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街の入口から少し外れた高台で、ティルは足を止めた。
どうやらここが目的の場所のようだ。
「うわぁ~。こんなに綺麗に星が見える場所があったのね」
空を見上げると満天の星空が広がっていて、バルネアは感嘆の声を上げる。
「うっ、うん。照明用の松明の明かりも近いから、危険も少ないし、星を観測するにはもってこいの場所なんだ。……街の入口の警備に見つかりにくいっていうのもあるんだけど……」
「あっ、もしかして、秘密の場所だったの?」
「いや。秘密でも何でもないよ。ただ夜は僕以外の人がいるところを見たことはないけどね」
ティルは苦笑し、手にしていた包みを開いて望遠鏡と何かを取り出した。
「……これは六分儀だよ。天体の高度測定や自分の位置の割り出しなどに利用されるものなんだ」
バルネアの視線の先にあるものを見て、ティルはその器具の名前を教えてくれた。
「ろくぶんぎ? へぇ、聞いたこともないわね。どうやって使うものなの?」
「あっ、うん。陸の上で使うものじゃないんだけど、いつも持っているようにって先輩に言われているんだ。えっと、これは海の上で……」
ひと通りその道具の説明を聞いたが、バルネアにはよくわからないものだった。
ただ、説明するティルの顔が嬉しそうで、バルネアは笑顔で話を聞き続ける。
「……あっ、ごめん。僕ばかり一方的に話してしまって……」
「いいわよ、そんなことを謝らないで。でも、本当に星を見るのが好きなのね、貴方は」
昼間はバルネアが質問するばかりで、ティルが自分から発言することは殆どなかった。
弁に熱がこもるほどに、彼にとって星の観察は重要な事なのだろう。
「ははっ……。変な趣味だってよく言われるけどね……」
ティルはそう言って苦笑する。
その笑顔が少し淋しげに思えて、バルネアは口を開く。
「……毎日、一人で朝まで星を見ているの?」
「うん。僕はお酒は飲めないし、他に特にこれといった趣味はないから……。いつもここで星を見ているんだ……」
一層淋しげにティルは微笑む。
昼間の自分に向けてくれた笑顔とあまりにも違うその笑みに、バルネアの心が痛んだ。
「……ティル。あなたには夢はないの? 私にはあるわよ。世界一の料理人になるって夢が。そのために毎日頑張っているんだから」
「……すごいね、君は……。僕には夢なんてないから、少し羨ましいよ」
ティルはそう言って顔を俯ける。
「……ねぇ、ティル。『瓜を蒔けば瓜が取れ、豆を蒔けば豆が取れる』ということわざを知っているかしら?」
不意にバルネアはそんな話題をティルに振る。
「いや、知らないよ。……でも、それって当たり前のことなんじゃあ……」
「うん。そのとおり。当たり前のことよ。つまり、物事には原因があるから結果があるっていう意味ね。だから、何事もまずはやってみなくちゃ始まらないの。何かを得ようと思ったらそのための努力をしなくちゃだめってことよ。
趣味がないのなら、なにかを始めてみたらいいんじゃないかしら? 結果としてそれが趣味や夢に変わっていくかもしれないじゃない」
「ははっ、そうかもしれないね……」
バルネアの叱咤にも、ティルはやはり淋しげに微笑むだけだった。
それに釣られて、バルネアは小さく息を吐いた。
「……なんて偉そうなこと言ったけど、私も貴方のことをどうこういう資格なんてないのよね……」
「えっ? どういうこと?」
「……私ね、今度の料理コンテストに参加するんだけど、優勝できなかったら夢を失ってしまうの。世界一の料理人になるって夢を……。だから頑張らなくちゃいけないんだけど……」
ティルに話しても仕方がないことだというのに、バルネアは自分の身の上話を始めてしまう。
ティルを励まそうとしていたのに、これでは逆効果だと思ったが後の祭りだった。
だが、ティルはそれを黙って聞いていてくれた。
「……『世界一の料理人』って、世界で一番料理で人を笑顔にする事が出来る人のことだと私は思うの。そして、料理を食べてくれる人を笑顔にするためには、心をこめて最高の料理を作らないといけない。
でも、そのためにはどうしても技術が必要なの。自分の思いを形にするための力が…‥。だから私はどうしても『銀の旋律』に入らなくちゃいけない。……そして、今回が最後のチャンスなの……」
自分に言い聞かせるようにバルネアは言葉を紡いだが、そこで今まで黙って話を聞いていたティルが口を開いた。
「……どうして、最後のチャンスなのかな? 他にも料理店はいくつもあるよね? 僕もたくさんの国に行ったことがあるわけじゃないけど、世界って広いと思うよ」
きょとんとした顔で、ティルは尋ね返してくる。
「もう、分かってないわね。『銀の旋律』よ、『銀の旋律』! 世界でも指折りの名店! そのお店に入ってもっと腕を磨いていかないと、私の夢はかなわないんだから」
「……僕から見れば、君も十分すごい料理人なんだけど、『銀の旋律』ってお店の料理はそんなに違うのかな?」
バルネアが説明しても、ティルはいまいち『銀の旋律』という店の凄さを、そこで働けるということの重大さが分からないようだ。
「『銀の旋律』で食事をしたことがないのね。あの店で料理を食べたらすぐに分かるわよ。今の私なんか比較にならないわ。あの店の料理は特別なの。だから、どうしてもそこに入って腕を磨かないといけないのよ!」
幼い頃、一度だけ両親に連れて行って貰って、『銀の旋律』で食事をした。
それは夢の様なひとときだった。
すべてが計算尽くされた完璧な料理の数々。
その美しさも味もすべてが初めての経験で、バルネアはそれに魅入られた。
こんな料理を作れるようになりたい。
このお店で働きたい。
それがバルネアの目標になった。
「……だから、頑張らなくちゃいけない。もしも今度のコンテストで優勝できなかったら全てを失ってしまう。でも、なんだか……疲れちゃって……」
小さくバルネアは息を吐く。
「……そうなんだ。君も大変なんだね。羨ましいだなんて言って、ごめん……」
「いいわよ、謝らないで。私の方こそごめんなさい。変な話を聞かせちゃって……」
そう言って二人の会話が少しの間途切れる。
だが、またティルがその沈黙を破って口を開いた。
「……その、僕は君がどれほど大変な思いをしているのかわからないから、こんなことしか言えないけれど……」
ティルは申し訳無さそうに言い、静かに言葉を続けようとする。
その言葉を聞くまでもなく、バルネアは彼が自分に何を言おうとしているのか予想がついた。
「きっと、『がんばって』とかよね……」
毎日毎日、自分ができるかぎり精一杯頑張っていることをティルは知らない。
それに、今日話すようになったばかりの他人のことだ。
そんなことを気遣ってくれるはずがない。
だが、ティルの口から発せられた言葉は、バルネアの予想とは異なっていた。
「……疲れたのなら、少し休んだらいいんじゃないかな? 努力をすることが大事なのはわかるけれど、ときには休息も必要だと思うよ」
そう言ってティルは微笑んだ。
その微笑みは憂いを含まない笑顔。
昼間に自分に向けてくれた満面の笑顔だった。
「…………」
予想外の言葉に、バルネアはどう反応していいのか分からない。
「……僕の実家は小さな料理屋でね。だから、君がすごい料理人だということは分かるんだ。そしてそこまでの腕を身につけるには、きっと僕なんかが想像もつかないような努力をしたからだと思う。さっき、君自身が言っていたように、ずっと頑張ってきたんだよね、きっと……」
「……ティル……」
バルネアはティルの名前を呼ぶ。
だが、二の句がつながらない。
何を言えばいいのかわからない。
ただ、バルネアの瞳から涙が一滴こぼれ落ちた。
「あっ、その、ごめん。勝手なことを言って……」
「……ううん。違うの。これは、その、嬉しかったから……。おっ、おかしいわよね。今日話すようになったばかりなのに、なんだか貴方と話していると……ずっと前からの知り合いだったような気がするわ……」
「……うん。僕もだよ。……でも、僕は以前から……えっと、君の事は知っていたんだ」
「えっ?」
ティルの告白に、バルネアは驚く。
「前にも、猫に餌をあげているのを通りがかりに何度か見かけた事があったんだ。いつも、嬉しそうに笑顔で猫に餌をやっていたよね。それに、厨房にいる君の姿を客席から見かけた時も君はいつも笑顔で元気に料理を作っていた。
でも、今日、街中で出会った君はひどく思いつめた顔をしていたから、思わず声をかけてしまったんだ」
「……そっか。私のことを知っていたんだ。ふふっ、もしかして気にかけていてくれたのかしら?」
「あっ、いや、その……。……分からないんだ、こんな気持ちは初めてで……」
冗談で言ったはずだったのだが、そう言って顔を赤くするティルにつられて、バルネアも恥ずかしくなって赤面する。
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