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抑制
「自意識過剰なんじゃない?」
蔑んだ目で男を見たその女性は、そしてそのまま店を出た。
残された男――浅野謙太は立ち去った彼女が自分の飲食代すら置かずに出て行ったことに腹を立てた。今まで何度か彼女とデートをした際は彼女に財布を出させることはなかったが、彼女に付き合う気がないのだと知った今、その出費分すら回収したい気持ちだった。
謙太の悪い癖は、自分と関わる女性は皆自分に好意を抱いているのだと思い込んでしまうこと。
ただの友達、ただの同僚、そんな女性が挨拶でもしてくれば、たちまち「俺のコト好きなんだな」と考える。それが彼女らの指摘する通り自意識過剰なんだともわかってはいるのだが、その思い上がりはどうしてもやめることは出来なかった。
ウエイトレスがコーヒーのおかわりを淹れて回っていたが、連れに置いていかれた現状を恥ずかしく感じていた謙太はすぐに立ち上がり、しぶしぶ女が食べたパフェの分も合わせて会計を済ませた。
賑やかなファミレスでは誰も謙太のことなど気に留めていなかったが、皆に注目されていると思い込む謙太は逃げるように店を出る。自意識過剰なのは女性にモテると思い込むだけではなく、ネガティブな思考をも増長させていた。
「きゃっ!?」
ファミレスを飛び出した謙太は勢い良く通行人にぶつかった。体格差からぶつかった女性のほうが倒れる。
「す、すみませ……ッ」
慌てて謝る謙太だったが、その女性を見て息を呑んだ。
腰まで届く長い黒髪、高級そうなベルベットの黒いスーツ、透き通るような白い肌。その対比がなんとも言えない魅力を放っており、何より目を引くのは端整な顔だった。目力が強いネコのような大きな瞳をしていながら、全体的に儚げな雰囲気を纏った女性。
「……私の顔に、何か?」
「あっ、いえ、すみませんっ、あの、お怪我は……っ」
「私は平気です。こちらこそぶつかってしまい申し訳ございません」
ゆったりとした動作で立ち上がった彼女は歯を見せずににこりと上品に笑い、ぶつかった拍子に落としたハンドバッグを拾った。
「貴方のほうこそお怪我はございませんか?」
「お、俺は平気です……」
「そうですか……あ、急がれていたんじゃないですか?」
「いえ、あの……――――」
「?」
彼女の不思議な魅力に言葉を紡げずにいると、軽く会釈をして彼女は去っていった。
ぼんやりとその後姿を眺めていた謙太だったが、何を思ったのか彼女の後に続き中通りへと入っていった。程なくして彼女が入ったのは、看板も何もないレンガ造りの建物だった。喫茶店のようにも見えるが、その重たそうな扉は一見客は受け付けないような印象を与える。それに、喫茶店にしては窓も小さく中の様子が殆ど見えない。
少しだけ立ち止まって考えたものの恐る恐るその扉を押し開けた謙太を迎え入れたのは、これもまた上品な雰囲気を纏った青年だった。緩いパーマがかかった黒髪、俳優と言われてもおかしくない整った顔。
「いらっしゃいませ」
ドラマで見る執事のように深く頭を下げた彼は、謙太が座りやすいようにカウンター席の椅子を引く。
素直に座った謙太だったが、ここがどのような場所なのかわからないまま入った為まごついた。
「何か飲まれますか?」
「あ……やっぱり喫茶店か何かなんですか?」
「いえ、喫茶店ではないですが、折角お越しいただいたのでおもてなしさせて下さい。飲食店ではないためメニューはございませんが、アルコール以外ならご用意できますよ」
「……じゃあ、コーヒーで」
「かしこまりました」
普段謙太の生活では馴染みの薄いアンティークの調度品に囲まれた空間はなんだか落ち着かなかったが、コーヒーの香りが心地よく少しだけ安らいだ。
「申し遅れました、私アキラと申します」
「あっ? え、あぁ、どうも……」
名刺交換に慣れていない謙太はぎこちなくその黒い名刺を受け取った。
飲食店の勤務経験しかない謙太は名刺を貰うことはほぼなかったが、それでもこのゴシック調のデザインが珍しいことくらいはわかった。しかも苗字も書かれておらず、片仮名で“アキラ”とあるだけだ。
「……イミテーション・ハーツ? 店の名前ですか?」
「はい」
「どういった……?」
「その名の通り、“イミテーション”をご提供させていただいております」
「あ、宝石とか?」
「――――……」
謙太のその問いにアキラは意味深に微笑むだけだった。
「お客様は、何故当店に来られたんですか?」
「あ、えっと……」
あの女性の後を追ってきたと言えば、流石にこの紳士的な青年もその表情を歪めるかもしれない。だけど謙太には他に巧い言い訳も思いつかず、正直に話した。
「その……さっきぶつかった女性がここに入ったのを見て……ここはどういう店なんだろうって……」
「黒髪で色白の女性ですか?」
「あ、ハイ」
「マリアですね……申し訳ございませんでした。うちのマリアが大変ご迷惑を――――」
「あっ、いえ、別に怒ってるわけでもないですし、俺の不注意でぶつかったんで!」
「しかし……お怪我はありませんでしたか?」
「はい……はい、大丈夫です」
「今マリアを呼んできますね」
アキラはその宣言通りすぐに先程ぶつかった女性――マリアを連れてきた。謙太の顔を見てすぐにぶつかった相手だと気付いたマリアが笑顔を見せる。
「貴方は先程の……どうかされましたか? やはりどこか痛みますか?」
「いえ……あの……」
謙太は考えていた。
普通はぶつかってきた相手をそこまで心配するだろうか。しかもこんな場所まで追ってきた男に尚も笑顔を向ける理由はそれしかないんじゃないか、と。
「マリアさんっていうんですか?」
「えぇ、そうです。よろしくお願いします」
そしてアキラと同じデザインの名刺を出してきたマリアのその手を、謙太は思わず握っていた。
「? あぁ、握手ですか?」
「いえ。あの……マリアさん」
「はい」
「どうしてそんなに優しいんですか? 俺のこと好きなんですか?」
謙太の言葉にマリアもアキラも目を丸くしたが、少しの間の後二人が声を揃えて笑った。どうやら冗談だと思ったらしい。
「ふふっ、面白い方ですね」
「え……っ」
「そうですね、お客様のような素敵な男性なら、ぶつかって恋に落ちるというドラマのようなことも起こるかもしれないですよね。お客様、お名前は?」
「謙太……浅野謙太です」
「浅野様はご冗談がお上手ですね。うちのアキラなんてとてもつまらないんですよ。是非面白いことを話すコツを教えてあげて下さいな」
「……そんなにつまらないでしょうか?」
落ち込んだようにも見えたアキラだったが、すぐに笑顔を謙太に向けた。
「そうですね、浅野様のように気の利いたことの一つも言えるようにならないといけませんね」
「あの、え? 俺は本気ですけど……」
「はい?」
「だから、本気でマリアさんが俺を好きなんだと思いましたが」
再び目を丸くする二人は、そして顔を見合わせた。
小首を傾げるマリアの仕草は美人なのに少女のように可愛らしい。
「浅野様、貴方は今まで人間関係で上手くいかないと思うことが多くありませんでしたか? 例えば……そうですね、特に女性関係で」
「――――……よくわかりますね」
「もし改善できる手立てがあれば、ご希望されますか?」
「そりゃあ……でも、無理ですよ。今までも結局直せなくて……」
「無理なんかじゃないです。ね、アキラ」
話を振られたアキラは静かに頷いた。
「えぇ。浅野様、当店は“イミテーション”を扱っていると申しましたが、ご用意するのは宝石ではなく……――――人間、なんですよ」
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