俺は怒ってイナイ

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 俺は怒っていない。それを証明するのは非常に難しい。子どもの頃から目の悪かった俺には目を細める癖があった。その癖が出ているときは、周りから決まってこう聞かれる。 「ねえ、怒ってるの?」  もちろん、俺は怒ってなどいない。しかし、その旨を伝えてもやはりこう言われるのだ。 「うそ、絶対怒ってるよね?だって、そんな睨み付けて……」  目が見えにくいから、こんな顔になるだけだよ。そう説明してみても、あまり周りの俺に対する評価は変わらなかった。もともと口数も多いほうではないし、友達も少ないほうだった。だから余計に周りは誤解していった。俺は怒ってはイナイ。たったこれだけのことを説明するのが、こんなにも難しいものなのか。小学校以来もう10年以上も、俺はそれを痛感してきた。 「あたしにはわかるよ、あなたは怒っていないって」  彼女だけは、いつだって俺が怒っていないことをわかってくれた。誰かが俺に「怒ってるの?」と聞くと、必ず横から「怒ってないよ」と言ってくれる。怒っていることを否定することも面倒になっていた俺にとって、その存在はかなりありがたかった。俺は怒ってイナイ。そのことを彼女だけは知っている。彼女だけは、わかっている。  ふと、ラインの着信音が鳴った。彼女の電話だ。俺の部屋に遊びに来ていた彼女は今、トイレを使っている。もとより、俺は彼女の電話など見る気がない。しかし、そのときは少し気になる通知が目に付いた。男からと思われる、ハートマーク付きのメッセージ。俺が電話を凝視していると、彼女が戻ってきた。 「どーしたの?」  俺の視線の先に気づいた彼女は、自分の電話を手に取る。そして、恐る恐る俺を見た。 「通知、見えちゃったの?」  俺は頷く。もちろん、内容まではわからないが、ハートマーク付きだったことも言った。 彼女は観念したように、笑った。 「ごめんね。後輩なの。もう会うのやめるから、許してよ」  俺は、ヘラヘラ笑う彼女を睨み付けた。そのときまた、彼女の電話が鳴る。彼女は慌てて電話を後ろに隠した。 「ねえ、そんなコワイ顔したって、あなたは怒っていないんでしょ?あたし、わかってるんだから」  俺は、怒ってなどいない。これを証明するのは非常に難しい。しかしそれは、俺が怒っていることを証明することもまた非常に難しいことを意味している。  なあ、お前。何事もなかったかのようにやりすごそうとするなよ。俺は今、相当怒っている。
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