怒りを盗む男

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 *  この世には人間の皮を被った悪魔のようなものが存在する。  正体が分からないからだ。    私がこの悪魔と初めて出会ったのは、今から二年前のことだった。  当時の私はまだ女子校に通っていて、父と母と大学二年になる兄との四人暮らしをしていた。  ある日学校から帰ってくると、私の家の玄関から知らない男が突然飛び出してきた。  年は三十代くらいだろうか。ボサボサの頭で小太りの体型で汚らしい身なりをした男だ。それだけでも驚くべきことだったが、私の目はさらに驚くべきものを捉え、その一点に釘付けとなってしまった。  それは男が握っていた包丁だった。返り血を浴びたのだろう、男が着ていたグレーのスウェットは血まみれで、包丁自体にも先端から血が滴り落ちていた。 「どけっ」  血走った目で男に包丁を振り上げられ、私は咄嗟に後ろに下がった。そこが突破口となり、男は簡単に逃げ出した。  冷静に考えれば、男は家人の誰かに危害を与えた、決して逃してはいけない極悪な人間のはずだった。けれども当時の私は、一瞬でその判断できずに脳みそが石膏のように固まってしまったのだった。  せめてあの時、体まで固まっていたなら。私をどかすために男がまごついてくれていたなら。その間に近所の誰かが異常に気づき、男を捕まえることができていたかもしれない。私自身が傷ついていても、立ちはだかるべきだった──。血の痕をたどり、居間で倒れている兄を見つけた時、私は後悔の谷に突き落とされ、一瞬にして目の前が暗く反転したのを覚えている。  警察が来て、事情聴取を受ける段になり、私はようやく事態を把握した。  さっきの包丁を持った男は空き巣だったらしい。  兄がいると知らずに家に侵入した空き巣は、兄に見つかって動揺したのだろう。金品は取らずに、兄の命だけを狙った。  幸い、発見が早かったので兄は一命を取り留めた。  しかし私の心に刻まれた後悔の念と犯人への怒りは到底拭い去れるべきものではない。  逃走した犯人の行方は杳として知れず、事件は未解決のまま月日だけが過ぎていったが、私は個人的に犯人を追い続けた。とはいえ、素人なので本格的な捜査などはできない。せいぜい、雑踏に何時間も立ち、犯人らしい人間の顔が通りかかるのを待つだけだった。奇跡に近い確率でも、ゼロではない限り可能性を捨てたくなかったのだ。  そんなことが六週間ほど続いた頃だろうか。  私はついに空き巣の男を発見した。  こんなに早く見つかるなんて、運がいいとしか思えなかった。神の采配だ。兄を傷つけた犯人に報復することを神が許してくれたのだと思った。  しかし、そんな私の前にあの悪魔が現れたのだ。  
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