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「だって、君は――――まだ生きることを諦めてないでしょ?」
彼の瞳の向こうで、ネオンライトの夜景が輝く。
「当たり前だ」
俺は不敵に笑った。
「せっかく社長を譲るんだし、しばらく面倒事は弟子に押しつけておくぜ。ガンが治ったら再び現場に戻るよ。まだ33だ。やりたいことは死ぬほどある」
「へぇ。それは嬉しいね。また昔みたいにメガホンを取ってくれるの。君が現場なんて会社の黎明期以来じゃない。楽しみが増えちゃったなぁ」
……こんなとこで死ぬ訳にはいかない。仲間がいる。待っている人がいる。輝ける場所がまだある。まだまだ俺たちは道半ばだ。
「会社も俺も、死んでたまるか。まだ終わらせないぞ」
俺の隣で、ヒマワリが頷くように大きく揺れた。サイドテーブルの上のマックブックを見る。そこには今まで集めた、この難病とされる胆管ガンの治療に関する情報が入っている。まだ治験段階のものも多いけれど……きっと試す価値はある。
唐突に輝いていたネオンライトが遠く途絶える。病室の蛍光灯が力を失くし、薄暗い闇が俺を包んだ。
ステージ3、生存率約30%。エコー画像に映る陰影をバックに言われた言葉を思い出す。
……上等だ。分の悪い賭けには慣れている。起業してからずっと、勝ち目のない賭けに勝ってきた。今までとの違いなんて、賭けの対象が自分ってことだけだ。
映写機は回り続け、物語は流れ続ける。始まったそれを巻き戻すことは出来ない。フィルムは止まれない。ネガに焼き付いたものは誤魔化せない。スタジオでは今日も、会社の仲間たちが汗を流しながら、フィルムに魂を焼きつけている。
その光景を思い浮かべていると、映画を作る時1番最初に買った8ミリカメラと、高校時代の部室の光景が脳裏に過った。カメラを抱えて俺の絵を覗き込むたけぽん。その様子を本を片手に微笑ましく見守るぬーさん。
「この映画の最後はハッピーエンドがふさわしい。ストーリーの中の大きな問題は、解決されるためにあるんだ」
「その言葉、明日来る誰かさんにそっくりだね」
アキの言葉と共に、パチパチと病室の電気が元に戻った。夜景の光が帰ってくる。
「そうだな。今日も1人缶詰で、新作の脚本を書いている誰かさんに。……ぬーさん、絶対今頃くしゃみしてるぞ」
「明日も残念ながら仕事だろうね。君との面会時間以外はいつもの缶詰部屋に籠っていると思うよ。ぶっちゃけ、明日が自分の誕生日ってことも忘れてると思う」
「そうか。ならサプライズだな! 驚かせてやろう。その代わり、2ヶ月後の俺の誕生日の時はここにきて祝ってもらう」
「ふふふ、そうだね。その時は僕もこれたら来るよ。たけぽんも、サクも、しげちーも、皆を呼んで」
やった、と拳を握る。けれど振り上げた腕の角度が悪かったのか、点滴の針がより深くに刺さってチクリと痛みを覚えた。
「同い年なのにあいつらだけ歳を取っていくのは嫌だ。ぬーさんはまだしも、いつまでたっても子どもっぽいたけぽんに先輩面されるなんて、たまったもんじゃない。
――――俺だって一緒に歳をとる。今までも、これからもだ」
俺だけいなくなるもんか。
「君たちは幼馴染だもんね、いいねぇ。青春だね。……はぁ、1人年上だとこういう時寂しいね」
「何言ってるんだよ。年が違うくらいで仲間外れになんかしないよ。アキだって、サクだって、しげちーだって、皆で過ごした時間が青春なんだ。だいたい俺たちの中で1番年上なのはしげちーだろ」
「でもしげちーは厳密には違う会社の人じゃん? ここにいる人の中では僕が1番だもの。アラフォー1歩手前だから僕」
「そうか、俺も6年経てば40歳なのか。その時はどうなってるかな」
胆管ガンの5年後生存率、24.2%。ガンの再発率、約80%。手術が唯一の有効な治療方法。抗がん剤も放射線治療も、あの写真に映った影を消し去ってはくれない。
「多分僕みたいになってるよ。白髪が増えていくんだ」
「白髪かぁ。でも白髪って結構かっこいいと思う。だから俺は白髪が似合うおじさんになるぜ。実際アキだって結構似合ってると思う」
4か月後の再手術でも再発したら、40歳まで生きることはきっとできないだろう。白髪が生える前に、俺は死ぬ。
「そう? ありがとう。ならロマンスグレーのおじ様を目指そうかな?」
「いいじゃんいいじゃん! 40歳にしてモテ期到来するかもしれないぞ。結婚式開くんだったら呼んでくれよな」
「気が早いよ! まだ彼女もいなければ、思い当たる人もいないっていうのに」
全てが白に塗られた部屋の中で、俺だけ時間が止まっていく。アキはこの前39歳になった。たけぽんもおそらくなんの問題もなく、34になるだろう。そしてぬーさんも明日、1歳年をとる。幸せそうな笑みで、俺が頼んだケーキの蝋燭を吹き消してくれるはずだ。
その炎のように俺の命が消えていく中で、皆は何も変わったこともなく、生きていける。年を、とれる。この先ずっと、その数を1つ1つ増やしていける。
「いいじゃないか。……生きていれば、何だってできる。なんだって、起こりうるんだ」
俺はチョコレートケーキの箱を見下ろした。
「……生きているってことはな、凄いことなんだよ。年を取れるってことは本当に有難いことなんだ。こうなるとさ……そういうのがよく分かる」
子どもの頃は蝋燭が増えるのに心躍らせ、大人になれば誕生日という加齢イベントにウンザリし、やがて老人になると年を重ねること自体が一種の奇跡のようになっていく。そうやって増えていった蝋燭の数が、自分の歴史になって、思い出になって、自分の人生になる。俺の鼻をチョコレートケーキの甘い匂いが擽った。
明日と未来が折り重なって、自分の体と心の中に織り込まれていく。幾重にも織られたそれが、今と未来の自分になっていく。そうやって積み重なった甘くて切ない思い出たちが、最後死というほろ苦さでコーティングされて、俺の人生になる。
甘くて、苦くて、切ない。生きることってそういうことなんだ。
俺は目を閉じて、小さく笑った。……どうして大切なことが分かる時っていつも、それが零れ落ちそうな時なんだろうな。
「だから、いつになっても可能性を信じていいじゃないか。夢を見たっていいじゃないか。俺たちの仕事は皆に夢を見せることなんだから」
――例え、生き残れる見込みが殆どないとしても。窓の外から微かに雨の音が聞こえ始めた。夜の街を、降り注ぐ雨が濡らしていく。
「――――生きたい。生きていきたい。見たいものは沢山ある。作りたいものは山ほどある。人生いくらあっても足りないくらいに、世界は面白いもので満ちているんだ。俺はそれを見に行きたい。
知らない何かをこの世界に生み出していきたい。まだまだ新しいものを作り続けたいんだ。俺たちの作品を楽しみにしてくれる人が、沢山いる。俺たちの作品が、誰かの夢になる。……命の糧に、なるんだ」
作品の中に削り出した俺の命の結晶が、誰かの命になっていく。それは心の奥底に染み込んで、その人に力を与え続ける。その人たちの笑顔が、仲間たちの喜びが嬉しくて、俺は今も物を作り続けているんだ。時間が長ければ長いほど、そういう人がもっと増えていく。……だから、こんな所で終わりたくない。
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