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艶めかしい裸体を晒している女の上に蚊が居る。
林檎飴を齧りながら、駆除対象を探し歩いていた私の目の前。狭い路地裏を塞ぐ様に、それらは居た。
美しい顔を恐怖に歪めながらも目に強い光を宿した女。その女の上に跨り、己が欲望を振りかざそうとする醜悪な蚊。
その蚊は駆除するリストに載っていた写真とそっくり同じ顔。念の為に何度か、目の前の蚊と脳内リストを比較して。間違いなく同じモノだと判断する。
見つけるのにもっと時間がかかるだろうと覚悟していたが、私はツイていた様だ。
がりっと林檎飴に歯を立てる。口角が自然と上を向いた。
……さて、どうしようか。
蚊はここで駆除するとして。この女は騒ぐようなら放置、もしくはスマホを貸して誰かに保護してもらうか。
二つの選択肢を手の中でこね回して、林檎飴を食べ進める。……うん。取り合えず仕事だけは終わらせてしまおう。
「こんばんは。下級の吸血鬼が一体誰の許可を得てこんな事をしているのかな」
「は……?」
邪魔された事に苛立ちを向けてきていた蚊は、そこで初めて。その瞳に混乱と警戒の色を混ぜた。
「……誰だお前」
じり、と。蚊が女の上から降りて、一歩距離を取る。
……なるほど。混血だからと舐めていたが、昨日駆除した奴よりも考える頭はあるらしい。
正直安心した。
彼の頼みだから引き受けた、少し面倒で。とんでもなくつまらない仕事。馬鹿みたいに突っ込んでくる能無しばかりでなくて、本当に良かった。これで少しは楽しめるかもしれない。
蚊の問いを無言の笑みで返す。
不自然なくらい静まり返った私達の間を冷たい風が、遠く離れた喧騒をわずかに運んできた。
二歩、三歩。更に距離を取った蚊が、自分の行動に目を見開いている。
蚊の本能が逃げろと警鐘を鳴らしているんだろう。その本能は正しい。生き延びたいのなら、それに従うべきだ。
私達の力の差は、絶望なんて言葉では生ぬるい程にある。手足が引きちぎれるくらい死に物狂いで挑んできても、私との差は埋まらない。
それなのに、蚊は足を止めるどころか前に踏み出してきた。逃げることを選ばなかった。本能を無視して、自分のプライドを選んだ。
殺気と怒りが、蚊の身体から膨れ上がるのを感じる。そよ風の様なそれを身に浴びながら、ゆったりと蚊との距離を詰めていく。
「……正義の味方気取りで声かけてきたこと、後悔させてやるよ、ロン毛野郎」
威勢はいいが、無理矢理吊った口角が僅かに痙攣していた。呼吸だって荒い。瞳孔なんて可哀そうなくらい開いている。
心が否定しても、身体が私と言う存在に怯えていた。逃げ出したくて悲鳴を上げている。
「……哀れだね」
「はぁ!? 俺を馬鹿にしてんのかっ!」
恥も外聞もなく喚く蚊を嗤う。
「意地を張りたい気持ちは分からなくもないけれど。それは時と場合と、相手を選ぶべきだよ。特に君みたいな混血はね」
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