イカリを沈める

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「ここ最近、店に来るお客さんの様子がおかしいんだよな」  そんな風にぼやいたのは、ジビエ料理の店を経営している僕の友人だった。 「様子がおかしい?」人の居なくなった店内で、彼が作ったまかないをつつきながら訊く。 「うん……」  俯いたまま、曖昧な声を漏らす。腰に手を当て、眉を掻いたり口をもごもごしたり。何か考え事をしている時は大抵、そんな仕草をする。 「様子がおかしいっていうのは、どんな感じで?」  光沢のあるオレンジ色の木材を使ったカウンターテーブル。その上にあるジョッキを持ち上げて、あと半分ほど残っているアルコールを2口ぶん飲む。  鼻に抜けるホップの香りを感じながら、ジョッキをテーブルの上に戻す。その時の、コツ、という鈍く硬い音を合図にしたかのように、彼はゆっくり話し始めた。 「何というか、みんなすごく怒りっぽいんだよ」 「怒りっぽい……?」  僕が聞き返すと、彼はうん、と小さく答えた。それ以上話さなくても、口のかたちが、困っていますと言っているような気さえする。 「まあ、飲み屋だったらどこでもだいたいそんなもんじゃないか? 会社の愚痴とかを言って発散したい人もいるだろうし」 「……うぅん。まあ、確かにそう言われるとそうかもしれないけれど」 「何か気になることがあるのか?」まかないに箸を伸ばす。  友人は声を発さずに、首を縦に何度か振る。その動きが落ち着いたくらいのタイミングで、話を続けた。 「毎回、つかみ合いの喧嘩になるんだよ」それは穏やかじゃない。 「毎回?」 「そう、毎回。そうなるたびに仲裁に入るけれど、なかなか怒りが収まらないみたいで」 「……へえ」  腕を組み、難しそうな顔をしている彼を見ながら、頬をさする。力になれることがあればいいのだけれど……。 「うちの店の何かが悪いのであれば、そこを改善すればいいんだろうけれど、未だに何が原因なのか分からない」  そうだ。何が原因か分からない限り、僕としても動きようがない。たいした戦力になれる気もしないが。 「喧嘩になったお客さんたちの共通点とか、無かったのか?」  こちらから訊けることがあるとすれば、これぐらいだろうか。すると、しばらく間を開けた彼の口から、こんな言葉が零れてきた。 「……くま」
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