安穏

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安穏

 その私立女子高は、この辺りでは長年に渡り人気の高い学校だった。  学力やスポーツ面で優れているわけではない。とにかく生徒の容姿レベルが高いという点が注目を集めるポイントで、近隣の男子高校生の多くはその女子高の生徒と付き合いたいと思っていた。一種のブランド感覚。それは当の女子生徒たちも自覚しており、その“ブランド”を自分の価値の一つとして誇示していた。  そんな女子高の校門前に一台の黒いセダンが停まっている。登下校時には必ず定位置に停まるその車を、生徒達は皆日常の一部と認識していた。 「あ、こんにちはー」  そして彼女達の中には、運転席に座る若い男に挨拶をする者も居た。男もまた優しそうな笑みを浮かべて挨拶を返す。 「亜美(あみ)ならさっき掃除当番終わったって言ってたから、そろそろ出てくると思いますよ」 「ホント? ありがとう」  その子の言う通り、程なくして新岡(にいおか)亜美は助手席に乗り込んだ。 「お待たせ、お兄ちゃん」 「ん。今日は何処か寄って帰るのか?」 「んー……あ、もうすぐママの誕生日じゃん! ね、プレゼント一緒に買わない?」 「いいよ。じゃあ大通りの方面かな?」  亜美がシートベルトを締めたのを確認し、ゆっくり車を発進させた新岡祐介(ゆうすけ)は、そのまま妹の要望通り買い物に付き合うことにした。  8つ違いの亜美と祐介は、恋人同士に間違えられることも多い程仲の良い兄妹だ。とにかく亜美が祐介にベッタリで、祐介も可愛い妹を甘やかしているという図だ。両親は貿易関係の仕事をしており共に家を空けていることが殆どで、亜美の高校入学時からは祐介が一人暮らしをするマンションに一緒に住んでいた。  実家が裕福なことは勿論祐介自身も若くして事業に成功しており、また株でも多大な資産を得ているため、こうして平日の日中にも関わらず妹の送迎をすることは容易い。 「――――でね、安田がエミリに気あるのバレバレ! 教師のクセにキモくない!?」 「えー、でも別にその先生がエミリちゃんに手出したわけでもないんでしょ?」 「そうだけどぉー、エミリ可哀想じゃん! 安田マジ気持ち悪い顔してて――」  亜美はいつも楽しそうに学校での出来事を話した。“お兄ちゃんが大好きで仕方がない”という気持ちが溢れ出ており、誰もが亜美を“重度のブラコン”と称した。  車を適当なパーキングに停め大通りを歩き始めた二人は、いつものように亜美が祐介の腕に絡みつく形で並ぶ。あまり顔は似ておらず、亜美は昔から端整な顔立ちで非の打ち所もない――ブラコンな部分を除けば――完璧なアイドル的存在なのに対し、祐介は平凡な容姿だ。  その笑顔や言動からは優しさが溢れており誰しもが好感を抱くが、所謂“いい人止まり”の存在。そんな二人が恋人のように道を歩けば、すれ違う人は複雑な思いを抱く。  雑貨屋を数店巡り、女性の好みはイマイチわからない祐介が全て亜美任せにした結果、「これ絶対お母さん好きだよ!」と亜美が太鼓判を押した薔薇の形のブローチを購入した。  目的を果たしどこかで休憩しようと歩いていると、レンガ造りの小洒落た建物が二人の目に入った。 「亜美、この店……」 「……何ー? 看板とか何もないけど……お店、かなぁ?」 「でもこんなドアの民家も会社もあんまり見ないよね」 「んー……」  小さな窓から亜美が中の様子を伺うと、黒髪の美人がにっこりと微笑んだ。亜美は慌てて頭をペコリと下げ、再び祐介に腕を絡めて歩き出した。 「お店っぽくなかったよー。なんかお嬢様のお部屋って感じ。あと人居たし! 店員さんっぽくなかったよ、すごいキレーな人!」 「えー、見たかったなぁー」 「お兄ちゃんに見せたくないから急いで離れたのっ! ね、大通りに戻ったらスタバあるじゃん、ソコにしようよ!」  祐介はあの不思議な建物が気になったし、亜美の言う美人も見たかった。祐介が立っていた位置から中が見えたわけではないが、何故か妙に惹かれていた。  しかし亜美はかなりのヤキモチやきで、今までも祐介に彼女が出来てもすぐに亜美の邪魔が入り結局長く続かないで別れてきている。何をするにも亜美がつきまとい、それを邪険に出来ない祐介は結局亜美と過ごす時間を受け入れることになる。たった一人の妹。なんだかんだ言っても可愛いのだ。 「プレゼントは用意したけど、母さん誕生日は帰ってるのかな?」 「んー、この前電話した時はビミョーって言ってたー」 「そっか、家に置いてくる?」  祐介の提案は亜美に簡単に却下される。 「や、折角だから当日まで待ってみて、やっぱり会えなかったら置いてくればいいじゃん?」 「それもそうか」  コーヒーを飲みながらそんなやり取りをする。昔からこうして会う機会も少ない両親。だからこそ亜美が余計に祐介に依存してしまうのだとわかっているのも、亜美の我儘を聞いてしまう理由の一つだった。 「ねぇお兄ちゃん、もうすぐクリスマスだね」 「もうすぐって、まだ一ヶ月以上も先じゃないか」 「11月に入ったんだから、もうすぐなんだよー。ね、今年はどうする?」 「どこか行きたい店でもあるの?」 「吉祥寺にね、新しいお洒落なレストラン出来たんだって! この前テレビで観たの」 「今から予約取れるかなぁ? もう11月だろ?」 「さっきはまだ早いみたいに言ってたクセにー。お兄ちゃんウケるー」  祐介には何処が“ウケる”ポイントだったのかはわからなかったが、コロコロと表情を変える妹のために、なんとかその店を予約してあげようと考えていた。 「それにしても、さっきの建物気になるな……昔さ、2~3年前だと思うんだけど、あそこお爺さんがやってる喫茶店だったと思うんだよね。仕事の合間に1度だけ行ったハズで。その時は看板も出してたし、ちょっと扉の感じとか違ったんだ」 「――……とか言って、キレーな女の人が気になってるんじゃないの?」  コーヒーが苦手な亜美が、ホットココアをすすりながら軽く睨む。  祐介は曖昧に笑って首を振ったが、一度気になり出したら止まらなかった。記憶の中のあの建物はコーヒーカップの絵が描かれた看板を掲げ、もう少し開放的なガラス戸だったはずだ。扉の横にはオススメのコーヒーを紹介する小さな黒板もあったと思う。確かもう随分年をとった老人が一人でやっていたが、亡くなったのか、単に手放したのか。 「――――お兄ちゃんってば! アタシと居るのに考え事したらヤダ!」  小さなテーブル越しに身を乗り出した亜美は、そして頬を可愛らしく膨らませて拗ねてみせた。 「ゴメンゴメン。亜美、今夜は何食べたい?」 「え? お兄ちゃんが作ってくれるの?」 「外食が良ければそれでもいいし」 「ううんっ、お兄ちゃんの手料理がいいっ! あ、ハンバーグ。甘いにんじんもつけてねっ」 「はいはい」  すぐに機嫌を直した亜美を見て祐介も自然と笑みがこぼれていた。  可愛い妹。  だけど、ずっとこのままでいいのだろうか。亜美にも恋人が出来てもおかしくない年頃だし、祐介だって結婚を考えてもいい年齢だ。  先程の不思議な魅力を放つ建物のことを気にしながら、祐介はそんなことを考えていた。
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