シンプルな事だが一番難しい事

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シンプルな事だが一番難しい事

たしか15の頃の記憶… 最初は、軽い気持ちで始めたダイエット。 食べなきゃ当然やせる。 どうせ、実家は腹一杯食べる事が許される環境でもない。 その環境は渡りに船。 今思い起こせば、暗示をかける様に無理矢理そう思った節もある。 …ただ、シンプルに努力に対し、結果が伴うのはうれしかった。 そこには、複雑な結果も副産物のとして伴う。 シンプルに食べれない。 食べ物は、美味いから食べる。 食べ物は、栄養を摂るために食べる。 前者は、少しばかり諦めている。 そんな風に育ってないから。 そういった感覚は骨の髄に染みついてないのだ。 生理的に受け付けないレベルの食べ物で無い限り、食べられる。 だから、多少それは満たされ無くても平気。 後者は、地味に厄介さを、感じている。 頭では、必要だと理解しても、感覚がそこについていかない。 自分が食べなければ、食費が浮く。 自分の為に食事の準備や片づけをするのが面倒くさい。 私は現実主義な人間だ。 この現実主義がへそ曲がりな形で顔をだす。 そしてこの骨の髄まで染み付いた感覚は簡単に上書きされない。 体調に異変を来たし、食材を腐らせても…だ。 一体何をしているんだ。 結果、無駄で不毛な事ばかり。 ほらほら、私より、お金を稼いでいなさそうな、名も知らぬ、彼、彼女ですら、飯屋では普通に食べているよ。 オーダーする声に耳を傾ける。 プラスアルファでトッピングを追加している。 プラスアルファで、セットメニューをオーダーしている。 …ここで、そんなプラスアルファしなくても、スーパーで安く買って、食べればいいのに。 …なんて余計な事を思う。 いやいや、羨ましいのだ。 シンプルに、食べたい物を食べ、ためらい無く食べ物を口にする彼等が。 ダイエットのシンプルな結果に喜びを噛みしめていた思い出さえも、今では石の様に無機質に感じる。 ダイエットの成功の結果、そこから私を待っていた物は何か。 答えに窮する。 現状の副産物を最終結果にしたくはない。 だから、今は思考停止させ、決めた食事を口に運んでみる。 強引に上書きを試みているのだ。 その結果、私を待ちうけるの何なのだろう。 恐ろしくもある反面、こんなものかと普通に食べる行為を受容する自分を期待している。
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