イカリを沈める

3/4
前へ
/4ページ
次へ
 友人の店で飲んでから数日がたった。朝食を食べながら、テレビのニュースを眺めている。鮭の遡上(そじょう)についての話題のようだ。映像資料だろうか、遡上してきた鮭を熊が食べようとしている画像が、テレビの画面上で流れている。  もうそんな時期か、と思いながらご飯をもそもそと咀嚼する。続けて湯気の立ち昇る味噌汁。ずず、と啜る。  そういえばいつの間にか朝も肌寒くなってきたな、と思う。一日中半袖でいるのは難しい。例えインスタントの味噌汁だったとしても、朝食にあたたかい汁物があるだけで一日頑張れそうな気がする。  出社すると、同僚の一人が話しかけてきた。彼は世間の流行に敏感で、どこかで新しいものが生まれるたびに、それを僕に報告してくる。 「あれ知ってるか? あれ!」  新しい情報を持ってくるときは、いつもこんな風に話しかけられる。 「あれってなに?」いつも通りの返事。 「イカリを海に沈めることができるっていうサービス!」  イカリを海に沈める? 頭に思い浮かんだのは、船を水上の同じ場所に止めておくときに使うアレ。  (いかり)を海に沈めるって、それはまあ、そういうものだろう。錨というものはそもそもそのために存在しているのだから。  彼は僕の表情を見てははあ、と言った。 「さてはお前! 今、船に使う錨のことを思い浮かべてただろ?」  それはそうだ。それ以外に海に沈めるイカリが思い浮かばない。声に出さずとも僕の言いたいことが分かったのか、彼は僕を諭すように話し始めた。 「俺の言ってるイカリっていうのは、そっちの錨じゃないんだよ。怒る方の”怒り”」 「怒る方の怒り?」話している意味がよく分からなくて聞き返す。 「そう。怒りを鎮めるって言葉があるじゃん。それに倣って、”怒りを沈める”ことができるサービスっていうのが流行ってるんだよ」 「へえ……」  なかなかに熱のこもった説明だけれど、未だによく分かっていない僕は、薄い反応しか返すことができない。  そんな僕に、それでも何とか驚いてもらおうと、彼は話を続ける。 「まあ、お前が想像したのもあながち間違いじゃないんだけどな」  そのサービス、怒りを沈めるやつ、ね。正式名称はSHIZUMERU(シズメル)っていうんだけど。  実際に錨を使うんだよ。”錨を使って怒りを沈める”の。……大丈夫か? 混乱してない? すごく首を傾げてるな。けど、とりあえずこのまま最後まで説明するぞ。  SHIZUMERUで使う錨は、本物とは少し違う。木で出来ていて、しばらく時間が経つと自然に帰るんだ。環境に優しいんだな。  で、その錨に、怒りの感情を背負わせる方法なんだけど。  色を塗るんだよ。その錨に。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加