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「いや……うん、そうですよね……おねえさんとはあの時、ちょっとしか会ってないし。話だってロクにしてないから、おれのことを覚えてなくても当然だと思います」
と、いうことはつまりは確実にこの青年と過去に何らかの形で出会っているという事かと、志織は懸命に記憶を探る。
志織より遙かに高い身長、スラリとした体躯を覆うスーツはあまりブランド物に詳しくない志織から見ても高級品だと分かる。年は「おねえさん」と呼ぶからにして年下なのだろうが、柔和な顔立ちに少し茶色がかった、そして柔らかそうな髪質がより青年を若々しく見せている。
しばらく記憶を探ってみたが、どうしても志織には思い出せない。この青年が飛び抜けて美形だというのは、今も周囲の視線を集めているのだから志織一人の思い込みではない。これだけの美形であれば、過去に出会っていれば忘れるはずもないのだが。
青年に向けられる視線の内いくつかはそのまま志織に流れてくる。そのどれもが「どういった関係?」と不思議がっている。同感、と志織は頷いた。心の中で。
誰もが視線を奪われるイケメンに対し、志織はいたって普通である。黒い髪を後ろで一つに纏め、着ている服もごくありふれたジャケットにタイトスカート。顔付きも可もなく不可もなく、これといった特徴があるわけでもない。短大を卒業し、今の会社に入って給料を貰う様になって、眼鏡からコンタクトに変えたくらいで後は特筆する事はなにもない。
「二年前の冬、この駅の近くで夜遅くに声を掛けられたの覚えてませんか?」
「え?」
「あの時のおれ、今よりもっと茶髪、ってかほぼ金髪みたいな頭してたから……おねえさんはもう少し髪短かったよね」
「そう……かな?」
二年前ならたしかに今よりは短かっただろう。けれどもよくそれを覚えているものだと、感心すると共に少しばかりの薄ら寒さに志織は襲われた。そんな志織を前に、青年は特に気にするでもなく話を続ける。
「うん、それでね――『おねーさんおれ達を買わない? すげえ気持ちよくしてあげるよ?』って声掛けたんだけど」
「とんだ下衆の発言ね?」
「だね」
思わず素直に飛び出た暴言に、しかし青年は楽しそうにクスクスと笑う。その顔を見てもやはり「イケメンだなあ」としか思わないが、青年の言葉に少しだけ記憶が揺らいだ。
言われてみれば、確かにそんな風に声を掛けられた事があったような、気がする――
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