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知ってる、って一体どこまで――?
あの口ぶりからして今の志織を知っていたのは間違いないだろう。駅のホームで呼び止められたのも偶然ではなく故意なのかもしれない。
ゾワ、と志織の背中が一気に冷える。
職場からの最寄り駅を知られていたのならば、もしや職場自体も知られているのだろうか。それこそ最悪自宅も、と嫌な考えが次々に浮かぶ。
相手は自分の事を知っている。こちらは何も知らないのに。
「……名刺!」
志織は慌てて鞄の外側に付いている小さなポケットから名刺を取り出した。そうだ何も知らないわけではない、こっちだって彼の住所氏名電話番号、と個人情報を抑えているのだ。最悪これを警察に、と改めて彼の名前を確認し、そこでハタと思考が止まる。
【高座 悟】
読めないような、しかし読めてしまう程に彼の名字は有名だ。いやまさかそんなたまたまでしょ、と志織は逃避する様に窓の外へ視線を動かした。それを見計らっていたかの様に目の前に広がる巨大な看板。
――家庭の便利から世界の便利まで! あなたを支えるTAKAKURAグループ――
国内でも屈指の大企業、家電メーカーの創始者一族と同じ名字。
待って、と志織は誰にともなく呟いた。幸い電車の揺れと、志織の声が小さすぎて周囲に聞こえる事は無かったが、たとえ聞かれていたとしてももうそれどころではない。
アメリカの大学を飛び級で卒業やら、家のことで色々あって、でもその手伝いで報酬を得ていたやら、学生の頃に株や投資で稼いでいた等……思い返せばとんでもないパワーワードばかりではなかったか、あの青年の発言は。
そもそも着ていたスーツだって、遠目から見ても高級感溢れる仕立てだった。量販店のスーツとは一目で違うと分かる程の物。とてもじゃないが、社会人になったばかりだろう若者が気軽に着るなど無理だ。
これはまさか本当に、と志織の身体から血の気が引く。
グルグルと思考が空回り、それに合わせて目眩まで起きる。これはまずい、と努めて大きく呼吸を繰り返えしていると、やがて自分が降りる駅に電車が停まった。
フラフラとした足取りでどうにかホームへ降り立つ。背後で電車の扉が閉まるのに合わせ、志織は握ったままの名刺をもう一度鞄の小さなポケットへと突っ込んだ。
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