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「.....おはよう文貴」
「ん、お...ぁ''よぅ''」
「ふふふ、喉ガラッガラだね。.....私のせいだ。ごめんね、加減が出来なくて。まさか文貴が私と同じ気持ちだったなんて思ってもいなかったから。嬉しすぎて、ちょっとタガが外れちゃった」
うっとりと息を吐きながら孝仁は僕の首裏を指でなぞる。
「もう、首輪つけなくていいね」
「かぅさなくて、けほっ、いぃの?」
「なんで隠すの。他の人の目なんて気にする必要ないよ。はい、水」
「ん、ぷは。てっきり孝仁は世間体を気にすると思ってた」
「だったら弟の首に噛みつかないよ」
それもそうか。もっともな言葉に納得すると同時に少しこそばゆくなる。嬉しい。それは他者の目より自分を選んでくれたということだから。
でも孝仁の穏やかな顔は一転、眉を寄せ情けない顔を顕にした。
「......父さんの教育のせいか、正しい道から外れるのはとても悪いことだと思って中々踏み出せなかった。それに文貴に拒絶されたらどうしようという恐怖もあった」
「それは、」
「ありがとう、文貴。一歩踏み出してくれて。勇気を出してくれて。私は、本当に情けないαだ。独占欲は一丁前にあるくせに、勇気は無いなんて....」
「私も孝仁と同じだよ。神崎君に背中を押されなかったら、きっと今も自分を押し殺してウジウジしてたと思う」
「あっ、そう神崎!!相談してたってほんと?そんな匂いつくまで近づいてたの!?相談で!?しかもあの神崎に!?」
落ち込むような態度がすぐに問い詰めるように様変わり。あまりの変貌ぶりに呆気に取られたが、孝仁に気迫迫る表情で身体を揺さぶられ一瞬で正気に戻される。
そして正気に戻され疑問に思うのは孝仁の神崎君に対する言葉である。
『あの神崎』とはどういうことだろうか?なにか含みが込められている気がするのは気のせい?
「あの神崎って.....彼は五大家だけど緋賀のように恐れられていないし、星菜や美城のように敬遠されるような人でもない。人格者と名高くて、色んな人の相談にのってるんだよ。孝仁は耳にしたことないの?」
「それよりほんとに相談だけ?抱きしめられたり手を握られたりしてない!?」
「それよりって、もう.....誓って相談だけ。孝仁の想像するようなことは無いから。信じてくれないの?」
「しっ、信じるよ!!!でもあの神崎が文貴に匂いを纏わせるほど興奮してたって、なんか、勘ぐっちゃうというか、なんというか......」
「それだけ真摯に向き合ってくれたってこと。確かにあの時の彼は別人のようだったけど.....あっ、お礼言いに行かなくちゃ!!今日いるかな?」
「......私も一緒に行っていい?」
「え、なんで」
「神崎にあまりいい印象持ってないから。文貴が心配」
孝仁と神崎君って仲悪いのかな?....ううん、仲悪いならいい印象を持ってないって言わない。これは孝仁が一方的に嫌ってる?
.....もしかして匂いのことで悪いイメージついっちゃったのかな。それだったら神崎君に申し訳ない。あんなに親身になって話してくれたのに。
神崎君への悪いイメージを払拭するためにも、孝仁には彼に会って貰うのがいいだろう。
放課後。
本館の屋上へ。
「神崎と屋上で会っていたのか.....。ロープパーテションポールの恩恵を受けていたのが私達だけじゃないってことにショック.....!神崎ズルい!タダでその恩恵を受けるとは.....!」
「孝仁が勝手に置いたのに、なに難癖つけてるの。ダサい」
「ダサっっ!?!?酷い文貴!愛しの番になんてことを....」
「愛してるからこその鞭だよ」
「神崎を庇うように見える鞭は要らないよ??」
以前は見れなかった孝仁のこの言動。少しめんどくさいなと思わないでもないが、この面倒くささが神埼君への嫉妬からくると思えば愛しさに変わる。
嫉妬されるくらい孝仁に愛されている。
あぁ、幸せだな、僕。
─────ザザッ
僕は幸せになる資格がない
─────ザザッ
「やぁ神崎」
孝仁の声に砂嵐が、ノイズが遠のく。僕は、今、何を考えていたっけ?何をしていた?
でもその疑問は目の前の光景の美しさに塗りつぶされた。
視界に入るのはあの日、切羽詰まって相談を持ちかけた風景と同じ。背後に赤い空を従え、フェンスに寄りかかり本を読む神崎君の姿。
......とても絵になる。
そんな彼は本を閉じ、腰を上げた。顔はこちらを向き笑みを浮かべているが、眼鏡の奥の瞳は、やはり窺えない。
「おや、鳥羽先輩が僕になんのようですか?とても悩みがある様には見えませんが.....」
「用があるのはこっちさ」
肩を抱かれながら孝仁と一緒に数歩前へ。そこでやっと僕に気がついたのか、神崎君は笑みを消した。彼の表情から笑みが消えたことに背筋が凍り、同時に僕の肩を抱く孝仁の手に力が入ったような気がした。
僕は神崎君の機嫌を損ねることをしただろうかと焦ったが、次の瞬間には彼はいつもの微笑を浮かべていた。
なんだ気のせいか。
そう思い、僕は喜色を隠さず彼に報告した。
「私達、番になったんです」
「.....そう、そうか。それは、おめでとう」
神崎君はゆっくりと時間をかけて、僕達を祝ってくれた。
「貴方の後押しがなければ───」
『僕は今も孝仁を思ったままだったと思う』そう言葉を続けようとしたが、目の前の彼が左腰に帯棒する魂写棒に手を伸ばしながら歩を進めたことにより言葉がしりすぼみになっていく。
ぁ、なにかヤバい
漠然とした危機感を抱いた時、神崎君を遮るように孝仁が目の前に立ち、力の籠った手が僕の両肩に置かれる。
────シュッ!
風切り音が聞こえた。同時に孝仁の身体は揺れ、僕は押されるように一歩、二歩足が下がる。
「......神崎が真摯だなんて、やっぱりおかしいと思ったんだよ、私は」
「た、かひと?」
目の前。
孝仁の胸から赤色に濡れた切っ先が生えていた。状況を把握しようとして、のろのろと視線を下げれば....孝仁の左脇腹から胸にかけて斬りあげたように広がる濃いシミがあった。
「げふっ、ぁ''」
孝仁が咳き込み、鮮血が顔に降りかかる。どんどん血の気を失う表情を前に、口はただ戦慄くだけ。
なぜ、なぜこんなことに。
孝仁。孝仁孝仁孝仁孝仁――
どうして僕の愛しい人が死にそうになっているの?
「ふみたか、にげて」
口端から血を溢れさせながら彼は言った。左腕は力が入らないのか重力のまま垂れ下がり、最後の力と言わんばかりに孝仁の右手は僕の身体を押し出した。
────ゴォッ!!
僕が孝仁の手から離れた刹那、孝仁の胸に生える切っ先から青い何かがほとばしる。
ろくに力が入っていないはずの押し出しによろめく僕の頬を、熱波が撫でた。僕の視界を歪める青い揺らめき。孝仁を覆い隠す『青』が炎であると気がついたのは二拍ほど経ってからだった。
僕を逃がすために伸ばされた手は既に下ろされ、穏やかな目が僕を見つめる。それは凪いだ水面のように静かで、厳かで、だけど今にも漣立ちそうなほど不安定だった。
直ぐに孝仁が無理をしているのだと理解する。
彼は僕の未来を、命を守ろうとしている。自分の本音をまた隠して、押し込めて『文貴』の幸せを優先しようとしている。
あぁ、反吐がでる!
僕の幸せを一般的な枠組みにはめないでくれ!!
一般的な幸せはいらない、そう決めたから僕達は番になったんじゃないの!?
今更怖気付かないでよ。今更身を引かないでよ。
僕を愛してるって言うなら、
僕を――
「独りにしないで....!」
滲む視界のなか僕は精一杯叫ぶ。恐怖に震える足を叱咤し、青い炎目掛け手を伸ばす。
すると、下ろされていた孝仁の右手が僕に向かって伸ばされた。
だけど、
孝仁は
苦しそうに眉を寄せ
小さく口を開くと、
「─────」
そして最後に笑い
青に呑まれていった
まるで深海に沈むように
まるで幻のようにゆらゆら揺れて
塵一つ残さず空気に消えた
伸ばした手は繋がれることなく
孝仁は消えて
僕の血の気の失った指先に
孝仁はもう居なくて
ただ笑みを張りつけた化け物が佇んでいる
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
繋がりが、消えた。
胸を満たす幸福が音を立て瓦解した。
喪失感に発狂した。
なぜ、どうしてと湧き上がっていた疑問は、怒りと哀しみ、憎しみに呑まれ。
僕は無我夢中で駆け出す。
「添灯夢氏!!!!!」
肉体強化、強化、強化っ、強化!!!
限界を超えて、シナプスが音を立て潰れようと、血涙が垂れ流れようと、化け物に手を伸ばす。なおも微笑み続ける化け物の胸ぐらを掴み、右手に握る魂写棒を振りかぶった。
殺せる。そう確信した。
肉体強化した僕の動きにコイツは追いつけていない。じゃなきゃこんな馬鹿みたいに微笑んでいる暇なんて無いはずだ。
頭を叩き割ってやる。孝仁の仇。僕から孝仁を奪った報い。
脳漿をぶちまけ、知覚出来ぬまま死ね。
───ブツッ
「?」
腕が宙を舞っていた。見慣れた、細い腕。何かを掴むように指先を丸めた左手が弧を描いて宙を舞う。
音を立て転がったソレに目が釘付けになった。
「ぁ」
「確実に殺すために俺を掴んだんだろうが.....悪手だ」
まさかと思いながら自身を見やる。でもまさかだった。左肘下から、何もなかったのだ。
じゃあ、あの地面に落ちている左腕は僕の――
「っ''、ぁ''あ''あ''あ''あ''!!!」
認識した途端、壮絶な痛みが襲いかかる。
痛い、痛い痛いっ。
膝をつき、切り口を手で押さえる。当たり前だがそれしきの行動で血は止まってくれない。でもそれ以上の最善手が今の僕には何も思い浮かばなかった。
「.....死なれちゃ困るな」
冷ややかな声と共に、血に濡れた切っ先を向けられる。怯んでいると冷気が身体を包み、切り口が氷に覆われた。
血が止まる。
これで生きれる....そんな安堵はなかった。今の僕にあるのは目の前の男をどう殺すかという一点のみ。よって、繋がれた命を前に僕は心底安堵した。まだこの男を殺すチャンスがあるのだと。
だから僕は近づいた神崎をこれ幸いと警棒で薙ぐ。触れるだけで骨折するだろう威力と殺意を込めて。
「くどい」
「がふっ!?」
しかし難なく避けられ、顔を蹴られた。口の中に広がる苦味を吐き出しながら、憎い顔を睨み上げる。未だ痛みは引かず、いや引くどころか脳をズキズキと締め上げ、直ぐにでも意識を攫っていくほど勢いを増している。
でも命があるならまだ殺せる。
そう殺意を滾らしていると、自身の残った右手に刃が突き立てられた。地面と縫い付けるように押し込まれ、絶叫が空気を震わす。
痛みに頭が朦朧とした。
「あぁ、クソ!やっちまった。こんなつもりじゃなかったのに!お前がふざけたことを吐かすから....!〜〜おい!蒐集家!屋上にさっさと来い!」
霞む思考に悔いるような声が届いた。『こんなつもりじゃなかった』と。こんなつもりじゃなかった?なら、どうして……
「な...で....たか、ひとを....ころした、の」
「あ''?いや、許せるわけないだろ。俺達がそうなれなかったのに、お前らが結ばれるなんて.....認められるわけないだろ」
「は....?」
僕の怒りは間違いだと言わんばかりに彼はあっけらかんと言った。感情が理解を拒む。だけど理性は簡単に理解してしまった。
「じゃあ私の背中を押さなければよかったじゃないか!!」
痛みすら彼方へ飛んでいき、僕は叫けぶ。だって、彼の凶行は子供じみたただの嫉妬からくるものなんて、信じたくなかったから。そんな自分勝手な感情で孝仁が殺されたなんて、認めたくなかったから。
僕はもっともな理由を願いながら涙滲む視界で見上げる。すると彼は苦虫を噛み潰したように――
「鳥羽 孝仁は常識人だ。この学園で慕われるってことはマトモな感性を持っていることを示すからな。なら倫理観のもと、道徳観のもと、お前を拒絶すると思ってたんだ。.....アイツがそうやって俺を否定したように。だからお前を肯定した。どうせ結果は俺と同じだと、信じて疑わなかったから」
「でも、違った」と心在らずといった態度で彼は小さく付け足す。
その目はどこを見ているのか?彼のかけている眼鏡が心底恨めしい。意図も意思も全て覆い隠してしまうから。
「鳥羽 孝仁が肯定して、アイツが拒絶したということは....つまり、常識や倫理観、道徳観は関係なくて、理由にならなくて....ただ俺を愛していなかったからということになる。それは、それだけはダメだ。そんなこと認めてはいけないし、あってはならない」
「だから殺したの!?」
「俺がアイツに拒絶されたのは『常識からみて、倫理観からみて、道徳観からみてダメだから』という理由じゃなければならないんだ。互いに愛があったから結ばれたなんて到底認めれないんだよ」
微妙に会話が噛み合っていないが、概ね回答は得た。結局は、子供じみた嫉妬。現実を受け入れられない者の八つ当たり。
あぁ、なんだ。あそこまで熱く語っておきながら、どうしてその権力を使って常識を変えようとしないんだろうと思っていたけど....怖かったからか。もし、常識が変わったとして、それでも否定されたら辛いから。だから行動しないのだ。
目の前が真っ赤になる。
目の前の男のくだらない、独りよがりな癇癪のせいで孝仁は殺されたのか。
「っ、絶対に殺してやる。お前を――」
「あぁ来たかコレクター。おせぇぞ。さっさとコレの処理をしろ」
「あぁぁあああっ!!やめろっ!!私に触るな!!私は神崎を、神崎竜一を殺────」
そうして僕は殺された。
《side end》
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