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高林は慎重に後ずさりし、入り口の扉に向かう。けれど手は高林の動きを予測したようで、突然走り出し扉の前に回り込んだ。
手は高林を逃がすつもりはないようだった。高林は恐怖に凍りつく。手は中三本の指でメスを握ったまま、親指と小指を交互に動かしてじりじりと距離を詰めてくる。
そして、手はなんの躊躇もなく、メスを握ったまま高林に飛びついた。払いのけると手応えがあり、床に転がり落ちる音がした。同時に高林の手のひらに鋭い痛みが走る。見ると深い切り傷を負っていて、そこからだらりと血が滴っていた。
高林は自分の手に目を向け傷口を押さえる。けれど、それは大きな失敗だったことに気づく。視線を切らせた隙を狙って、手は姿を隠してしまったのだ。
――どこだ、いったいどこに行ったんだ。
部屋の中を見渡すが手の姿はどこにもなく、物音ひとつしなかった。
内村の手がひとりでに動いていたのは自分の幻覚だったと、高林は心底信じたかった。けれどじんじんと痛む手と滴る血液がそれを否定している。
まるで息を潜めて自分を狙っているように思えた。
かたん……。
棚の上からかすかに音が聞こえた。驚いて目を向けると、棚の上から手が降ってきて高林の顔に覆い被さった。視界が塞がれ生臭い匂いが鼻につく。
「内村、やめろ! やめろォー!」
引きはがそうとしたが、手はがっしりと高林の顔を掴んで離さない。
もう、高林が抵抗する手段は失われていた。
「ギャッ!」
首筋に鋭い痛みが走る。早まる心臓の拍動に合わせて首から鮮血が飛散する。
ザクッ、ザクッ……。
右の首筋、左の首筋と交互に激痛が走る。助けを求めようと扉に向かうが、床に広がった自分の血液に足を滑らせて転倒した。
「ひいい、俺が悪かった、やめてくれェー!」
けれど、その哀願を手が聞き入れることはなかった。
高林は全身の力を失い、立ち上がることすらできなくなっていた。
薄れていく意識の中で、ただただ、手の逆鱗に触れたことを後悔するだけだった……。
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