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瀬川が古見凜華に出逢ったのは、それから間もなくのことだった。
二人の出逢いは決してドラマティックなんかじゃなかった。瀬川の請けた数ある仕事の中のひとつに凜華が少し関係していた。ただそれだけ。
始まりはそんな、ありきたりでつまらないものだった。
美織とは対照的に、凜華は瀬川の気持ちなどを推し量ることもなければ、もちろんその感情の裏までを読み解くなんてこともなかった。彼女は自分が感じたことのそのまま全てを口に出してしまう様な、そんな女性だった。
「瀬川さん、大丈夫ですって。この作品って今が最高なんですよ。だから手が止まるんです。もういいですよ。これで完成にしましょ?」
「そうですよね、あと3日で納期だというのに……申し訳ない」
「だからぁ……確かに、うちの要望とは違った雰囲気ですけど、これはこれで ありですし。というか、むしろこの方が良いと思います!ってことですよ?」
「……いや、そう言われても。テーマだけを重視してしまった僕が悪いですし、そちらの要望に沿えていないのは明白なわけで……ああ、でも納期が……うーん、お待たせしてしまうかもしれませんが、やはりクライアントの意向を反映させないものを完成した作品とするわけには……」
「いや、待つのは構わないんですよ?スケジュールに関しては 最初にお伝えした通り、ちゃんと余裕を持たせてますから。でも……そうですね、うちとしても そうやってご対応頂ける事は本当に有難いんですけど……ぶっちゃけ、瀬川さん的にはどう思ってます?」
「えっ?……どう、とは?」
「センスですよ、センス。所属してる身としても恥ずかしいんですけど、ぶっちゃけ、センス悪くないですか?うちの会社」
「っは?」
「だから、なんかいつも偉そうに修正をお願いしてますけど、わたし的には逆に直さないで欲しかったりするんですよね……っあ、勿論、イマイチな作家さんにはきちんと要望に従っていただきますよ?でも、瀬川さんは違うんです」
「……?」
「ちょっといい機会なんで語らせてもらっても良いですか?」
「は、はい……どうぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく言わせてもらいますけど、瀬川さんって、画家っぽくないんですよ。クライアントの意向と作家さんの間を取り持つのがうちの会社の仕事なのにあれですけど、瀬川さんはうちの会社通す必要ないんじゃないかな?って思っちゃいます。だって叩き台の時点では瀬川さんらしい作品なのに、うちが入った途端に急になんか、こう……悪い方に変わっちゃうっていうか。こっちの要望をなんもかんも取り入れてくれちゃうからですかね?受け身になってしまわれるので、瀬川さんらしさが損なわれちゃうんですよ。それ、以前からもったいないと思ってたんです。もっと自分の作品に自信持ったら良いんじゃないんですか?」
「でも、特に大きな賞も何も、受賞すらした事も無い僕が……こんな風にご依頼頂けるだけで有難いんで」
「もうっ!そういうところですって。クライアントもうちも『gen.segawa』の作品だから依頼してるんです。だからむしろ、瀬川さんはおっきな顔して自分の要望を言ってくれないと困るんですよね。瀬川さんがそうやっていつもホイホイ言いなりになるから、センスの欠片も無いうちの会社の意見が反映されちゃうんじゃないですか。うちの上司なんて特にセンスも皆無のくせに、偉そうに毎回……っほんと、ムカつく。──あっ!」
「ふふふ……」
「ごめんなさい。最後はただの愚痴になっちゃいました」
「いえ、なんか ありがとうございます」
「そうですか?私の気持ちちゃんと伝わってます?」
「はい。ちょっと自信がつきました」
「あー、ダメだ。これ、きっと私の気持ちの1パーセントも伝わってないやつですね」
「くくっ……そうなんですか?」
「そうですよ。これは、もっともっと語らせて頂く必要がありそうです」
「これ以上ですか?」
「もちろん。覚悟しておいてください?」
凜華は悪戯を企む子供の様な笑みを浮かべ、それにつられるように瀬川の表情も緩む。
瀬川は、凜華のように自分の意見をはっきりと主張してくる人間が苦手なはずだった。それなのに凜華と話していると、不思議と心地よく 何かから解放されていくような気分になる。
でも彼女のことをそうやって好ましく思えるのはその主張が美織のそれとよく似ていたからで、彼女自身の明け透けな物言いに心が動いたわけではない。
何よりも、美織は自分のことを自分以上に理解してくれているし、そんな存在はきっと唯一無二で、貴重で、だから、互いに支え合っていないと、自分達は上手く生きていくことができないんだ。
誰に聞かれたわけでもないのに、瀬川は何故だか自分自身にそんなことを言い聞かせていた。
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