安穏

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 祐介の言葉に、亜美はお気に入りのうさぎのぬいぐるみを投げつけて激怒した。ぬいぐるみは祐介の横に立つおっとりした女性に向け投げられたものだったが、ギリギリのところで祐介が受け止める。  12月に入ってから急激に寒くなり最近は暖房を高めの温度設定にしていた祐介だったが、興奮する亜美を前に額にはうっすら汗を浮かべていた。暴れる妹を抑え付けるには少々この部屋の中は暑い。 「本当に吉祥寺のレストランは予約がいっぱいだったんだ」 「わかった、わかったよ! お兄ちゃんがそんな嘘つくハズないもん! でも、でもでも、だったらクリスマスはアタシと一緒に過ごせるでしょ!? お店じゃなくてもいいよ、このお家で一緒に過ごそ? あ、雰囲気変えて実家帰ってみるのもいいかも!」  あまりにも必死な亜美に、祐介は困り果てて横の女性を見た。同じように困惑した彼女が祐介を見ており、目でその気持ちを伝えた。 「何してるの!? アタシの前でイチャつかないでよッ!!!!」  事の発端は数分前に遡る。  出掛けてくると言い亜美を置いて家を出ていた祐介は、少しして家に亜美の知らない女性を連れてきた。名を倉島淳子(くらしまじゅんこ)といい、一週間程前から祐介と交際を始めていた。  淳子と顔を合わせた亜美も初めは仕事関係の人だと思い込もうとしたようだが、自宅にまで連れてくるのは親密な関係だと考えついた時には、ヒステリックに物を投げつけて声を荒げていた。 「頼む、落ち着いて欲しい」 「なんで!? ねぇお兄ちゃん、そのオンナに騙されてない!?」 「失礼なことを言うもんじゃない!」 「……っ!?」  滅多に怒ることのない祐介が大声を出したことで、亜美は口を噤んだ。 「……亜美、この人――淳子さんは、両親と離れて暮らす亜美の気持ちも汲んでくれて、クリスマスだって一緒に過ごしてもいいと言ってくれてるんだ」 「違うもん……アタシは、パパとママが居なくて寂しいんじゃないよ……」  大きな瞳いっぱいに涙をためた亜美は、ぎゅっと拳を握りしめ震える声でそう呟いた。 「お兄ちゃん、今までだって彼女と続いたことないじゃん……」 「それは――――」  “お前が邪魔をしたからだ”と言いそうになった祐介だったが、今までの事情を聞いていた淳子に止められた。  そして一歩前に出た淳子は亜美の前に立ち、目線を合わせる。 「亜美ちゃん、お兄さんを取るわけじゃないから安心して? クリスマスも、お正月も、普段のお休みの日も、私はお兄さんを独り占めしようとは思ってないわ。でもね、私もお兄さん――祐介さんのことが好きなの。だから、私にも同じ時間を過ごさせてくれないかな?」 「最初はみんなそうやって言うもん……でも結局アタシを騙すの。内緒で旅行に行ったり、お出かけ中に嘘ついてアタシを撒いたり……」 「……悲しかったね。でも大丈夫、私はそんなことしないわ。約束する。もし嘘だったら何でも言うこと聞くわ」  幼い子どもを諭すように優しく語り掛ける淳子に亜美も勢いを失う。 「――でも……」 「亜美ちゃんに信じてもらえるように頑張るね。急にお邪魔してごめんなさい、今日は亜美ちゃんに会いに来ただけだからもう帰るね。私、亜美ちゃんとも仲良くなりたいの。もし良ければ亜美ちゃんの都合のいい時にでも、一緒にお買い物でも行かない?」 「お兄ちゃんは?」 「亜美ちゃんがお兄さんと一緒がいいなら一緒でもいいし、私とデートしてくれるのならそれでも。亜美ちゃんにお任せするわ」 「……じゃあ、気が向いたら……」  祐介の手前子どもじみた我儘を続けられないと考えた亜美は、しぶしぶそう答えて自室に戻っていった。  一仕事を終えたといった顔で微笑んだ淳子は、そして宣言通り祐介の家を出た。  家まで送ると言う祐介を「亜美ちゃんの傍についててあげて」と止める淳子は、祐介にとって理想の女性だった。亜美の言う通り、今までの彼女とは続かなかった。それは亜美の邪魔のせいもあるが、そんな妹を無視出来ない祐介にも原因はあった。そんな彼に、妹にそこまで想われるなんて素敵な人の証だと言う淳子。彼女と付き合っていけば、自然と亜美も兄離れが出来るんじゃないかという根拠のない希望も抱いている祐介だった。 「亜美、入るよ」 「……ホントに帰ったんだ?」 「うん――亜美、急に驚かせてごめんな。あと、レストランも取れなくてごめん」 「ううん……お兄ちゃんは悪くない」  この怒りをどう処理すればいいのか戸惑う亜美が俯く。 「亜美のことは勿論大好きだよ。でも、俺達は兄妹だ。お互いに好きな人が出来れば応援し合いたいんだ」 「アタシはお兄ちゃんが居ればそれでいいもん……」 「――……亜美ももう高3だろ? 素敵な恋人も出来ると思う。今だってモテてるだろう?」  それは祐介の本音でもあった。自分の妹ながらこんなに可愛いのだから男が放っておくわけがないと信じている。 「……そんなの、あの学校のブランドがあるからだよ」 「そんなことない、亜美は充分魅力的じゃないか」 「じゃあお兄ちゃんが恋人になってよ」  真剣な眼差しでそう訴える亜美は、その華奢な体からは想像も出来ない力で祐介に強く抱きついた。 「俺の恋人は淳子さんがいるから。彼女は理想的な彼女だよ」 「……おかしいよ、急にそんな、今までそんな素振り見せてなかったのに……いきなり“理想の彼女”が現れるなんて、不自然じゃない……?」 「――――そんなことないよ、出逢いなんていつどんな形であるかわからない。亜美だって……」 「ね、淳子……さん、とは、どんな風に出逢って付き合うことになったの?」 「……知人の紹介、だよ」 「アタシが邪魔になったからテキトーな人に彼女のフリ頼んだとかじゃないの……? だって、変だよ……」  亜美自身も祐介への独占欲が普通じゃないことくらいわかっていた。だから今までの彼女達が離れていく理由だって本当はわかっていたし、デートの度に亜美も一緒でもいいなんて笑っていられる恋人なんてそれこそ“理想的過ぎる”と疑った。  祐介が言う通り亜美は入学当初から同級生よりもずっと大人びた顔立ちやスタイルで近隣の高校の生徒は勿論、大学生や社会人からも人気が高かった。ただ、ほぼ毎日のように兄である祐介が送迎をし、亜美もその兄にベッタリとあれば恋愛に発展することはない。学校の名前がブランドになっていることも、亜美にとっては邪魔でしかなかった。  祐介のマンションから通うのに便利な場所にあったということと、学歴もそこそこ悪くなく仕事の出来る兄と並んで恥ずかしくない学校で、亜美の学力で入学出来るのがそこくらいしかなかったというのが受験した理由であり、不特定多数の異性にモテたいわけではなかった。 「……亜美を邪魔だなんて思うわけないじゃないか。大切な妹なんだから」  ここまで祐介を中心に行動してきても、当の本人にはこの想いは伝わらない。 「お兄ちゃんは……」  何を思って傍に置いてくれているの?  そう聞きたかったが、亜美はそれ以上は言葉にせず困った笑顔だけを浮かべた。  淳子はそれからも亜美の前にめげずに顔を出しては「新しく出来たスイーツショップに行こう」だとか「似合いそうなワンピースを見つけたから見に行かないか」等と誘った。  初めは突っぱねて相手にしていなかった亜美も、これまでの女とは違う淳子に少しずつだが言葉を返すようになっており、クリスマスまであと十日になったその日、亜美は珍しく放課後祐介を置いて一人で出掛けた。  夕飯までには帰るという宣言通り日が暮れる頃には帰宅すると、話がしたいと亜美から淳子を呼んだ。  三人で食卓を囲み、亜美が話を切り出す。 「淳子さんのこと、認めてもいいよ」 「――――え?」 「……だから、お兄ちゃんと付き合ってもいいよってこと!」 「亜美ちゃん……」 「でも、お兄ちゃん。“あのこと”は淳子さん知ってるの?」  亜美が指したのが何なのかすぐに理解した祐介は、首を横に振った。 「きちんと話さないとダメだと思う。アタシ、今から説明しようと思うんだけど……いい? お兄ちゃん」 「……あぁ」 「淳子さん、お兄ちゃんはね、昔事故に遭ってるの」 「事故……?」  眉根を寄せる淳子に、亜美は事故の前後のことについて語り出した。  祐介は三年前――亜美が高校受験を控えていた冬のある日、当時住んでいたアパートの部屋で一酸化炭素中毒で倒れた。ガス湯沸かし器が故障していたのが原因だという。幸い発見されたのも早く一命はとりとめたが、後遺症から一時的に記憶が混乱していた。  過去のアルバムや持ち物を見せては記憶のピースを繋げ合わせ何とか日常生活で困らない程度には記憶も取り戻したし、仕事面の記憶は特に問題もなく覚えていたため普通に暮らしてはいるものの、事故の前後の記憶は曖昧なままだし、一部思い出せない記憶もある。  そんな祐介を献身的に支えたのは他でもない、亜美だった。  亜美はそれは当然のことだと言うが、祐介が亜美を突き放せない理由にはそれも含まれていた。 「……だから、アタシはお兄ちゃんのそばに居てあげたかったの。でも、こんな過去があってちょっと辻褄の合わない記憶のお兄ちゃんでも大切に想ってくれるなら、いいよ」 「そんなことが……」 「それでもお兄ちゃんから離れていかない? そういうことがあったから、多分その辺の兄妹より絆はずっと強いの。変な嫉妬とかしないでお兄ちゃんを信じていてくれる?」  亜美の問いに淳子は深く肯いた。その目に覚悟を見た亜美は、ふにゃっとした笑顔を見せた。 「じゃあ、お兄ちゃんを支える一番の役目を淳子さんにバトンタッチするね。淳子さん、明日ママの誕生日なの。お兄ちゃんと実家に行こうと思うんだけど一緒に行かない?」 「私がお邪魔してもいいの?」 「……いいから誘ってるのッ! それくらい大人ならわかってよッ」  それは亜美の精一杯の譲歩だったのだろう。しかし淳子を睨むその瞳は本気で怒っているわけではなく、祐介は安心した反面少し寂しくも感じていた。何故か心がざわつく。  やっと難攻不落の妹を懐柔出来、これからは亜美の存在を気にせず淳子との愛を育める。  今までの生活も充分幸せだったが、“理想の彼女”と“可愛い妹”に愛される穏やかな日々が訪れるであろうことを思うと自然と顔も綻ぶ。なのに同時に計り知れない不安も広がった。  思いがけない形で親に恋人を会わせることになり戸惑っているのだろうかとも考えたが、そういう緊張感とも違う感情のように思えた。  そんな祐介に何を思うのか、亜美と淳子はそれぞれに複雑な思いを抱いて彼を見つめていた。
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