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なんとも気まずい空気が流れたが、なんとか話題を変えようとバルネアは強引に話を切り替えることにする。
「そっ、そう言えば、貴方のお家も料理屋さんだと言っていたわよね? どうしてお店を継ごうとは思わなかったの?」
「……僕は男だからだよ。僕の故郷は小さな島でね。そこでは男は船乗りになる人がほとんどなんだ。だから周りのみんなに言われるままに僕も船乗りになったんだ。まぁ、他にやりたいことがあったわけじゃないから、特に後悔はしていないけど……」
「……もったいない。もったいないわよ、それって! 料理人って素敵な職業なのよ」
他人のことながら心底そう思い、バルネアは声を荒げる。
だが、ティルは笑顔でそれを受け止めた。
「ははっ。君は本当に料理が大好きなんだね。だから、あんなふうに楽しそうに料理をするんだ。
……うん。大丈夫だよ。今の君は疲れているだけだよ、きっと。少し休んだらまた元気を取り戻せる。そこまで思いつめるほどに大好きなものが君にはあるんだから」
ティルは嘆息し、
「やっぱり君が羨ましいな。僕も何か君のように……」
そう言葉を続ける。
「だから、それはこれからいくらでも探す事ができるでしょうが! まずは自分の好きなことを見つけることよ。そしてそれを見つけたら、一生懸命頑張るの!」
「うん。そうだね。でも、たまには休息も必要だよ、バルネア。君の場合は特に注意が必要みたいだ」
「っ……」
初めてティルの口から名前で呼ばれて、満面の笑顔を向けられて、バルネアは言葉に詰まる。
どうしてこんなに顔が熱くなるのか、バルネア自身にも分からない。
「わっ、分かったようなこと言わないでよ。……そっ、その、正直当たっていると自分でも思うけど……」
バルネアの言葉に、ティルはただ黙って微笑む。
それがまるで自分を見抜かれてしまっているようで、バルネアは不満そうに口を尖らせる。
「むぅ、なんだか私ばかり貴方に見透かされていく感じがするわ。不公平よ、そんなの。……そうだ、ティル。貴方の好きな料理って何かしら? いろいろな国に行った事があるんでしょう? 貴方が食べて美味しいと感じた料理のことを教えて!」
足がつかれてきたので、バルネアは芝生の上に静かに腰を下ろし、ティルにも隣に座るように手招きする。
「えっ? そっ、そう言われても……。うっ、う~ん、何が美味しかったかな……」
そう言いながら遠慮がちにティルはバルネアの隣に腰を下ろす。
その時のティルの顔が赤く見えたのは、松明の明かりのせいだけではないだろう。
バルネアは少しだけ溜飲が下がる思いだった。
ティルは暫く悩んでなかなか答えを出せないでいたので、バルネアが助け舟を出す。
「ここの近くなら、ビラッセ共和国に行ったことはあるわよね? そこの魚介料理は食べたことがあるでしょう?」
「あっ、うん。そういえば、チーズも有名だよね。……えっと、僕が行くのは大衆料理屋で、『潮風のささやき』っていうお店で食べていたんだけど……」
バルネアが話を振ると、ティルもそれに乗ってきた。
「おっ、有名どころね。あのお店の料理も美味しいわよね。でっ、貴方のお気に入りの料理ってなんだったのかしら?」
「えっ、え~と、魚介類も美味しいんだけど、やっぱり海での生活が長いと、肉料理のほうが食べたいって思ってしまうんだ。だから……」
「……ふむふむ。たしかにあのお店は牛肉料理も美味しいわよね。チーズを使っても肉の味が濃厚で、チーズの味に負けないのよね。あっ、そういえば、チーズといえば……」
バルネアは笑顔でティルと料理談義を続ける。
ティルも嬉しそうにそれに付き合ってくれた。
バルネアは話に熱中しながらも、ティルの話を元に明日の昼食のメニューを一度白紙に戻して、頭のなかで再構築して行く。
「……後は、ええと、どこで食べたかな……。あっ、そうだ、たしか……」
「あらっ? そこは行ったことがないわ。でっ、どんな料理が出てきたの? たしかあそこの名産は……」
「あっ、うん。いつも日替わりの定食を食べていたんだけど、先輩が給料日に……」
話をしているうちにティルの表情から硬さが抜けて、笑顔が増えてきた。
バルネアは満足気に微笑む。
「えっと、どうしたの?」
不意にバルネアが満面の笑顔を浮かべたことを怪訝に思ったのだろう。
ティルがそう尋ねてきた。
「ティル。私、貴方の趣味を一つ見つけたわよ。貴方は美味しい料理を食べることが好きなのよ」
「……えっ? でっ、でも、それは趣味って言わないんじゃあ……」
ティルの言葉に、バルネアは「えい」と冗談で彼の頭を叩く真似をする。
「何を言っているのよ。食事は生きていく上で欠かすことができない大切なことよ。『医者より料理人を召し抱えよ』ってことわざもあるくらいだしね。そんな重要な事を楽しいと思えることって、とても素敵なことよ」
バルネアは得意気にそう言うが、ティルは釈然としないのか、なんとも複雑な顔をする。
「でっ、でも、人間だったら、だれでもおいしい食事には興味があるんじゃあ……」
「そんなことないわよ。食事に興味が薄い人だっているもの。それに、貴方は普通の人よりも食事に感心を持っているわよ。だって、私と料理の話を色々としてくれたじゃない。食事に興味を持ってない人なら、こんなに話が続くわけがないわ。
更に付け加えるのなら、うちのお店に頻繁に食べに来てくれていたことも理由の一つよ。『銅の調べ』は大衆向けの料理店だけど、他のお店よりも少々割高だもの。お金を多少多く払っても美味しいものを食べたいって思っているのよ、貴方は」
呆気にとられるティルに、バルネアは微笑みながらそう断言する。
「でっ、でも、それが趣味になっても、夢にはならな……」
バルネアはティルの口の前に右手の人差し指を立てて、彼の言葉を遮る。
「そんなわけないでしょうが。私の『世界一の料理人になる』っていう夢だって、私が美味しいものを食べたいからっていう理由もあるのよ。つまり、美味しいものを食べるのが好きっていうのは、私の夢の原動力の一つなのよ」
バルネアは呆然とするティルを尻目に言葉を続ける。
「……そうね、ティル。貴方の場合は『世界中の美味しいものを食べつくす』なんて夢はどうかしら? お金も時間も掛かるから生半可な気持ちで叶う夢じゃないわよ。でも、やりがいがありそうだとは思わない?」
真摯な表情で言うバルネアに、ティルは暫く呆然としていたが、不意に、ぷっと吹き出し、声を上げて笑い出した。
「なっ、なによ。そんなに笑わなくてもいいじゃない……」
「ごっ、ごめん。でっ、でも、可笑しくて。……そっ、そうだね。確かにやりがいはありそうだ」
ティルは笑い声を何とか堪えてそう呟くと、ふぅ、と小さく嘆息する。
「ははっ。こんなに笑ったのはいつ以来かな。すごいね、やっぱり君は……」
「むぅ~。私の事バカにしているでしょう?」
ジト目でティルを見るバルネア。
ティルは「そんなことはないよ」と言い、微笑む。
「……ずるいなぁ、その笑顔……」
ティルの笑顔に、文句の言葉もかき消されてしまった。
どうしてこの人の笑顔はこんなにも眩しいのだろうと、バルネアは不思議に思う。
「えっと、どうしたの?」
「もう、なんでもないわよ。……そうだ、ティル。今までは貴方の好きな料理を話してもらったけど、今度は逆に貴方の苦手な食べ物の話を聞かせてくれないかしら? どうしても食べられないものとかも知っておきたいから。ねっ、いいでしょう?」
「えっ、あっ、うっ、うん……。特に苦手なものはないんだけど……えっと、そうだな……」
バルネアの笑顔の問に、ティルは頬を紅潮させ、懸命に頭を抱えながら答えを探す。
「ふふふっ、悪く無いわね。ティルが私のことを意識してくれるのって」
バルネアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら心の中で呟く。
少々意地が悪いなとは自分自身でも思わないでもないが、それはお互い様だろう。
もっとも、ティル自身はバルネアが彼の笑顔に惹かれていることをはっきりとは分かっていないようだが。
懸命に考えるティルを見つめながらバルネアは微笑む。
そして二人で夜が更けるまで、いろいろなことを話し合ったのだった。
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