13人が本棚に入れています
本棚に追加
祐介は、亜美と淳子と合流するまで一人自宅で仕事を片付けていた。
昨日急遽三人で新岡邸に行くことが決まり、亜美の突然の提案にも驚いたが、それ以上に祐介が驚かされたのは今朝早く亜美から淳子を誘い女二人で出掛けたいと言ってきたことだった。
実家に帰るのを午後からに決め、それまでは二人は大通り周辺をブラブラするのだと言っていた。
確かに前日の話し合いで和解出来たかのように見えたが、いきなり二人きりで会うことは不自然じゃないかと考えていた祐介は結局仕事にも集中出来ず、ただ机に向かって書類を読むポーズだけで時間が過ぎていった。
淳子と亜美が仲良くなれば、今までの生活がガラリと変わる。
妹中心の生活は自分も半分は望んでいたものだが、これからは邪魔されることなく淳子とも会えるだろう。
年齢的にも結婚を考えられるが、あまりにも淳子との出会いから亜美を納得させるまでの流れが出来過ぎているようにも思えて少し不気味でもあった。
そもそも、祐介と淳子の出会いがまず不自然だった。
亜美に“知人の紹介”と話した通り、淳子は“取引先の男の姉の友人”という遠い関係だった。
その男と特別親しくしているわけでもなく、いきなり連絡がきたと思ったら紹介したい人が居るという。そして出逢った淳子はあまりにも理想的過ぎてその時は舞い上がって急速に恋に落ちたが、今一歩引いてこうして冷静に考えてみれば亜美が“サクラ”を疑うのも理解出来る程“ウマイ話”だ。
――――もし二人とも和解したフリをしているだけで、裏で相手をライバル視していたら……
「おにーちゃんっ、ただいまー」
「うわっ!?」
「わ、何よぉー、そんな驚くかなぁ」
不意に背後から体重をかけられ椅子の上でバランスを崩す祐介だったが、急に現れたと思った亜美は先程から帰宅していたようだった。よからぬことを想像していただけに心臓が騒ぐ。
「もー、お兄ちゃんさっきから携帯鳴らしてたのに出てくれないから一回帰ってきちゃったよー。淳子さんも一緒だよ? お兄ちゃんも早く出掛ける準備して!」
「祐介さん、お邪魔してます」
「あ、淳子さん。こんにちは……あー、悪い、携帯マナーモードになってた」
「もういいから、はーやーくー。ホラ、靴下はいてー」
「ハイハイ」
祐介と亜美のやり取りを微笑ましく見守る淳子。手に持つ紙袋は祐介達の母親へのケーキで、手作りだという。
普段からそうだが、今日も親受けも悪くないであろう落ち着いたワンピースを着ており、地味になり過ぎない程度に軽くアレンジを施しまとめられた黒髪も真面目な印象を与える。
「淳子さん、俺、母さんの好み教えたっけ?」
「え?」
「いや、多分偶然なんだろうけどさ、昔から母さん俺の彼女にはこういうコがいいっていうイメージ持ってて。それのまんまの格好だったからさ」
目を見開いて驚く淳子。亜美がそれとなく口を挟む。
「……そんなの当たり前だよ。お兄ちゃんが惚れた人だもん、自然とママの好きそうな子選んじゃうものなんじゃないの?」
「そういうもんかな?」
「うん。それにお兄ちゃん言ってたじゃん、淳子さんは理想的だって」
「えっ」
亜美の言葉に淳子は恥ずかしそうに俯いたが、そんな仕草までも祐介の“理想”通りだった。それも口に出そうとした祐介だったが、家を出る時間が迫っており一度考えるのをやめた。
ちょっと我儘だが可愛い妹と、理想的で素敵な彼女。二人の愛しい人が傍に居て、何を疑問に思うことがあるだろう。かねてより祐介が切望していた安穏な暮らしが手に入り、きっと幸せ過ぎて余計なことを考えてしまっただけ。家を出て実家に着く頃には、祐介の先程までの不安もすっかり消え去っていた。
大きな門をくぐり洋風の邸に入ると、エントランスでスーツ姿の小奇麗な中年女性が三人を笑顔で出迎えた。
新岡聡子――祐介と亜美の母親だ。
「おかえりなさい――貴女が淳子さんね? いらっしゃい」
「初めまして、倉島淳子と申します」
深々と頭を下げる淳子に、聡子は慌てて言葉をかけた。
「そんな堅苦しいのはナシにしましょ? ね?」
「ありがとうございます……あ、これ、お誕生日だと伺ったので、もしよければどうぞ。おめでとうございます」
「まぁ! ありがとう、嬉しいわ。ね、ホラ祐介も亜美ちゃんも、とりあえずリビングに行きましょ」
父親はどうしても外せない商談があったため聡子は一人で帰国したのだという。スーツ姿なのは仕事を終えそのまま帰国したからで、先程家に着いたばかりだそうだ。今はヨーロッパを中心に回っていて、月に1、2度帰国出来るかどうかという忙しくも充実した日々を過ごしていると話す聡子は、いつも祐介と亜美が会いに来る時以上に楽しそうだった。息子が初めて彼女を家に連れてきたのが相当嬉しいのだろう。仲の良過ぎる兄妹をどこか心配していたのかもしれない。
今までもそんな不安を漏らす言動もあった聡子だ。やっと少しでも母親を安心させられたのかと考える祐介に、聡子は紅茶を出しながら話す。
「こんな素敵なお嬢さんを連れてきてくれるなんて、お父さんも居ればよかったのにね」
「いや、大袈裟だよ」
「やだわ、大袈裟なんかじゃないでしょう? 母さんはずっと心配だったのよ、祐介がなかなか彼女を連れて来てくれないんだもの」
「俺には勿体ないくらいの人だよ」
「祐介さんってば」
和やかなムードのままゆったりとした空気が流れる。
「あらあら。こうなったら亜美ちゃん、貴女も春からはやっぱり一人暮らしになっちゃうかしらね?」
「あ、ママ!」
「亜美が一人暮らし……?」
その刹那祐介の頭をよぎったのは、何故か泣きじゃくる亜美の姿だった。
そして祐介はこめかみを押さえ、苦痛に表情を歪める。
「お、お兄ちゃん?」
「祐介っ?」
「祐介さん?」
ほぼ同時に彼女達が祐介を呼んだ。
「……大丈夫。ごめん、なんか急に痛くなって……」
「祐介……」
聡子の顔は青ざめていた。震える手を祐介の肩に置く。
亜美と淳子が不安げな表情で見つめる中、掠れた声で聡子は尋ねる。
「――……亜美ちゃんが一人暮らしをするのが、不安……?」
「え……?」
「ちょっ、ママ!」
「……ねぇ、いいじゃない。一人が寂しいなら淳子さんと暮らせばいいわ。祐介が幸せになれるなら、母さんいくらでもお金は出すから。亜美ちゃんはもう――大学生になるんだもの、祐介と一緒じゃなくても大丈夫よ」
「いや、別に寂しいとかじゃ……」
「じゃあ何? どうして亜美ちゃんを傍に置いておくの……? “妹”なのよ?」
「お母さん!!」
何故か淳子が声を張り、祐介が覚えていた違和感を更にハッキリさせた。
祐介は先程から聡子が何を言わんとしているのか見えてこなくて戸惑っていたが、その淳子の様子はまるで聡子が考えていることを見透かして止めようとしているようだった。
「……淳子さんは黙っててくれないかしら。“客”はどっち?」
「あの、でも……っ」
そして亜美を見やる淳子。視線の先の亜美は唇を噛みしめて俯いていたが、こんな時だというのに「ちょっと電話」と言いリビングを去った。
「母さん、何が言いたいの? というか……今の流れで聞くことでもないよね?」
「……私……」
「お母さん、ダメです。それは危険です――――あ、そうだ、ケーキ。ケーキを食べませんか?」
祐介の頭痛は治まらず、ズキズキと重たく響いた。突然の痛みに、何かの警鐘なのではないかとさえ考える。
おかしい。
聡子の質問も、淳子の対応も、亜美の反応も。
祐介だけが事情が見えていないようだった。
困惑する祐介に、電話を終えたのか戻ってきた亜美の態度は更に追い打ちをかけた。
「淳子さん! プランBでいきましょう」
「それはマリアさんの指示で?」
「はい」
「……わかりました。聡子さん、続けられて構いません」
「ちょっと、母さんも亜美も……淳子さんも、急にどうしたの? なんか全然話が見えないし……もしかして、午前中二人が出掛けたのってドッキリとか仕掛けるため……?」
「祐介、貴方の恋人は淳子さんよね?」
「だから、さっきから会話になってないよ母さん」
「いいから。ね、亜美ちゃんよりも淳子さんが大切よね?」
「いや……比べる対象じゃないでしょ。彼女と妹なんて」
「そうよ妹よ! 亜美ちゃんは妹なの。わかった? わかったでしょう?」
「は……?」
「ねぇお兄ちゃん。アタシね、もうすぐガッコー卒業でしょ? そしたらさっきママが言った通り一人暮らししようと思ってるの。淳子さんがいるならもう大丈夫でしょ?」
亜美の言葉を“事故の後面倒を見てきた妹”の言葉だと受け取り頷こうとした祐介だったが、再び亜美の泣き顔が浮かぶ。目の前の亜美は泣いてないどいないというのに、さっきから大泣きをする彼女の姿ばかりが祐介の頭の中を埋めている。
「……あれ?」
そして不思議な事に気がついた。目の前の亜美とイメージの中の亜美は別人のような風貌だ。
目の前で祐介を見つめる亜美は高校生とは思えない大人びた顔立ちをしているが、祐介が思う亜美はメイクで大人っぽく背伸びはしているものの、幼さの残る顔だ。輪郭も違えば、鼻の形も微妙に違う。
「……亜美は、俺の妹――――なのか?」
その言葉に聡子は涙を流していた。
「母さん?」
「祐介さん、これを見て下さい」
淳子はそう言うと、何処から取り出したのか古い新聞の切り抜きを見せた。
日付は三年前のもので、小さなその記事はしかし祐介の今までの日々を覆す大きな事件を記していた。
「……心中……?」
それはとある兄妹が、アパートの一室で一酸化炭素中毒で倒れていたという内容だった。
兄は一命をとりとめたが、妹は病院に運ばれてすぐ死亡が確認されたという。その妹の名前は新岡亜美とあった。
「え……?」
「祐介さん、貴方は三年前事故に遭ったんですよね? 本当にそれは“事故”ですか?」
「……これ、俺と……亜美? え? でも亜美はここに――――」
祐介は先程の自分の言葉を思い出した。
この目の前の少女は誰だ?
「祐介、ごめんなさい。母さんもう耐えられないの。早く夢から醒めて、現実を受け止めて生きて」
「ま、待って……何? ちょっと展開が……」
「混乱してるの? お兄ちゃん。当然だよね。三年間も偽物の生活を送ってきたんだもんね。じゃあ、アタシが説明してあげる。お兄ちゃんから“依頼を受けて”初めて出会った三年前の冬からね」
最初のコメントを投稿しよう!