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「宮村~、これ頼む」
デザイナールームに入ってくるなり、カウンター越しに声を掛けられる。
永年勤続の10年のところに、私と並んで名前があった和泉だ。
一応同期なので、彼とはお互いにいつも呼び捨てだ。
はいはい、とばかりに席を立っていき、カウンターで説明を受ける。
「これ最終校正な。できたらこのクライアントに送って最終確認してもらって。OKの返事が来たら入稿していい。あと請求書発行頼む」
「了解」
こちらも彼に合わせて、堅苦しい言葉抜きに対応する。
「よろしくな」
いつも通りそう言って、眼鏡越しに私の顔を見る。うん、と頷くと、身を翻して部屋を出ていった。
でも私は、彼がドアへと振り向く直前、部屋の奥をちらりと見たのに気づいていた。
…もう癖になっているんだな、ここへ来るたびに彼女の様子を伺うのが。
私は、壁に向かって並んだパソコンの列の中で仕事をしている、デザイナーの一人に近寄って行く。
「小町さん、校正が返ってきましたよ」
背中まである髪を束ねて、画面に向き合っていた女性に声を掛けた。
集中するため、デザイナーの人たちはイヤフォンをして音楽を聴いていることが多い。
それに、一人ひとりの間に壁からパーティーションが伸びていて、周りの様子を気にせず仕事ができるようになっている。
なので、人が入ってきても気づかないことが多い。
「わ、良かった。早く終わらせて次の仕事に行きたかったの。和泉くん頑張ってくれたんだね」
「そうみたいですね。あとはこっちで確認すれば入稿です。印刷予定は少し先ですけど」
「分かったわ。すぐに仕上げるから」
そういう彼女に原稿を渡して、席を離れた。
小町さんは6人いるデザイナーの中で、主にパンフレットやチラシなどの紙物を担当している女性だ。
黒髪に色白の線の細い体形に、はっきりした目が印象的な清楚な女性で、和風美人、といったところだろうか。
和泉が小町さんのことを、いつも目で追っているのに気づいたのは、半年くらい前だった。
営業が仕事を取ってくると、その分野が得意なデザイナーの中から、スケジュールが合いそうな人に打診し、OKが取れると、営業に担当デザイナーは誰、と私から伝えることになっている。
その時彼は、小町さんが担当だと知るとパッと明るい顔になった。まるで、そうなると良いな、と思っていたことが叶ったかのように。
…あ、和泉は小町さんだと嬉しいんだ。
一瞬の表情で、そう気づいた。
ひとつの仕事の間に、営業とデザイナーは何度か打ち合わせなどのやりとりがある。
そういう機会がないと、いつもデザイナールームに籠もっている小町さんと、和泉が直接話せる機会は少ない。
打ち合わせの度、彼は頑張って、仕事ができる風を漂わせていた。
その後も彼の様子を見ていると、いつも小町さんのことを見ている。社員食堂やブレイクルームで会った時も、彼女の存在を気にしている。
小町さんは他社から中途採用で来た人で、まだ入社3年目だけど、彼よりひとつ上だった。
入社当時から、彼女に付き合っている人がいるらしいことは、会話の中で何となく知られていて、デザイナールームでは共通認識だった。
そういう話は何となく知れ渡る。特におしとやかな美人さんだから、男ばかりの営業部や印刷部門にも何となく流れているはずだ。
…彼だってきっと、知っているんだろうけど。
そして、彼がそうしているのに気づいた理由は、私が彼を意識していたからだった。
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