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駅のホームで、青年と
「おねえさん!」
夕方の帰宅ラッシュ。人の溢れる駅のホームに響き渡るその声に、一原志織は思わず振り返った。
周囲の人間と同様、彼女も自分が呼ばれていると思って振り返ったわけではない。純粋に声の大きさに驚いただけの反射行為。そして振り返った視線の先にいる人物を見て、これは間違いなく自分が呼ばれたわけではないと実感する。
遠目からでも美形と分かるスーツ姿の青年が大慌てで改札を抜けて駆けてくる。どんどんと近付くにつれ、彼の容姿の美しさも押し迫る。イケメンの圧がすごい。俳優やアイドルです、と言われても納得してしまう。もしかして自分が知らないだけで実際そうなのかもしれない。ちょうど帰宅時間だ、そういった場面を想定してのドラマの撮影でもしているのではなかろうかと、志織は周囲を見渡した。
が、特にカメラを持った人物や、それに見合う様な存在はいない。同じ事を考えていたのだろう、隣に立つサラリーマンと視線が合い、お互いなんでしょうねえと苦笑していると突如肩を掴まれた。
ひえ、と堪らず声が漏れる。途端に跳ね上がった心臓が地味に痛い。驚愕と共に振り返れば、これまた驚愕するしかない光景が目の前に広がっている。
件の青年が、何故か志織の前にいるではないか。
「あ、ごめんなさい」
肩を掴んだ事に驚いたと思ったのか、青年は慌てて肩から手を離した。もちろん肩を掴まれた事にも驚いていたが、それ以上にこの青年が呼んでいた相手が自分だという事のほうが驚きが大きい。
遠近感による錯覚などではなく、至近距離、どアップにすら耐えうる程の美形。そんな知り合いなど志織の人生において誰一人としておらず、従って彼とは初対面のはずだ。
「――あの、どなたかとお間違えではないですか?」
仕事関係の人間だったろうかと考えたが、そもそも事務職の志織にとって社外の人間と知り合う機会はそう多くはない。時折頼まれて来客用に茶を淹れて出す事もあるが、それにしたってこんな風に街中で声を掛けられる程の知り合いはいない。なので、せめて当たり障りのない口調でそう問いかければ、目の前の青年は一瞬だけ悲しそうな顔を見せた。
え、なんで? と寸前まで飛び出かけた言葉をなんとか飲み込む。きっと口にしてしまえばさらに青年を悲しませる事になるだろう。いやだからなんで悲しそうな顔を? とさらに疑問を浮かべると、青年は軽く苦笑した。
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