安穏

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 新岡祐介と新岡亜美は誰もが羨む仲の良い兄妹だった。  優しく穏やかな祐介と、天真爛漫な亜美。歳が離れているせいか、それとも両親が留守にしがちだったせいなのか、互いに変に反抗することもなく一緒に過ごすことが当たり前だった。  その睦まじい関係が少しずつ崩れ始めたのは、亜美が中学に入学した頃からだった。とは言え、表面的には変わらず仲良し兄妹ではあったが。  周りの友達に合わせて化粧を覚え、体型も少しずつ大人の女性に近付いていく亜美を異性として意識し出した祐介は、相手が血の繋がった妹であることに酷く悩んだ。少し距離を置いてみようと試みたこともあったが、変わらず懐いて寄ってくる亜美に冷たくあたることは祐介には出来なかった。愛しい妹――――愛しい女性。  中学3年、高校受験を控えた亜美は、その頃既に自立して一人暮らしをしていた祐介の家に入り浸り、遅くまで勉強をしていた。レベルの高い大学を出た優秀な兄を家庭教師にするためだ。 「お兄ちゃんみたいに頭はよくないけれど、西女子だったら恥ずかしくはないよね?」  それが当時の亜美の口癖だった。西女子と言えばこの辺りじゃ可愛い子が揃っていると評判だ。学力がそれほど高くなくても学校名を言うのも躊躇わない高校。  亜美は本当に祐介が好きだった。それは祐介にも伝わっていたが、その感情は兄妹以上のものではないこともわかっていた。だからこそ祐介にとってそんな日々は辛く苦しいもので、同時に想いは違えど傍に居られるだけで幸せだとも思っていた。  クリスマスを目前に控え、母・聡子の誕生日を祝うために実家に帰った祐介は、亜美が西女子に受かったら自分のアパートに亜美を住まわせたいと聡子に話した。  亜美もそれに賛同したが、聡子は怪訝な表情を隠せなかった。 「あなた達、仲が良すぎるんじゃない?」  そんな聡子の言葉に、純粋に兄として祐介を慕っている亜美は笑い飛ばしたが、祐介は複雑な顔を見せた。聡子はその息子の変化に確信を持ち、厳しく言い放った。 「やっぱり亜美ちゃんは一人暮らしをすればいいわ。私達が不在のことが多いこの広い家で留守番をするよりも、学校に近い場所に部屋を借りたほうがいいでしょう?」 「だから、お兄ちゃんの家からなら通いやすいでしょ?」 「亜美ちゃん、お友達や恋人を家に招くなら祐介が居ないほうがいいんじゃない?」 「やだー、ママったら! カレシなんて女子高で出来るかわかんないしー!」 「……そうだよ母さん。俺の家から通えばいいじゃないか」 「――――……祐介、母さんは今ならまだ誰にも言わないわ。お父さんにも言わないであげる。だから……ね?」  何も言い返すことが出来なかった祐介は、その日はそのままケーキを食べて帰宅したが、翌日いつものように亜美が祐介の部屋を訪れた際、自らの気持ちを打ち明けた。  初めは冗談だと思い笑っていた亜美だったが、やがてその感情が本物だと気付き、戸惑った。 「お兄ちゃんは……お兄ちゃんだよ?」  気持ちを受け入れてもらえず涙を流した祐介は、そしてキッチンに立った。すぐに戻り静かに抱きしめてくる兄を不審に思った亜美は少しの抵抗を見せたが、泣いている兄の姿と今までのように接することは出来ないのだという現実に心を痛め、そのままでいた。  祐介は何もしないからと約束し、亜美を抱きしめたままベッドに寝転がった。  どうしていいかわからずに祐介の胸でただ抱きしめられたままでいた亜美だったが、やはりいつもと変わらない優しい兄の腕の中は温かく、気が付けば眠っていた。  どれくらい眠っていただろうか。  祐介が先に目を覚ました時には電気のつけていない部屋は真っ暗だった。少しずつ目が暗闇に慣れて亜美の顔もハッキリと確認できるようになった頃、亜美も目を覚ました。 「……お兄ちゃん……? なんか……変なニオイしない……?」 「――――気のせいだよ。それより亜美、両手を背中側で合わせられる?」 「えー? 何急に……そんなの当たり前じゃん」  祐介の言う通り亜美が後ろ手にすると、祐介はネクタイでその手を縛った。 「えっ? 何なに? やだっ……」 「大丈夫。何もしないよ、痛くもしない」 「ねぇっ、お兄ちゃん変だよ!? やだ、ほどいてッ」 「大丈夫だって……最期まで笑顔で居てよ」  その祐介の願いは虚しく、亜美は恐怖に泣き叫んだ。  それが祐介がぼんやりとした頭で覚えている、亜美の最期の姿だった。  一緒に死ぬつもりだった。大好きな妹との仲を親に否定され、妹本人にも受け入れてもらえず、それでも永遠に“仲の良い二人”で居たかった祐介は、以前テレビか何かで見たその方法を試したのだ。  死ぬのは怖くなかった。亜美と離れることだけが怖かった。  しかし、死んだのは亜美だけだった。  前日の様子から連絡がつかない亜美を心配して駆けつけた聡子によって二人は祐介の予想より早く発見されたが、泣きじゃくっていた分、一酸化炭素を多く吸い込んでいた亜美は既に息を引き取っていた。  自分だけ生き残ってしまったこと、愛する亜美を殺めてしまったことに酷く取り乱した祐介は、意識が戻ってから暫くは医師にも手が付けられないほど暴れていた。  聡子にはそれが無理心中だとわかっていたが、大切な娘を亡くし、息子までもが殺人罪で人生を狂わせるなんて耐えられなかった。  金の力で亡くなった亜美の手が縛られていたという事実をもみ消したら、“不幸な事故”が完成した。  普段からその仲の良さは誰にでも見せており、見る人によってはそれが普通の兄妹の関係以上にも見えていたからか、二人を知る人の一部では心中の噂は立ったものの、“無理”心中を見抜く者は居なかった。  新聞にも小さく載ってしまったが、無理心中だとも心中を図ったのだとも断定はされず、“心中か?”という推測に留まった。  一ヶ月程経った頃、祐介は今度こそ死ぬために病院を抜けだした。  何処に行くでもなく亜美との想い出を辿ってから死のうと思った祐介がたまたま通りかかったのは、看板も何もないレトロな喫茶店のような建物だった。  何故か妙に気になりドアを開けると、妖艶な美人が祐介を迎え入れた。  最期に誰かにこの気持ちを話してみたくなり、祐介はこれまでのことをその美人に話した。 「……そうですか、新岡様、入院されてしまったんですね……」  街はクリスマス一色だった。日本では何故か今日、クリスマスイヴが一番盛り上がる。  その流行には乗らずいつもと変わらない店内だったが、アキラがいつも流すクラシック音楽をクリスマスソングに変えたことだけが唯一のイヴらしい点だった。そのアキラは今、マリアの言いつけでケーキを買いに走っている。 「聡子さんのほうはどうです?」  マリアが問うと、先日まで淳子と名乗っていた女性が書類を掲げる。 「こちらは入院まではいかないものの、心労で倒れて今も寝込んでいるらしいです」 「――そうですか……」  書類に目を通し、マリアはそう一言だけ呟いた。マリアと向かい合い並んで座る女性二人はただ黙って紅茶とココアを飲んでいる。  しかし、ココアを飲んでいた彼女が口を開いた。 「マリアさん、どうして“淳子”を用意する依頼を受けたんですか?」 「……何故?」 「私達キャスト同士が同一の人物と関わりを持つのは非常に危険です」 「そうですね。ですからいつもは細心の注意を払っています。でも、今回は少し特殊でしたので……」  カチャリと小さく音を立ててカップを置く“元・淳子”も口を挟む。 「私はやはり“淳子”の存在は必要だったと考えます」 「……私もそうは思います。でも、こうしてお客様が心を壊してしまうのを見てしまうと……」 「後味はよくないでしょう。それはお二方には本当に申し訳ないと思っているの。だけど、やっぱり“偽物”は“本物”を作るためのものであるべきだと思います。いつまでも“偽物”の状態を維持するだけでは、当社の本来の目的から逸れてしまいます」  祐介は三年前、多額の支払いをして偽物を用意し、心を閉ざし寝込んだ。  その後再び目を覚ました祐介は自分が用意した“設定”を現実だと信じ、雇われた“亜美”を可愛がった。  何度も望んだ、互いに恋愛感情はないものの強い絆で結ばれた兄妹。  しかしその一方では、徹底的な協力を仰がれた祐介の両親が酷く思い悩んだ。  その“異常”を受け入れることで息子が“正常”に戻れるならと手を貸した両親だったが、いつまでも恋人の一人も作らない祐介に、聡子は同じ過ちを繰り返すのではと懸念した。  そして今回、聡子からの依頼で“淳子”は用意された。  結局強い感情が動いた記憶というものは完全に消し去ることなど出来ず、“亜美”が話した“現実”を受け入れたくない祐介は心を壊してしまった。 「やはり3年も共同生活をすると感情移入してしまいましたか?」 「……いえ、それは」 「咎めるつもりはありませんよ」 「――……はい、多少は」 「えぇ、そうですよね。もう成人されているのに高校生を演じていただいたんですし、こんなに長期に渡る契約は当社でも他に例はないです。当然だと思います」 「……彼は随分いい方向に向かっていたと思うんです。亜美を想う気持ちに恋愛のそれは読み取れませんでしたし、このままもう少し様子を見ていれば自然と恋愛も――」 「それはどうですかね?」 「……そうですね、私もそうは思いません。やはり淳子のような決して妹の存在に屈しない彼女は必要でした。だって新岡様の望まれた亜美は、貴女が演じられた通りことごとく恋人の存在を排除していく妹でした。理想的な彼女でも現れない限り難しかったと思いますよ」  ココアを飲んでいた彼女は少しだけ不満そうに唇を突き出した。3年間演じていた亜美が抜け切らないようだ。 「――――それにしてもマリアさん、ここに移転したなら教えて欲しかったです」 「ふふ、そうですね。先日はドキドキしましたね」  悪戯っぽく笑うマリア。“元・淳子”が何かあったのかと問うと、“元・亜美”は「聞いて下さいよー!」と説明した。 「えー、それは危なかったですね」 「でしょう? 私全然知らなくて、覗いたらマリアさんが居るんですもん!」 「うふふ、ごめんなさいね。だって“亜美”に私が連絡をするのもおかしいでしょう? 新岡様の妹さんだったんですから」 「そうかもしれないですけどー」  買い出しから戻ったアキラが今回の仕事の報告を終え談笑する女性陣にケーキを出す。  出掛ける前には病んでしまったお客様に心を痛めていたはずだったのに今はこうしてケーキを前にしキャッキャとはしゃぐ乙女のような女性達を見て、切り替えの早さは見習わなければいけないな、等と考えるアキラであった。
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