていてすみませんでした。彼は立派な交際4年目の私の彼氏でした」 「お褒めに与り光栄です」  マリアとアキラが揃って頭を下げる。 「あんなに幸せな誕生日は初めてでした。こんなに充実した日々があることを知りませんでした。彼は誕生日にプロポーズしてくれたんです。眠りにつく前には愛してると囁いてくれたんです。どうしていきなり他人みたいになっちゃうんですか?」  途中から涙を流し必死に訴える景子に、マリアとアキラは顔を見合わせ、何か言いかけるアキラを制止しマリアが口を開いた。 「石橋様、これから少々厳しい言葉を口にしますことお許し下さいね。いいですか、プロポーズをしてくれたのも、愛していると言ってくれたのも、石橋様の“恋人である雅也”であり、あの彼ではございません。石橋様が望んでいたから“雅也”はプロポーズをし、甘いピロートークもしたのです。ご契約が終了した今、もうこの世にあの雅也という男性は存在しません」 「でも、見て下さい、このダイヤの指輪! ……このストールも! 全部雅也が買ってくれたんですよ?」 「――どちらも石橋様からご入金いただいたご契約金から捻出したものです。もっと言いますと、デートに使った費用も、石橋様の好みの服装を揃えるのも、全てがそのお金を使っています」 「そうかもしれないけれど……あんなに私のことを理解してくれて、私もあんなに理解している彼は他に現れないと思うんです」 「……それは石橋様が作られた設定です。実際にあの男性のことを、どれくらい理解されているんですか? 私どもの調査なくして、彼は貴女の理想にどれほど近い言動が出来るでしょうか」 「私は……偽りでも約一ヶ月一緒に過ごした仲は、少しくらい本物も混ざっていると思うんです。嘘から出たまことと言うでしょう? 初めは作り物だったかもしれない。けど、絶対今は私のこと知ってくれたと思うんです! 私、丁度マンション購入資金を貯めていました。そのお金で彼を買い取らせて下さい。もう会社のみんなに私達が結婚するって話してしまったの、引き返せないの……っ」  マリアは眉尻を下げ、アキラに目配せした。それをバトンタッチの合図と受け取ったアキラが続ける。景子の横に膝をついて目線を合わせ、純白のハンカチを差し出した。 「石橋様、これで涙をお拭き下さい――――実際に、イミテーションを買い取られるお客様は確かにいらっしゃいます。しかし、必ずしも幸せな結末を迎えられるとは限りません。以前マリアからご説明させていただいた通り、買い取り後は当社の管理を外れますため、どのような結果になっても責任を負えないのです。当然ご返金も不可能です」 「それは覚悟しています」 「また、高額なお支払いのため、大抵の場合はローンを組まれることになります。その場合審査もございますし、それに通ってご購入された後仮に上手くいかなくなったとしてもそれこそ一生モノの借金のみが残ることになるのです。不動産と違い、マンションを売却して返済に充てることも出来ないでしょう」 「その、審査って銀行とかですよね? どういった内容で申請するんですか?」  景子の質問にアキラは説明を始めた。イミテーション・ハーツでは、多数の不動産を所有しており、買い取られることが決まれば商品の価値に見合った物件を売りに出すこと。買い取りの際の審査は、その物件を購入するという名目で申請をすること。ただし所有者は買い取られるイミテーション名義で登録する決まりだということ。  以前説明を受けた時は自分には関係ないと聞き流していた景子だが、今度こそしっかりと話を聞く。大体の流れを掴んだところで、やはり気持ちは変わらないことを伝えた。 「石橋様がそこまで仰るのであれば、私どもはそれに応じます。ただし、何度も言うようですが彼はもう石橋様が恋をした“雅也”ではございません。その点はご了承いただき、審査が通りご購入いただく際は誓約書にもサインしていただきます」 「はい、それでも私は、彼を信じたいんです」  買い取りの手続きは最初の契約と比べると銀行の審査等の関係で時間はかかったものの、頭金もある程度あり滞りなく進んだ。“雅也”が暮らしていたタワーマンションの一室はイミテーション・ハーツの所有だったため、そこを景子が“雅也”に買い与えるという形となった。  ある程度の頭金は払ったものの、景子が働ける年齢の間はほぼ毎月返済をしなければいけない。  それでも景子は満足していた。あの満ち足りた時間と周りからの羨望を買ったのだと思えば安いとまでは言わずとも、いい買い物をしたと。 「それでは石橋様、本日20時より彼は当社のイミテーションではなくなります。何度も申し上げておりますが、彼がその後石橋様とどうなるかまでは保証致しかねます」 「はい、わかっています。我儘を聞き入れて下さり、ありがとうございます」 「また、万が一返済が滞った場合は“プロ”を派遣し必ず回収いたします。石橋様は大丈夫だと信じておりますが、もし返済が難しくなっても回収のための手段は選ばないので、お気をつけ下さい」 「はい、大丈夫ですよ。結婚しても仕事は続けますし、雅也の負担にはならないようにします」  マリアの言葉も右から左へ流れていた。早く雅也のマンションに行きたい。そればかりを考えていた。 「石橋様、この度はご利用ありがとうございました」  マリア以外の社員も数名整列し揃って深々と頭を下げたが、そんなのお構いなしに店を飛び出した景子は自然と綻ぶ表情も隠さずに雅也の住むマンションへと向かった。  “恋人設定”が終わり合鍵すら持っていない部屋のインターホンを押すと、困ったような表情をした雅也が迎え入れてくれる。 「こんばんは……」 「やだ、『おかえり』でしょ? 久し振りだね、仕事忙しかったんでしょう?」 「あ、いや……別に。今仕事してないし……」 「――え?」  雅也の言葉に耳を疑う。『仕事してない』と言ったように聞こえたが、景子は自分の聞き間違いではないかともう一度尋ねた。 「仕事は? あ、もしかして有給取ってたとか?」 「だから、仕事辞めたからしてないんで。景子さん? が払った金で当分は生活して、次の割のいいバイトでも探そうかなって。あ、ていうか“景子”って本名ですよね?」 「え、ちょっと待って……? どうしたの雅也、からかってるの?」 「――あの、さっきから“雅也”って言ってますけど、もう“雅也”を演じる仕事は終わってるんで。俺、昭彦(あきひこ)って言います」 「……昭彦、さん?」 「えぇ。あと、今は彼女居ないんで遊びに来るくらいならいいですけど、一応イイなと思ってる人は居るんでそのコと上手くいったらもう来ないで下さいよ?」  頭を掻きながら冷蔵庫を漁り、ペットボトルの炭酸飲料を容器のまま景子に渡す昭彦は「今コレとビールしかないんで」と自分はビールをあおり、ソファの真ん中に座った。 「あ、適当にその辺座ったらどうです? てか、俺のほうが年上だと思うし敬語やめていい?」 「え、あ……うん……」 「とりあえず、この前はお疲れー。景子の職場の女の子って可愛いコ多かったよね」  “景子”と呼び捨てに戻ったのは敬語をやめたかららしい。いつもの雅也なら、ソファを占領することもないし、景子の好きな飲み物も用意している。そもそも今みたいなジャージとTシャツといった格好なんて絶対にしない。 「いやー、それにしてもここってすげー眺めいいよね。景子の会社ってこんなところ見ず知らずの男に貢げるほど儲けてんの?」 「見ず知らずって……」 「え? そうじゃない? 確かに仕事で一ヶ月近く一緒に過ごしたけれど、俺の本名すら知らなかったんでしょ? あれ? もしかして駅前の商社に勤めてるのもホントだと思ってたの?」  何も言えずに俯く景子を、昭彦は突然抱きしめた。キスをして、しかしそれが今までの愛情を込めたものとは違うことに気付いた。第一、雅也は自分からは絶対に手を出してこなかった。 「結構さ、景子って大胆だよね。雅也を演じるのって堅苦しくてすげー疲れたんだけど、いつも景子と寝るのだけは楽しみだったんだよねー」 「や、え、ちょっと……っ」 「えー? 散々今までしてきて今更? つーか今日だって友達に遊び誘われてたの断って家に居たの景子がヤらせてくれるって思ってたからだし」 「やだっ、なんで!? まさ……昭彦さんは私のこと好きじゃないの?」 「他に好きな子居るって言ったじゃん。あー、そういうムード作り? ごめんごめん。好きだよ、好き好き」 「違う、そういうんじゃなくて、だって、今まで……」  服を脱がされながら抵抗をする景子に、昭彦は面倒くさそうに溜息をついて手を止めた。 「ねぇ、会社から何も説明受けてないわけじゃないでしょ? 俺は昭彦であって雅也じゃない。この前までのは“雅也”として接してただけじゃん」 「じゃあ、今までほんの1%も私に気持ちがないまま雅也を演じていたっていうの?」 「は? 仕事ナメてんの? 自分の感情イチイチ動かしてたら仕事にならないじゃん。雅也の前には他の男も演じてたんだし……まぁ今はもう買い取られてあの会社辞めたから演じることはないけど? 今度は自由に恋愛出来るんだもん、アンタみたいな面倒くさい女なんて相手にするかっつーの」 「な……――――」 「なぁ、正直に言うけどアンタ相当痛いよ? 28歳にもなって何ドラマみたいな恋愛夢見てんの? あんな完璧なヒーローみたいな男居るかっつーの」 「結婚……結婚するんじゃないの? 私達」 「はぁぁぁ? 頭イカレてんの? あれは“雅也”が言ったセリフでしょ? 会社の人には適当に別れ話創りあげて、本物の恋愛見つけるのが目的でイミテ依頼したんだろ?」  ポロポロと涙をこぼす景子にうんざりしながら、昭彦は景子から離れた。 「マジ勘弁してくれる? ヤらせてくれない、設定を本気にしてる、何ソレ面倒なだけじゃん。テキトーに遊ぶだけならと思ってこうして会ったけどさ、本気にしてつきまとうようだったら警察に通報して近付けないようにしてもらうよ?」 「け、警察……?」 「だって景子のそれ、ストーカーの妄想と一緒じゃん。またこの前みたいに鬼電されてもイヤだし」  ウザいから帰って欲しいという昭彦の言葉で、半ば追い出される形でマンションを出た景子は、来た道をそのまま戻った。イミテーション・ハーツの扉もいつも以上に重たく感じた。 「いらっしゃいませ」  マリアが妖しい笑みを浮かべた。  さっきまではただただショックで、行くあてもなくこの店に来てしまった景子だったが、段々状況が飲み込めてきて手足が震えてきた。 「あ、あの、私……雅――昭彦、さんに……ストーカーって言われて……」 「そうですか」 「好きな人、居るらしいです……」 「そのようですね」 「私、ただあの男にマンション貢いだだけになっちゃいました……」 「そうですよ。彼と石橋様が交際していた事実などありません。石橋様が交際していたのはあくまで“雅也”という架空の人物です。見ず知らずの“昭彦”という男性に、いきなり高価なプレゼントをした女性、それが石橋様です」 「こんな風になるなんて……知らなくて……」 「再三ご説明させていただきましたが、“雅也”との恋愛関係が続くに違いないと信じ込まれていたのは石橋様、貴女です」 「結婚……出来ないの?」 「そうですね、昭彦さんとゼロから関係を築き、好きになってもらい、交際し、その上でプロポーズをされるか受け入れてもらうかしなければ、結婚は出来ないでしょう」 「そんな……――――」 「でも、大丈夫でしょう? 石橋様、仰っていたじゃないですか。あんなに分かり合える相手は他に居ないって」  数ヵ月が過ぎ、イミテーション・ハーツの店舗から昭彦が出てきた。  昨日珍しく雪が降った街は所々が白く染まったままで、雪道に慣れない人々は慎重に歩いている。白い息を吐き人波に飲まれていく昭彦をその小さな窓から見送ったマリアは、奥から出てきたアキラと談笑をする。 「昭彦さん、早苗さんという女性とお付き合いを始めたそうです。久々の自由恋愛が出来る生活はとても充実していると笑っていましたよ」 「へぇ。ウチを辞めて、今は何をしているんです?」 「すごく真面目にお仕事してくれる人だったじゃない? 折角なので“回収”のお仕事を紹介しました。今恋人が居るなら、その方面でお仕事を頼むわけにもいかないし……」 「そうですね」 「そうそう、その恋人の早苗さんって、以前のお客様――石橋様の同僚の方だそうよ」 「……それはそれは……」 「ふふ、何が起こるかわからないものですね……――――あら?」 「え?」  窓の外から店舗を不思議そうに見つめる人と目が合ったマリアは、得意の妖艶な表情を浮かべた。ゆったりとした動きで手招きをし、アキラに湯を沸かすように言いつける。 「次のお客様かもしれないわ」  そして、大きく重たい扉は開かれた。
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