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④ 『星空』
太陽がそろそろ西の空に沈む頃になって、バルネアはようやくその考えに行き着く。
「……何をやっているんだろう、私は……」
バルネアはようやく完成したメニュー表を見ながら、頭痛をこらえるように頭を片手で抑えて嘆息する。
これが今度の料理コンテストのものであればなんの問題もないのだが、昼過ぎから今までの時間を掛けて懸命に作り上げたこのメニュー表は、明日、ティルという少年に食べてもらうためのものだった。
「今日がうちのお店を使える最後の日だったのに……。ううっ、どうしよう。コンテストのメニューをまるで考えないで終わっちゃった……」
もうコンテストまで間がない。
今日は料理長にダメ出しをされたメニューの改良をしなければいけなかったはずなのに。
「……そもそも、どうしてあんな約束をしちゃったんだろう? 明日からもコンテストに向けて頑張らなくちゃいけないのに……」
あまりにも自分の作った料理を美味しそうに、幸せそうに食べるものだから。
そしていい笑顔をするものだから、それが嬉しくてもう一度その顔を見たいと思ってしまった。
「……現実逃避をしたいのかな? ……でも、ダメよ。今回が最後のチャンスなんだから!」
そう自分に気合を入れようとしたバルネアだったが、不意に店の裏口から聞こえてきた猫の鳴き声に気を取られてしまう。
「あっ、ニャン達のご飯の用意もしてなかったわ!」
バルネアは大慌てで昼前に作った料理の残りを持って裏口に向かう。
裏口の扉を開けると、猫が二匹、店のドアを引っ掻いていた。
「お待たせ。ニャン、ニャー。今日はいつもよりも豪勢だから許してね」
丸々と太った二匹の猫――真っ白な毛並みの猫と薄茶色と白の混ざった毛並みの猫に謝罪をし、バルネアは二匹専用のエサ入れに持ってきた料理を配膳する。
この二匹の猫は野良猫なのだが、バルネアがこの店で働く前から、こうやって定期的に店にやってきては店の残飯を催促するようになっていた。
店の先輩が餌付けしたのが原因らしい。
スンスンとバルネアの料理の匂いをかぎ、二匹の猫は満足気にそれを口にする。
バルネアはほっと胸を撫で下ろす。
料理長にはだめだと言われたが、猫達はバルネアの料理を認めてくれたのだ。
「みんなが残り物をあげるものだから、すっかり舌が肥えちゃったのよね、ニャンとニャーは」
この二匹が影の料理長だと言われているのはそんな理由があるからだ。
「こぉ~ら。美味しいのなら美味しいって言ってよ。……って、言えるわけないわよね」
バルネアは苦笑して小さく嘆息する。
「ニャンたちには喜んでもらえているけど、料理長にはダメだって言われてしまったのよね。……まったく、いったい何が足りないのかしら……」
バルネアは膝を曲げて、美味しそうに自分の料理を味わう猫の頭を撫でる。
フワフワとした毛並みが心地いい。
「……そっか。今日で最後なんだね。あなた達にご飯をあげるのも……」
しんみりとした気持ちで猫を撫でていたバルネアだったが、不意に人の気配を感じてそちらに視線を移す。
「……あれって……」
店の向かいの道路を歩く、ランプと何かの包みを片手に歩く小柄で線の細い少年。
先ほどまでバルネアがその顔を思い浮かべながらメニュー作りをしていた人物だった。
「ティ~ル。こんな時間に何しているの?」
駆け寄って声をかけると、彼は驚いて小さくすくみあがった。
「わっ! ……あっ、ああっ。きっ、君は、バルネア……さん……」
「もう、バルネアでいいわよ。同い年なんだし、私も貴方のこと『ティル』って呼びたいし。ねっ、いいでしょう?」
相手の意志を無視して、バルネアは強引に呼び捨てで呼び合うことを決める。
「あっ、うん。君がいいのなら……」
「そんなの、いいに決まってるわよ。……それで、何をしているの?」
ティルは何かの包みを両手で抱えて歩いていた。
こんな時間にどこかに届け物を運んでいるということはないだろう。
「……今日もいい天気だから、星を見ようと思って……」
「星? 星を見てどうするの?」
「……いろいろと勉強しないといけないことがあるんだ。僕は航海士見習いだからね」
そう言ってティルは苦笑する。
「それと、僕は星を見るのが好きなんだ。だから、天気が良い日は毎晩、星を見て過ごしているんだよ。……さすがに明日も仕事があるから、それに差し支えがない時間には戻って休むけどね」
ティルの行動はバルネアの予想だにしないことだった。
しかし、夜遅くまで星を見るというのはどういう楽しみがあるのだろうかと興味を惹かれる。
「うん。思わぬことが料理のアイデアになるかも分からないし……」
バルネアはそう思い、無茶な提案をティルに持ちかける。
「ねぇ、ティル。私にも貴方の見ている景色を見せてくれないかしら? 今日はもう家に戻ろうとしてたところだから、店の戸締まりをしたら時間が取れるから」
「えっ? だっ、だめだよ! 女の子が夜道を出歩くなんて危険だよ……」
「大丈夫よ。料理作りに熱中しすぎて、夜道を一人で歩いて帰るなんてザラなんだから。それに、いざというときの逃げ足にも自信があるし。ねっ? いいでしょう?」
バルネアはティルにそう頼み込み、強引に同行を迫る。
「でっ、でも……」
「それに、どっちにしろこれから一人で夜道を帰らなくちゃいけないのは変わらないわよ。すぐに戸締まりをしてくるから少しだけ待っていて」
ティルの反対を押し切り、バルネアは店に戻って後片付けを手早く終えて戸締まりをし、律儀に店の前で待っていたティルと一緒に星を見るために二人で歩き出した。
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