客席6番 〜マダム 愛生(あい) ③〜

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客席6番 〜マダム 愛生(あい) ③〜

「まだまだ話は続くのだけど、大丈夫かしら?明日にしましょうか。」 マダムは、昨夜、そう言って笑った。若かりし頃のマダムの話はとても切なくて、でも、とても素敵で、物語の読み聞かせをして貰っているかのように、マダムの話に吸い込まれていた。 早く続きを聞きたかったけど、そろそろ皆さんがいらっしゃる時間だったので、続きは、今日、聞かせて貰うことにした。 私は、ワクワクしてマダムの来店を待った。 「愛美夜(あみや)ちゃーん。開けてー!!」 マダムの声だ。今日は、本を持って来てくださる日ではないのに、昨日同様に、マダムはまたドアを開けられないらしい。 慌ててドアに向かい、ドアを開ける。 「あぁ、愛美夜ちゃん。有難う。」 そう言って、何かをたくさん抱えて入って来た。 私が目をキョロキョロさせていると、マダムはニコリと笑って、 「今日は、愛美夜ちゃんに私の宝物を見て貰おうと思って持って来たの。」 そう言って、カウンターの上に大切そうにそっと置いた。 それは、沢山のスケッチブックや画用紙に書かれた絵だった。その中からマダムが1枚の絵を取り出した。 「これが1番の宝物よ。」 そう言って、マダムは嬉しそうに私にそれを見せた。 それは、端が少し黄ばんだノートをちぎったような紙に描かれた絵だった。 「あっ!」 私は思わず声を上げた。マダムが何も言わなくてもわかる。窓際に佇む少女の絵。優しくて温かい絵。そう、昨日のマダムの話の中で、先生から貰った絵だ。 そうか。こんな絵だったんだ。私の想像を遥かに超えた素敵な絵だった。絵を描いた人の少女への気持ちが溢れていた。 「素敵な絵…。」 ため息と共に自然に言葉が出た。そう。その絵はため息が出るほど素敵だった。 マダムは少し照れながらも嬉しそうに笑った。 「もしかして、これ、全部マダムの絵?」 ふふふと笑い、 「先生が逝ってしまってから出て来たものも沢山あるのよ。先生が、なぜ隠していたかは、愛美夜ちゃんも絵を見たらわかるわ。」 キラキラとした瞳で意味深に笑った。 「絵は、また後からゆっくり見て貰うとして、今日も話を聞いてくれる?」 マダムが私の顔を覗き込んで聞いた。 「もちろん。」 私は精一杯の笑顔で答えた。 今日もまたミルクティーと自分の椅子を持って、客席6番に向かう。 「昨日は、高校の卒業式まで聞いて貰ったのよね。今日は、その後のお話ね。」 マダムは、一口ミルクティーを飲んで、続きを話し始めた。 「高校を卒業した後、私は大学に進学して、ごくごく普通に女子大生をしたわ。先生の事を忘れた訳じゃなかったけれど、その恋がどうしようもない事も理解していたから、サークルに入り、コンパにも行き、普通に彼氏も作ったわ。でもね、彼氏とはどうしても長続きしなかった。私から付き合いたいと言った事は1度もなかったけれど、いつも彼氏の方から別れようと言われたの。言われる事もいつも同じ。"愛生、俺といて楽しい?"って。もちろん、楽しいって答えるんだけど、"愛生といてもいつも1人でいるみたいな感覚で虚しい"って言われたわ。 私、きっとどこかで、"先生以外なら誰だって同じ、誰だっていい、どうでもいい"と思っていたんでしょうね。何人かの男の子と付き合って、全員に振られたけど、彼らには申し訳ないのだけど、私は1ミリも傷ついていなかったの。困ったものよね。自分でも自分の心が壊れてるんじゃないかと思ったくらいよ。大学を卒業する頃には、もう諦めて、誰とも付き合わなくなったわ。そうね、先生を超える人が現れていたら恋していたかも。でも、そんな人はいなかったし、これから先も出会える気もしなかったけど、いつか先生以上に好きになれる人が現れるかもしれないと淡い期待を持って、それまでは誰とも付き合わないと決めたの。ここまでが大学生の頃のお話。今、思い返しても、つまらない日々だったわ。高校時代の思い出はカラフルに色づいているのに、大学時代はモロクロで寒々しいわ。そもそも、記憶すらあまりないけど。」 マダムは、そう言って、苦笑いしながらミルクティーを飲んだ。 ふうっと大きく息を吐いて続けた。 「さぁ、次は大学を卒業してからね。就職先は、そこそこ名の知れた企業で、そこで秘書として働く事になったの。役員はおじさんばかりで、もしかしたら、私はおじさん好きで、ここになら先生以上に好きになれる人がいるかもしるないなんて期待をしたのだけど、私、別におじさん好きって訳では無かったみたいで、ときめくおじさんは誰もいなかったわ。」 と言って、マダムは、肩をすくめて、あははっと笑った。 「がっかりして、もう期待するのはやめようと思って、淡々と暮らす日々が何年も続いたの。きっと私は一生独りで生きて行くんだろうなって思うこともあったわ。まぁ、それならそれでいいかとも思い始めていたし。でもね、高校を卒業して10年経った時に、モノクロだった私の世界が、キラキラしたカラフルな世界に変わる出来事が起きたのよ!」 マダムの頬が紅潮して、瞳はキラキラしていた。私は、思わず声を上げた。 「もしかして!?」 マダムは、嬉しそうに話を続けた。 「そう!先生と再会したの。本当に偶然に。その日、私は出張で新幹線に乗らないといけなかったの。でも、書類の準備に手こずって、時間ギリギリになってしまったの。改札を通り、ホームに向かって必死に走っていたら、同じように走る人がいたの。その背中を追いながら、不思議な感覚を感じた事を今でも鮮明に覚えてるわ。"あなたもこの新幹線?"って、前を走る人がチラッと振り返ったの。"あぁ、やっぱり"って、雷に打たれたようっていうのは、ああいう瞬間の事かしらね。ふふふ。もうわかるでしょ。そう。先生だったの。」 マダムは嬉しそうに、さらに瞳はキラキラしていた。私は、運命的な2人に息を飲んだ。 「ドラマみたいでしょ。先生も私に気づいて、"えっ?一色?"って、2度見して、止まりそうになっている私の手を取って、"ほら、急いで"と言って、私を引っ張って走ったの。私は、涙で前が見えなくて、でも、先生の背中だけを追いかけたのを覚えてるわ。」 マダムは、少し鼻をすすった。 「30年も前の話だから、私の記憶もちょっと美化されてるかしらね。」 と言って、ふふふと笑った。美化されているかもしれないけど、私にはその時のマダムと先生の映像が見えた。 「10年振りに会った先生は、あまり変わっていなくて、笑った時にできる目尻の笑い皺が少し深くなったくらいだったわ。無事に新幹線に乗れた私達は、最初は、それぞれの指定席に行こうとしたけれど、私は思い切って、"先生、自由席に行こう"と言って、先生の腕を掴んで自由席に向かったの。先生は、あたふたしながら拒む事はなかったわ。勢いで自由席に来たものの先生と隣同士で座ると気持ちが昂ってしまって、私は何も話せなくなってしまったの。先生はそんな私を見て、優しく話しかけてくれたの。"元気だったか?今、何してるんだ?"って、たわいもない話を降車駅に着く5分前の音楽がなるまでしていたの。恋焦がれた人が目の前にいるのに、私がしたい話はそんな話じゃなかったのに、もう一生会えないかもしれないのにと思った時、"先生、私、独身なの。彼氏もいない。なぜだかわかる?"って、先生の目を見てすがる思いで言葉を絞り出したの。先生は何も言わず私を見つめ返して、"2年待って欲しい"って言って、私の手をギュッと握ったの。私は、ポロポロと涙を流しながら、頷き、名刺を渡したの。」 マダムは、ふうっと息を吐いた。 「なんで2年なんですか?名刺を渡したんですか?」 連絡先を伝えるなら、携帯電話の番号を伝えればいいのに、それになんで急に2年なんだろうと不思議だった。 「今みたいに携帯電話はなかったから。咄嗟に出て来たのが名刺だったのよ。昔の話だもの。なんで2年かは、この先の話に関わってくるんだけど…。」 そう言いながら、時計を見たマダムは、驚いて、 「あらあら、嫌だわ。またこんな時間になってしまったわ。私、話が長いのね。もっと簡潔に話せばいいのに。ごめんなさいね。」 そう言って苦笑した。 「いえいえ、いいんです。私、マダムと一緒に時間旅行してるんです。私には起きなかった奇跡とか運命があって、すごく素敵。」 お世辞では無く本心だった。こんな恋もあるんだと羨ましくさえ思っていた。 「素敵かどうかはわからないけど、自分の人生の中では誰もがヒロインだから。愛美夜ちゃんだって、愛美夜ちゃんの物語のヒロインなのよ。」 そう言って、マダムはニコリと笑った。 「愛美夜ちゃん。この続き、どうしましようか。私の物語は、思っていたより長かったみたい。また、明日にしましょうか。」 「そうですね。今日は、運命の再会の余韻に浸りながら、先生の描かれた絵を拝見します。」 名残惜しかったけど、続きは、明日、聞かせて貰う事にした。 いつのまにか、私もマダムのご主人様を先生と呼んでいた。先生の姿を想像した。私も、先生に会ってみたかったな。
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