怒りを盗む男

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「あれ? 今、何で怒ってたんだっけ」  とあるファミレスで、座席に座っていた若い男がそう呟くのを聞いた。 「そういえば……何だっけ」  彼の正面に座っていた女もそう呟いた。  二人はカップルだ。男の浮気が発覚し、たった今まで周囲の目も気にせず罵倒し合っていた最中だった。  突然収まった喧嘩に、彼らの近くの席で使用済みの皿を片付けていたウェイトレスも不思議そうに手を止め、一瞬だけカップルを見た。変な客だと思ったのだろう。  だが私は知っている。彼らがおかしいわけではない。  彼らはあいつに「あれ」を盗まれたのだ。  カップルが喧嘩中だった時に彼らの横を通り過ぎたあいつは、何食わぬ顔で会計を済ませ、店を出ていこうとしている。  今度こそ見逃す訳にはいかない。  私はすぐにあいつの後を追いかけた。 「ちょっとすみません」  店から出た直後のあいつに私は声をかけた。  あいつは不思議そうに私を振り向いて「何でしょうか」と尋ねた。    一見、何の変哲もない大学生風の男だ。茫洋としている。特別不細工でもない代わりに特別整っているわけでもなく、味のぼんやりしたスープのように印象が薄い。もしも雑踏に紛れてしまったら探し出すのに苦労しそうだ。  私以外の人間ならきっと、そうだ。   「今、店にいたカップルから盗みましたよね」  単刀直入に尋ねても、男は動揺しなかった。 「……何のことですか?」 「とぼけても無駄です。この目で見たんですから」  私は男を睨みつけた。 「盗んだでしょう。彼らの『怒り』を」      
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