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カラン、と金属が足元に落ちる音がした。
驚いてやっと足が動いた。私は汚い高架下の壁に貼りつき、暴れる空き巣男を背後から取り押さえているもう一人の人物を見つめた。
「どうも」
彼は照れくさそうに笑った。それは、私から怒りを奪った、凡庸な顔をした男だった。
「二度と現れないでと言われたのにまた現れてしまってすみません。あなたと別れた後、あなたを尾けていくこの男を見かけて不審に思ったものですから」
私はなんていう間抜けだったのだろう。二人の男に尾けられていたのにまったく気が付かなかったとは。
「ちくしょう! 放せ、この野郎!」
空き巣男は背後に向かって吠えた。
凡庸な顔をした男は、一瞬だけ冷たい眼で空き巣男を睨んだ。
「黙ってください。あなたの声は耳障りだ」
「何……!」
空き巣男は怒ろうとしたに違いない。だが、おそらくそれを彼が悪魔の能力で吸い取った。
見た目なら彼の二倍も力がありそうな空き巣男が、みるみるその目に無気力を浮かべて項垂れていく。最後には縛り上げずともぐったりとしてしまい、壁にもたれて座り込んでしまった。
「僕はどうも怒りっぽくていけない」
警察を呼ぶためか、スマホを操作しながら彼は言った。
「友人にはお前って全然怒らないよなって言われがちなんですが、本当はしょっちゅう怒っているんですよ。そう見せないように努力しているだけで。この敬語もその努力の一つです。敬語を使っていればとりあえず怒っているようには見えないでしょう? 他人の怒りは吸い取れても、自分の怒りをコントロールするのは思いのほか難しい。たまにこうしてムカつく人間に出会うと、ストレス発散に気力の全てを奪ったりしてしまいますよ」
私も気力を奪われたのだろうか、彼を見つめたまま何も言えなくなっていた。そんな私に気づいた彼が、心配そうに私を見つめ返す。
「大丈夫ですか?」
その時の複雑な感情を言い表す言葉を、私は持ち合わせていなかった。
安堵と、重い枷から解き放たれた気持ちにただ涙が溢れた。
犯人を捕まえようとたった一人で奮闘してきた。それが今終わったのだ。
もう戦わなくていい。
これで怒りを手放せる──。
緊張の糸が切れて、私は意識を失った。
私の体を誰かが抱きとめたような感覚を最後に味わいながら。
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