死神少女と社畜女

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2日目 テイク・テイク・テイク  死神の眼は実はちょっと不便だったりする。  他人の頭の上に意識しようがしまいが、残りの寿命が数字になって見えてくるから気が散って仕方がない。別に名前が見えたりはしないけど。  原付で道路を飛ばしていくお姉さんの背中にしがみつきながら、街中を行きかう人たちの数字が視界をひゅんひゅんと通り過ぎていく。  浮かんでいるのは日数だから、ちょっと計算しないとわかんないけど大半の人は四桁とか五桁の数字が豪勢に頭の上に浮いている。  健全な数字だ、普通の人はそれくらい生きる。当たり前に、至極、真っ当に。  ふと気になったから背後を振り返って、視界に映る中で一番少ない数字を探してみる。  目に映ったのは、道の脇で杖を突いたおばあちゃん。浮かんでいる数字は01523。大体……あと四年とちょっとくらいだろうか。  一番少ない数字がそれだった。少なくとも、ぱっと見える人中では、そのおばあちゃんでも、後、四年は生きる。  私は視線を前に戻して、自分がしがみついているお姉さんを見た。  000006。  あまりにも少なすぎる、そんな数字。まあ、私が憑く人は、どうしたってこれくらいのものだけれどさ。  この人と過ごせる時間はあと6日。  視界の中に移る他の数字と見比べてしまえば、あまりに儚過ぎるその日数に、ちょっと胸の奥が痛くなりながら。  喉から出かかった痛みを伴った何かを、私はそっと胸の奥に飲み込んだ。  いくら不条理を訴えたところで、この数字は増えないし、それを変えることは私には許されていない。  じっと目を閉じて、しがみつく背中にそっと頭を擦りつけた。ほんのりと暖かい肌の感覚が頬からじんわりと滲んでくる。  あと、何度打つかわからない心臓の音を聴きながら、私はゆっくりと息を吐きだした。  もう、祈る時間じゃない。幸せな時間は今、この瞬間に創るしかないのだから。  怖い動物が、深く唸るような音がした。  お姉さんのお腹が空腹で鳴った音だとわかるのに、ちょっとばかり時間がかかった。  思わずくすっと微笑んで、風に負けないように思いっきり声を張った。  「おねーさん、おなかうるさーい!」  「ごめーん! でもおなかすいちゃった! どっかでご飯食べようよ!!」  「いいですね! 何食べましょっか!?」  「うーん、マクドナルド!」  「却下! なんかお姉さんが好きなの食べるんじゃー!!」  「私、何が好きなんだっけー!?」  「知らなーーい!!」  「だよねーー!!」  たった一桁の数字をぶら下げながら、お姉さんは大きな声で心底楽しそうに笑っていた。  ※    「でも、本当にこんなのでよかったんですか?」  「うん、これがいいの」  それから三十分後、私とお姉さんは相変わらず原付で走り続けていた。ただ、私の手には途中のカフェで買った、ちょっと美味しそうなサンドイッチが二人分ぶら下がっている。確かに美味しそうではあるけれど、多く見積ってあと20回に満たない食事がこんなお手軽でいいものだろうか。もっと、高級なものとかの方がいいような気もするけれど、お姉さんはこれがいいと言ってがんと聞かなかった。  「ま、お姉さんがそう言うなら、それでいいけどね」  「あはは、ありがと!」  お姉さんは原付の風に負けないように、思いっきり快活な声を上げた。  でも、本当によく笑うようになったね。  まあ、私はたったの二日間とちょっとしかこの人を見ていないわけだけど。それでも、初日よりは圧倒的に明るい表情が増えた。  この調子でいけば、ちゃんと笑って一週間すごせそうだ。思わず私も少し笑顔が移ってしまう。  走る原付は街中を少し抜けて、山道の中に入って来ていて、ここを抜けたらじきに海が見えるそうだ。  秋の心地いい風が、山肌を抜けて私たちを吹きならしていく。木々の隙間から、ちらつく日差しが綺麗で、すっと息を吸いこめば、いろんな不安がどこかに溶けてしまいそうだった。  「おねーさん、おなかすいたー」  「だねー、あ、あそこ川に降りられそうかも! あそこで止めよう!」  そう言って、お姉さんは山肌の道に原付をそっと止めた。  対向車線もほとんで出会わないくらい静かな山道に二人で降り立ち、ガードレールを越えて川沿いに降りる山道を下っていく。  お姉さんの見立て通り、木々を抜けた向こうに綺麗な川があるみたいで、鳥たちの声に交じって渓流ざあざあという音が聞こえてくる。  枯葉で埋まった道をさくさくとい踏み鳴らしながら、木々の間を抜けて私たちは川沿いの所までやってきた。  「おお」  「いいね、隠れ家って感じだ」  森を抜けた先の景色は、小さい滝がいくつも重なっているみたいになった渓流だった。  私達の身体より大きい岩がいくつもごろごろしていて、その隙間をごうごうと音を立てながら透明な水が勢いよく流れている。  ちょっとだけ岩肌から下を覗いてみると、水の音がさらに大きくなる。結構大きな岩の上から見ているはずなのに、水しぶきが頬を少し濡らしてくる。  「ここで、食べます?」  「うん、でもその前に、はい、チーズ」  声をかけられて反射的にお姉さんの方をみると、昨日買ったカメラを構えていた。私はちょっと慌てて、とりあえずピースサインだけしてみる。かしゃ、というスマホに比べると控えめな撮影音を鳴らして、カメラはそっと撮影を終える。  そのまま、何枚か撮ってからお姉さんは微笑みながら、カメラの画面を見て満足そうにうなずいていた。  「うん、いい感じ」  私は岩のくぼみをぴょんぴょんと跳ねて、お姉さんのそばに戻ってみる。それから、お姉さんの脇からひょいと顔を出して、同じくカメラの画面を覗いてみた。  そこには、ちょっと驚いて間抜けな顔でピースサインをとっている私の姿が映っていた。  うーん、自分の拍子抜けな表情って、どうしてこう見ていると何とも言えないのだろう。感想すらたいして湧いてこねえ。  何度か撮影されていたので、次第に間抜けな顔が、ちゃんと笑顔になっていくのはちょっと面白いけど。  「私、写真って嫌いなんですよねー」  何気なく、そんなことをぼやいたら、お姉さんは、え、と気まずそうに声を上げた。  「え、……じゃあ、撮らないほうがいい?」  ちらとお姉さんを見ると、まるでこの世の終わりとでも言うような顔をして青ざめていた。寿命を告げられたときでもそんな反応してなかったと思うけど……。ま、色々と肩の荷が降りたから、ちゃんと感情表現ができるようになったのかな。  「んー……まあ、別にいいですよ」  「え、えと、本当に嫌なら言ってね? 我慢させてまで撮りたいわけじゃないから」  お姉さんは心底慌てたように、しどろもどろになりながら私を心配してくる。……この人、一生分のわがままをし倒すっていうがわかってるのかなあ。そこで気を遣ってどうするのか。  私は軽く肩をすくめながら、鼻を鳴らす。  「だいじょーぶって言ったら、大丈夫です。それにお姉さんはそんなの気にせずに、わがまま言ってたらいいんですよ」  と、言ってみるけれど、お姉さんは微妙に納得していないみたいで、なんだかそわそわしながらカメラと私を交互に見ている。  仕方ないので、私は軽く息を吐きながら適当な岩のくぼみに腰を下ろすと、未だ戸惑ったままのお姉さんをちょいちょいと手招きした。  すると、お姉さんは、どことなくそわそわとしながらだけど私の隣に腰を下ろした。そのまま岩肌から二人で足をぷらぷらさせながら、サンドイッチの袋を漁りつつ喋り出す。  「私が写真を嫌いなのって姿がずっと残って、それを誰かに見られるから嫌いなんです。自分のことを勝手に知らない誰かにとやかく言われるのが嫌いなわけ」  お姉さんの分のサンドイッチとコーヒーを出して、お姉さんの膝に置く。うーん、それにしても美味しそうだな、私もアボカドサーモンにすればよかったかなあ、なんて考える。  「でも、その写真ってどうせお姉さんにしか見えないでしょ。他の人にはただの風景の写真じゃないですか、だから別にいいですよ」  喋りながら、自分の分を取り出す。おっきめのロイヤルミルクティーと照り焼きチキンサンド。うーん、ロイヤルミルクティーはアイスにしたのだけど、さすがにこの量はお腹冷えちゃうかな。めちゃくちゃおいしそうだからと調子にのったかもしれない。いや、サンドはやっぱりおいしそうだから、やっぱりいけるかもしれない。  ほんのり焼いたしっかりしたフランスパン生地に、挟まれたもりもりの野菜とチキン。それに目一杯、口を開けてかぶりつく。  「……そっか」  「ふぁい」  ざくざくと小気味いい音を立てながら、口の中でサンドイッチを咀嚼する。野菜もシャキシャキしてるし、お肉もまだほんのり暖かく、甘辛い、うむうめえ。  「ありがとね、ゆな」  「ふぃいえ」  かしゃ、と音が鳴った。  視線を向けると、お姉さんが酷く嬉しそうな笑顔でカメラを向けていた。  私は冷たく甘いミルクティーで口の物を流して飲み込んでから、口を開く。  ちらっと覗いたカメラの画面には、大口開けてサンドイッチを頬張る私の間抜け面が映っていた。  「ま、それはそれとして、お姉さんは私なんかより風景でも撮った方がいいと想うけどね」  「ううん。いいの、これで」  そう言うと、お姉さんはどことなく優しい笑みで私を見た後、そっとカメラを脇に置いた。それから、私と同じようにサンドイッチを手に取ってまじまじと眺めはじめる。  「それにしても、大きくない? これ」  「食べ応えまっくすですよ。そして、うみゃい」  「うー、こんな口開けたことないんだけど……」  「どうせ、私しか見てないんだから、そんな恥じらいさっさと捨てちゃえ」  「あがが……あごいたい」  「お口サイズ小動物っすか」  「うぐぐ……あ、美味しい」  「でしょ、こっちのチキンも美味しいですよ。食べます?」  「ほんと? うん、貰う」  「ふふ、これで私も合法的にそちらを味見できるという寸法」  「……? わざわざそんなことしなくてもあげるよ?」  「お人よしですねえ。あ、こっちもうま。ちなみにお姉さん。こういう時は、口付いてないところ食べるのがマナーだけどね」  「え、ごめん思いっきり同じところ食べちゃった。……て、ゆなも同じところ食べてない?」  「私はお姉さんが同じところ食べるの確認してから、気にしなくていいなこれ、と思って食べたので」  「むー……すいません。こーいうこと、あんまりしたことなくて」  「よかったですね。あんまりしたことないことできて。間接キスはつたいけーん」  「……うん、うん。そうかな。そうかも」  「……さすがに冗談だよね?」  「……え?」  ※  それから、私達はその川沿いで一時間ばかり過ごした。  私は未だ余っているミルクティーを啜りながら、岩肌をぴょんぴょんと飛んで遊んでいた。  それにしても、たまたま見つけた川岸だったけど、気候も相まって本当に過ごしやすい場所だなあ。  急流が水を流し続ける音、木々を風が揺らしていく音、どこか遠くで鳥の鳴く音。  そんな音たちが、絶えずどこかで響き続けているのに不思議とうるさくは感じない。  むしろきっと全く音がしない部屋より、よっぽど落ちつく気さえしてくる。  木々が揺れる。水が流れる。太陽の光が影の隙間や水面に反射して、キラキラと瞬くように光っている。  少し離れたところで、お姉さんがあちこち、どことなくどんくさい足取りで動いては写真を撮っている。そして、時折思い出したように私にカメラを向けて撮っていた。ひらひらと手を振ると、元気よく振り返してくれた。  山肌を吹き上げていく風が、程よく身体を時折なでていく。日差しは優しく暖かく、風は涼しく落ち着ける。  座っていた岩肌をじっとなぞったら、それも少しだけ冷たく触っていて安心する。  でも本当に落ち着くな。なんでだろう、私より圧倒的に大きい存在だからだろうか。  それは、どこかで御神体としてまつられてそうなくらい大きな岩で。大きさだけで、私何人分あるかもわからないし、重さなんて何百人分もありそうだ。  そして、あとどれくらいの間、この場所にいるのだろう。  100年? 200年? 1000年とか、ともすればもっと長いのかもしれない。  この岩にとって、当たり前に生きる人の寿命も、お姉さんの僅かな寿命も大して変わらないのかもしれない。  そう考えるのは救いがあるような気もするし、なんだか余計に寂しくなるような気もした。  そうやってぼーっと目を閉じている間に、お姉さんが近くまでやってきたみたいで、時折かしゃかしゃというカメラの音と、おっと、わっ、と段差で慌てたようなお姉さんの声が近寄ってくる。  目を開けて、音の方を振り返る。  丁度、岩を乗り越えて、お姉さんが私を見つけたみたいで、そっと笑いながらカメラを私に向けていた。  「ゆーな」  「はーい」  返事をすると同時に、シャッターが切られた。  「そろそろいこっか」  「うん」  考えようが、考えまいが。  感じようが、感じまいが。  何かをしようが、何もしまいが。  残そうが、残すまいが。  時間は流れる、時は過ぎ去る。  あなたの頭上に浮かぶ数字は次第に減っていく。  嘆こうが、嘆くまいが。  笑おうが、笑うまいが。  終わりの時は近づいていく。  だから、何度も何度も、笑いかける。  たとえ一瞬でも、一秒でも、その笑顔の数が、その人生で流された涙の数に追いつけるように。  感傷もいらないから。  悲嘆も必要ないのだ。  迷いや憎悪も今はどっかに行ってしまえ。  ただ、今の幸せだけを感じているために。  さあ、旅を続けよう。  少しして。  私はお姉さんの背中にしがみついて、原付が走り出すのを感じていた。  風が吹いている。  心臓の音が鳴っている。  こんな感触もあと6日。  だから、そんな一瞬を決して忘れないように、私はじっと目を閉じて感じ続けた。  ※  死神ルールその4 『死神の眼には人間の寿命の残りが浮かび上がる』
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