いつかの魔女へのおくりもの

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プロローグ 魔女と少女  ある小さな国の、小さな町。  そこには魔女という生き物がいる。  人よりも遥かに長く生きて、超常の力が扱える。  残忍で、狡猾、人を人と思わず、火炙りにしなければ死にもしない。  曲がった鼻に、響くような高笑い、黒猫を使い魔にして、箒に乗って空を飛び、夜闇の中、黒装束に身を包む。  ……というのは、まあ、未知におびえた人が創り上げた、よくあるおとぎ話なんだけど。  実際は、鼻も曲がって無ければ、黒装束もめったに着ない。  使い魔と噂の黒猫は、可愛いからと拾ってきた、ただの変哲もない黒猫で。  笑い声は引きこもってるから小さいし、空を飛ぶのも箒じゃなくもっぱら古びた絨毯だった、箒はお尻が痛いんだってさ。  商売が下手で、よく原価の計算をしないまま安値で薬を売っちゃって割を食う。おかげで昔はよくひもじくなって、魔女様は欲しかった新しい服を我慢してたりしたそうだ。  おとぎ話の正しいところは、超常の力を使うこと。何もないところから火を出したり、睡眠薬や惚れ薬なんてお手の物。  あとは寿命がとても長いこと。  本人曰く、200歳は過ぎてるらしいけど、未だに姿は20そこらの若く綺麗な女性に見える。  一体、魔女様はいつまで生きるんですかって、聞いたことがあったけど、彼女は笑って知らないよって言うだけだった。  後で、他の魔女に聞いたことだけど、実は本当に分からないらしい。  そもそも大概の魔女は、千年も生きたころに自分から木や石に姿を変えてしまうそうな。永遠に生きるのが飽きるのか、はたまたそれが魔女の限界なのか。  ま、平均寿命が50年ぽっちのこの国じゃあ、どちらにせよ途方もない話なわけで。  ただの人間の私では、到底、この人の時の流れにはついていくことなんてできなくて。  だからきっと、この人は私のことなどいつか忘れていくのでしょう。  そう想うと寂しくて、ちょっとばかりやるせない。  9歳で拾われて、7年間。今年で数えて、16歳。  その間も、この人の姿は変わらぬまま。  いつごろからか、私の役目になった散髪で綺麗な赤毛を切り揃えるたびに、自分の変化を思い知る。  目線が変わる。思考が変わる。身体が変わる。指先が、力の加減が、髪の質が、爪の形が、変わっていく。  何一つ変わらぬあなたを、独り置いて。  9つであなたに抱きかかえられて村を逃げた小さな私は、12で差が縮まって、14であなたと背が並んで、15であなたを追い越した。  16で少し上から見下ろしたあなたは、どこか小さく儚げに見えた。  あなたは何一つ変わらずに、ただ私だけがあなたから遠ざかってしまう。  10年か、20年か経って、いつか老いが始まってしまう頃には、この差をもっと感じるのだろう。  だからきっと、その時までに。  私は見つけないといけないのだ。  あなたと添い遂げる術を、あなたと共に歩む道を。  あなたを独りにしないために。  ※  とある小さな国の、小さな町。  そろそろ昼食時で、あちこちの民家からそこはかとなくいい匂いがしだした、そんなころ。  「アリアー、この前……あのー……向こう家の奥さん、茶髪でちょっと太ってる人の注文て何だっけ?」  「魔女様、マナさんです、本人の前でそれ言わないでくださいね。というか、いい加減覚えてください。常連でしょう?」  私は工房から顔だけ出すと、帳簿に何やら書きこんでいるアリアに声をかけた。  「いや、人の顔を覚えるのは苦手でさ。ずっと住処を転々としてたからつい、ね」  「ここに来て、もう5年でしょ。そろそろ慣れてください。あと、注文は壁の伝票に貼ってあります。マナさんのもちゃんと書いてあります」  アリアは呆れたような顔でこっちを振りかえると、肩ほどの茶髪を弄りながら壁に貼ってある何枚ものメモ用紙を指さした。  メモ用紙には確かに『注文:腰痛の薬 1週間分 依頼者:マナ すぐに欲しい』と書かれている。  私はそのメモを見て、うんと頷き返す。  「ん、ありがと。アリアができる秘書に育ってくれて私は嬉しい」  「褒めても何もでませんよ」  はあ、とため息をつくアリアに、私はにやにやしながら声をかける。  「いやあ、器量よし、商才アリ、おまけに優しい。これは嫁の貰い手に困らないね」  そう言って、私はうんうんと独り言ちる。いやあ、改めて想うと感無量だ。9歳の頃に拾った弱弱しかった少女がこんなに立派になって。枯れ枝みたいに細かった手足はすらっと綺麗に伸びて、憎しみばかり抱えていた瞳は、痛みを知って人の傷を慈しめるそれになった。  もともとはかなげで綺麗だった顔立ちは、成長の末に芯の強さを秘めた他人を惹きつけるものになった。アリアに笑顔を向けられて、近所の青年たちが頬を赤らめる様は何故だか私が見ていてにやにやしてしまう。  胸と尻も派手さこそないが、確かに膨らみがあり、形が整っているという意味では文句なし満点だ。どこぞの王族が街に来て、この子を見初めやしないかと妙な妄想もはかどってしまう。  加えてうちの経営を一手に担い、注文数はアリアが仕切ってから三倍になった。私だけの時はよく薬の取り違えを起こしていたけど、アリアが目を光らせているからそれもない。薬の説明も丁寧になって、客の対応までしてくれるから、万々歳だ。いやあ、ほんと、この子を嫁に送る日が楽しみで楽しみで仕方な――――――――――。  ガタン、と音がした。  アリアが勢いよく立ち上がって、椅子が同じ勢いで後ろに下がった音だった。  「――――アリア?」  「………………」  思わず笑顔が引きつりかけるのを感じながら、声をかける。でもアリアは無言でうつむいたまま、机に両手をついてじっとしていた。ほんのりと、息が深く深く吐かれている音が聞こえる。……アリアがキレてるのどうにか抑えてる時の音だ。これは。  ……まだ嫁入りの話は早かった……かな? それか、……好きな男の子でもいて、デリケートな部分……だったかな?  ぽたり、と冷や汗が流れ落ちる。アリアは怒ると酷い時は三日くらい、口きいてくれない。そうなると私はいたたまれないし、とても寂しい。ついでに作ってくれるご飯もわびしくなる。  「……魔女様」  「……はい」  一時期、教会を阿鼻叫喚に陥れた焔の魔女は、今、人間である養女の機嫌に震えている。……知り合いの魔女に見られたら、沽券にかかわりそうな光景だった。  「出かけたいところがあるので、マナさんの仕事終わったら、ついてきてもらっていいですか?」  低く、どこか奥底で怒りを震わせるような声に、私はちょっと、いやかなりビビっていた。何をされるかわかんない。なので、すごく逃げ出したい。でも逃げたらもっと怒るので、引きつった頬も、そのまま無難な笑顔で固定される。  「……他に、注文3件くらい、なかったっけ?」  「後は全部、急ぎじゃありません。だから、大丈夫ですよね?」  大丈夫? と聞かれてはいるが、要するにもう言い訳ないよね? って問われているのと同じなのだ。  つまり断る権利は、ない。  「はい……行きます」  私はそっと目線を下げると、すごすごと工房に戻っていった。  「おっかしいなあ……私、魔女なのになあ……」  焔の魔女といえば、大昔には賞金首もかけられ教会の一軍を燃やし尽くした伝説的な魔女として伝わっている、はずなのだ。正体が知れて受けた命乞いも、怯えるような目線も数え切れないほど見てきたのに。  「すぐ終わらせてくださいね?」  「……ひゃい」  ほんのり不満を漏らしたら、ドアの向こうから刺すようなアリアの声が飛んできた。思わず、返す声も小さくなる。  はあ、今度の魔女集会でまた笑いのネタを提供してしまう気がする。  そこはかとない情けなさとほんのりとした笑顔共に、私は腰の痛み止めを作るのだった。  はあ、マナには悪いが今回はちょっと急ぎ仕事だ。ちょっと味が苦いのは勘弁してもらおうか。  ※
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